「ギギちゃん!」
真っ先に反応したのは、テイマーのアルマだった。
声が聞こえてきたのは、広場の真ん中からだ。僕たちは一斉に、そちらへ視線を向けるが……。
朝の明るい太陽の下、視界に入ってくるのは、建ち並ぶ商店や民家、そして歩いている村人たちばかり。モンスターの姿なんて、どこにも見えなかった。
ただし、周りの村人たちもゴブリンの鳴き声を聞いたようで、僕たちと同じく、不思議そうにキョロキョロしている。
「ギギちゃん? どこにいるのー?」
「ギギッ!」
アルマの呼びかけに対して、また声だけが返ってくる。
見えないモンスター。まるで怪談に出てくる透明人間のようで、僕は少し背筋が寒くなったが、
「考えを改めないといけないわね。というより、最初の想定に戻す形かしら」
「だから言っただろう? 俺たち自身がゴブリン出現の瞬間に立ち会うまでは何とも言えない、と」
クリスタとカーリンの会話を聞いて、ハッとする。
そう、何も怖がる必要はないのだった。このモンスターが視覚的に姿を消せるというのは、もともと想像していた遮蔽能力の一つなのだから。
「ギギッ! ギギッ!」
最初は鳴き声だけだったが、やがて、陽炎のようにユラユラとした姿が見えてくる。
「ギギちゃん!」
アルマが嬉しそうに駆け寄る間に、最初は薄らと幻だった形も、ハッキリとした実体に変わった。ゴブリンのギギは、広場の中央に立ち尽くして、僕たちを手招きしている。
「私たちも行こうか」
「そうね。色々と聞きたいこともあるし」
ニーナとクリスタが歩み寄るので、僕とカーリンも続く。
ふと周囲を見れば、村人たちが騒いでいた。通行人だけでなく、わざわざ建物から顔を出す者もいるくらいだ。
「なんだ、なんだ?」
「おい、こんなところにゴブリンがいるぞ!」
「あれじゃないか? ほら、子供と遊ぶって噂の、例のモンスター……」
ゴブリンが現れる件について、もはや村人全員が耳にしているとしても、それは噂話だけ。実物を見るのは初めて、という者は多いはず。特に広場周辺で働く者たちは、このゴブリンを目にする機会なんて皆無だったのだろう。今までは、子供の遊び場にしか現れなかったのだから。
村人たちの好奇の視線を感じながら。
アルマを通訳として、僕たちはゴブリンのギギと会話する。
「二日連続で村へ来たのは、初めてよね?」
「ギギッ!」
「うん。また来ちゃった、だって」
おそらくクリスタは「どうして二日連続?」と尋ねたかったのだろう。これでは答えになっていないが、それ以上、彼女は追求しなかった。
「モンスターにも、日付の概念はあるのだな……」
しみじみとカーリンが呟く横で、ニーナが別の疑問を持ち出す。
「どうしてここに? いつもみたいな遊び場じゃないよね、この広場は?」
「ギッ、ギギッ!」
「これから行く途中だった、って。でも私たちを見かけたから、声をかけたみたい」
「どういうこと?」
眉間にしわを寄せるニーナ。僕にも意味がわからなかった。
『俺もわからん。この先は、村から出るだけだろう? 遊び場があるようには思えんが……』
ダイゴローにも解説できないのであれば、完全に回答不十分だ。
「ギギッ! ギギッ!」
「今日は馬小屋の転移装置を使わず、森から歩いてきたみたい。昨日の私たちを真似したのかなー?」
「つまり、村へ入ったばかり、ということね。姿が見えなかったのも、その関係かしら? ちょっと遮蔽機能のことも聞いてもらえる?」
クリスタに水を向けられて、アルマは少しゴブリンと話し込み……。
パッと明るい顔を、僕たちに向けた。
「クリスタちゃんが正解! 歩いている間に効果が切れると思ったけど、思ったより長続きしてた、って話だよー」
さらに、説明を補足する。
「今までは姿が見えるようになってから子供に話しかけてたけど、今日は私たちが出て行っちゃうと思って、慌てて声かけちゃったんだって」
「つまり、視覚的に姿を消す仕組みがあるのね?」
「うん、いつも魔法の粉を浴びてから来るんだって」
「なるほど……」
質問したクリスタではなく、カーリンが納得の声を上げた。
だが、これは彼女一人ではなく、みんな同じだったに違いない。モンスターの遮蔽能力に関して、謎が一つ解けた気分だった。
「ギギッ! ギギッ!」
「えっ、何?」
僕たちの態度を見て、何か思うところがあったのだろう。ゴブリンの方からアルマに話しかけたのは、遮蔽能力に関する追加説明があるからだった。
「ギギちゃん、『かめれおん・ぱうだあ』って言ってる。たぶん、その『魔法の粉』の名前だと思う」
「『かめれおん・ぱうだあ』って……。カメレオン・パウダーってことだよね?」
「それしかないでしょうね」
ニーナの言葉に、微笑みを返すクリスタ。
初めて聞く名称だが、『カメレオン』と『パウダー』に分離すれば、よくある言葉だ。爬虫類のカメレオンと、普通に粉なのだろう。
「カメレオンということは……。擬態能力なのか? 粉のかかった部分の色を変えて、周囲の色に同化させる、みたいな……」
カーリンの解釈は理に適っていると思えたが、
「ギッ!」
「違うって言ってるー」
当のゴブリンから否定されてしまった。
「ギギちゃん、何かな? にんしきそがい? ああ、認識阻害ね。うわあ、ギギちゃん、難しい言葉知ってるんだねー」
子供をあやす大人のような口調だ。僕たちの中で一番年下であり、しかも実年齢より幼い印象もあるアルマだから、彼女がこのような態度を見せるのは、微笑ましい光景だった。
ついつい、ほんわかとした気分で眺めてしまったが……。
「そっかー。お父さんに教えてもらったのかー。よかったね、ギギちゃん」
アルマの言葉で、その場の空気が変わった。
「親ゴブリンがいるのか? もっと知能が高いような?」
みんなの想像を代弁するかのように、カーリンがストレートに尋ねる。
しかしアルマは、首を横に振った。
「そうじゃないみたい。育ての親……なのかな? モンスターじゃなくて……」
「ギギッ!」
「えっ? お父さんがギギちゃんの生みの親なの? じゃあ血が繋がってるの?」
「ギギッ!」
「それも違うの? それって、どういう意味? 私にもわかんないよー」
ギギの言葉に、アルマは混乱しているらしい。
優秀なテイマーであるはずの彼女がこれでは、僕たちはお手上げだ。仲間の顔を見回すと、皆一様に、少し困った表情に思えた。
そんな雰囲気を破るかのように……。
「ギギッ!」
「へえ。それがお父さんの名前なのかな? まっどどくたあ、っていうの?」
「『まっどどくたあ』……? マッド・ドクターのことね!」
ニーナが突然、大きな声で叫んだ。
「もう! ニーナちゃん、びっくりさせないでよー。ほら、ギギちゃんが怯えてるー」
少し口を尖らせてから、アルマは優しい表情をゴブリンに向ける。
「大丈夫だよ、ギギちゃん。ニーナちゃん、ただ驚いただけだから」
「ギギ……?」
「もちろんだよ! ギギちゃんに危害を加えるつもりはないし、怖がらせるつもりもないから! 安心してねー」
アルマとモンスターのやり取りを横目で見ながら、僕は他人事のように「マッド・ドクター? どこかで聞いたような名前だな?」と考えていた。
だが、それはほんの一瞬の出来事だった。
『おい、バルトルト。お前……』
呆れ声のダイゴローに説明されるまでもなく、その『どこか』を思い出したのだ。
理解した途端、僕も顔色が変わり、ニーナ以上の大声を上げてしまうのだった。
「マッド・ドクターって、アーベントロートの魔族が言ってた『怪物いじり』か! 『機械屋』と一緒になってメカ巨人ゴブリンを作ったという、あの『怪物いじり』だよね?」
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