人間の言っていることがモンスターに伝わるというのは、信じられない話ではなかった。例えばアルマのように、テイマーの才能がある者ならば、動物やモンスターと意思疎通が可能なのだから。
実際に僕は一度、アルマが早起き鳥と会話するのを目にしている。
ただし『会話』といっても、あの時の早起き鳥は「ピー! ピー!」という鳴き声を返しただけであり、人間の言葉そのものを口にしたわけではなかった。
モンスターは、人間のようにしゃべることは出来ないのだ。万一しゃべるモンスターに遭遇した場合、昔ならば「僕が知らなかっただけで、そういうモンスターも存在するのだろうか?」と考えたかもしれないが……。
今の僕ならば、違う見方になる。
モンスターのように明らかな人外でありながら、人間のように言葉を発する存在。それはモンスターでも人間でもない。
魔族だ。
クリスタも同様に考えて、その点を問いただしたようだが、
「パウラの言葉は伝わっていましたし、返事もしていましたわ。『ギー、ギー』みたいな鳴き声で」
というのが、パトリツィアの回答だった。
鳴き声を発するだけならば、その点は普通のゴブリンと同じ。僕としては、少し期待外れだ。実はゴブリンの外見をした魔族だった、という方が、魔族を探す上では好都合なのだから。
クリスタはどう感じたかわからないが、少なくとも表面上は、穏やかな微笑みを浮かべている。
「ごめんなさいね、話の腰を折って。どうぞ、続けてください」
続きを促しながら、彼女はグラスに手を伸ばした。
好物の黒ビールではなく、普通の葡萄酒だ。ここのメニューには黒ビールもあるのに、敢えて葡萄酒を頼んだのだから、おそらく今のクリスタは情報収集モード。食事を楽しむというより、真剣に話を聞く、という意識なのだろう。
『その理屈で行くと、カーリンは真面目に聞いてない、ってことになるのか?』
ダイゴローは冗談口調なので、わかった上で言っているに違いない。
クリスタとは対照的に、カーリンは黒ビールを飲んでいた。だからといって話を聞く気がないのではなく、考え込むべき点があればクリスタに任せる、という意味なのだろう。それだけクリスタを信頼している証なのだ。
「続きと言われても、残りは、たいした話じゃないですが……」
そう前置きしてから、パトリツィアは話を再開する。
おとなしいゴブリンだ、と理解できたものの、彼女は報告義務を怠らなかったという。その場で「モンスターが出たわ!」と叫んで、人を集めたのだ。
「でも、見てごらんなさい。危険なんて、なさそうでしょう?」
寄ってきた村人に対して、子供たちとゴブリンが仲睦まじく遊ぶ光景を指し示す。彼女に同意する者も少しはいたが、この段階では、モンスターを危険視する者が圧倒的に多かった。
「カールじゃないですが、頭の固い方々もいますから……」
「俺がどうかしてるみたいに言わないでくれ。パトリツィアの方が例外なんだぞ」
「そうかしら? だったら今頃、村の総意として、あのゴブリンの退治依頼を出しているはずでしょう? ブロホヴィッツの冒険者組合へ」
カールとの軽い諍いも挟みながら、パトリツィアは説明を続ける。
結局その日も、それ以前と同じく、集まってきた大人たちでゴブリンを追い立てた。しかし追い詰めることは出来ず、やはり姿を見失ったらしい。
「私自身は、追跡には加わりませんでしたから、あくまでも伝聞ですけどね」
四度目のゴブリン出現の顛末はそれで終わりとして、続いて五度目。
パトリツィアはいなかったが、五度目にゴブリンが現れた公園では、一人ではなく複数の大人たちが一緒だったという。
「しかも三人ですよ、三人。大の大人が三人とも、ふと気づいたらゴブリンがいた、と証言しているのです。どこから来たのか、全くわからずに」
この時も、やはり人を集めたものの、ゴブリンには逃げられてしまった。
「このように私たちの村は、ゴブリンに襲われたのではなく、単にゴブリンが現れただけなのです。遊んでいる子供たちも楽しそうで、被害も出ていませんし、追えば逃げる。平和なモンスターでしょう?」
パトリツィアに言わせると、彼女のように「このゴブリンは普通のモンスターとは違って安全だ」と考える者たちも、だんだん増えてきたそうだ。
横でカールが彼女に向ける視線を見る限り、彼女の個人的な見解に過ぎないみたいだけれど。
話は終わったと判断して、ニーナが総括するように確認する。
「では結局、問題のゴブリンがどこから来たのか、どこへ逃げ込んだのか、全くわからないのですね?」
「そうだ。それがわかれば、こちらから先制攻撃を仕掛けるのも可能だろうが……」
険しい顔のカールに対して、パトリツィアが不満の声を上げた。
「まあ、野蛮な! 先制攻撃だなんて!」
「いや、チャンスだろ? こうして冒険者も来てくれたのだから……」
そう言ってカールは僕たちの顔を見回すので、僕は首を横に振った。
仲間たちも同じような表情を浮かべたので、ようやくカールも気づいたらしい。
「……違うのか? ゴブリン退治のために来たんじゃないのか?」
「ちゃんと話してませんでしたね、私たちの来村目的」
苦笑いしながら、ニーナが語る。
「ゴブリンの話を耳にして、純粋に興味が湧いたんですよ。なぜモンスターが村の中に現れるんだろう、って。だから、そのゴブリンをやっつけよう、とまでは考えてなくて……。むしろ殺すより捕獲したいかな。理由を調べるために」
「ほら、ご覧なさい! モンスターに関しては、冒険者が専門家でしょう? その専門家の方々の意見がこれですわ。退治するほどのモンスターではない、ってことですのよ?」
カールに対して勝ち誇るパトリツィア。
慌ててニーナが、言葉を付け足す。
「誤解しないでくださいね。あくまでも私たちの個人的な意見であって、冒険者の公式見解ではないですから! 誰かが冒険者組合に討伐依頼を出せば、それを引き受ける冒険者も出てくると思いますよ」
「見ろ、パトリツィア。やっぱりモンスターはモンスターだ。依頼さえ出せば、きちんと退治してもらえるんだよ」
今度はカールが、満足そうな笑みを浮かべる。
ここでゴブリン退治を肯定する雰囲気になると、僕たちも困るわけだが……。
「一ついいかしら?」
再び、クリスタが話に割って入った。
「殺すより捕獲したい、という私たちの提案。これって『退治の必要はない』って言っているパトリツィアさんだけでなく、カールさんにもプラスになると思いますわ」
「……どういう意味だ?」
「もしも今回の個体を始末したとして。でも出現理由が不明のままでは、また同じような個体が出てくるかもしれないでしょう? 退治するにしても、その点を解決してからの方が良いのでは?」
ゴブリン討伐派に対して、まだ殺すべきではないと訴えているわけだ。
実際には、これはカールたちの利益のためではなく、僕たちカトック隊の都合だった。
そこまでカールやパトリツィアには明かせないが、僕たちがクラナッハ村まで来た真の理由は、このゴブリンの背後に魔族がいる可能性を考えたからだ。肝心の魔族について情報が得られる前に、唯一の手がかりかもしれないゴブリンを退治されたら、わざわざ来た意味がなくなってしまう、ということだった。
「ううむ。そう言われると、そうかもしれないが……」
考え込む表情になったカール。その肩を、パトリツィアがポンと叩く。
「もういいでしょう、カール。私たちは事情を説明しましたし、冒険者の方々の意見も聞けましたわ。後は、この方々の話を他の村人にも伝えるだけです」
「そうだな。今日のところは、お暇しよう」
珍しくパトリツィアの意見を素直に聞き入れて、カールが一緒に立ち上がった。
このタイミングで、
「では、これで私も立ち去るとしましょう。みなさん、どうぞごゆっくり」
既に食べ終わっていた――黙って僕たちの会話を聞いていた――小型馬車の御者も席を立つ。
「おじさん、バイバーイ!」
人懐っこい笑顔を浮かべながらアルマも立ち上がったので、仲良くなった御者を見送るつもりかと思いきや、そうではなかった。
「私、おかわりもらってくるー!」
アルマの最大の関心事は彼女自身の食欲であり、厨房へ向かって元気に駆けていく。
カールたち三人は、アルマとは別方向へ歩き出したが、
「そうそう。ひとつ言い忘れていましたけど……」
最後にパトリツィアが振り返って、僕たちに告げるのだった。
「……五度目の出現、つまり一番最近は、一昨日の話でしたわ。あのゴブリン、昨日も今日も来ていませんから……。そろそろ明日あたり、また出るのではないかしら?」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!