『なあ、バルトルト。馬車って……。思ったより快適な乗り心地だな!』
ダイゴローの、いつになく柔らかい声が、僕の頭の中で鳴り響く。この乗合馬車を、かなり気に入ってもらえたらしい。
彼の好気分に水を差したくはないが、この世界の馬車の平均がこのレベルだと思われると、後々がっかりされるかもしれない。
『……その言い方だと、これは高水準の部類に入る、ってことか?』
停車中の馬車を見た際に説明したように、長距離馬車を牽引するのは蒼の疾風。普通の馬では考えられないほどの速度を出せる、特別な品種だ。それに合わせてキャビンの方も、しっかりした構造になっているのだった。
おそらく、特に違うのは、車輪部分のはず。パッと見では、車軸と軸受を介して、キャビンの底部に直接くっついているように見えるだろう。だが実際には、間にサスペンションと呼ばれる魔法器具――衝撃を吸収する構造――が挟まれており……。
『わかった、わかった。俺が悪かった。構造的な講義は、もう十分だ。それより……。外の景色を楽しもうぜ!』
僕の印象では、基本的にダイゴローは好奇心旺盛で、この世界の物事には興味津々、という感じだったが……。どうやら、あまり馬車の構造には関心がないらしい。
僕たちを乗せた馬車は今、広大な自然の中を飛ばしていた。窓に視線を向けると、草原の緑が、視界いっぱいに広がっている。
『あー。そっちの窓を見たら、よけいに「視界いっぱいの緑」だよなあ?』
今度は、ニヤニヤした口調のダイゴロー。
右を向いたからだろう。確かに、外の草原の緑だけでなく、クリスタの髪やローブの緑色も、僕の視野に入ってくる形だった。
でも、これは仕方がない。座席の位置の問題だ。クリスタとカーリンに挟まれる形で座っているから、二人のどちらかの方を向かないと、窓は見えないのだ。
『ロングシート形式の座席なら、正面向いたままでも、向かい側の窓から景色が見える。でも、これはボックスシート型だからな。……と、電車の場合を例に出しても、バルトルトには伝わらんか』
電車というのはわからないけれど、ロングシートとボックスシートというのは、なんとなく雰囲気で理解できた。椅子の向きの話だろう。
『そう、進行方向に対して横向きか縦向きか、ってことだ』
三人と三人で、向かい合って座っている僕たち。ちなみに、座り方を決めたのは、リーダーであるニーナだった。カトック隊の六人で一番後ろの二列を確保して、後ろ側に僕たち三人。前の列はニーナを中央にして、その両横にアルマとマヌエラという配置だ。
クリスタとカーリンの二人は、冒険者学院の頃からの仲良しなのだから、隣同士にしてあげたら良かったのに……。僕はそうも思ったが、おそらくニーナは、先輩である――少しだけ年上である――二人に、景色の良い窓側の席を割り振ったのだろう。
『いや、たぶん、そうじゃなくて……』
と、ダイゴローが何か言いかけたところで。
正面左側のマヌエラが、口元に笑みを浮かべながら、僕に話しかけてきた。
「バルトルト、その席って、落ち着かない気分かい? せっかく美女二人に挟まれて、両手に花なのに」
「いや、そんなことは……」
正確な年齢は聞いていないが、見た目から判断すると、マヌエラは二十代前半あるいは半ばくらい。この中で一番の年上だ。そんな女性からの冗談に、僕が上手く返せないでいると、クリスタが助け舟を出してくれた。
「あらあら。私もカーリンも、別に『美女二人』って言われるほど魅力的じゃないわよねえ? それに……」
いつもの笑顔を僕に向けてから、マヌエラに説明する。
「……バルトルトは、私たちの間に入るのも慣れてるのよ。ダンジョンを歩く時は、この布陣だから」
「カトックがリーダーだった頃から、魔法が使える者は後衛。そういうフォーメーションだったの」
と、ニーナも説明に加わった。
「カーリンとバルトルトは魔法剣士だから、戦士の私と同じで、直接攻撃も出来るけど……。魔法が使える、の方を重視して、クリスタと一緒に後衛。アルマは攻撃方法で言えば後衛向きけど、モンスター発見役だから前衛に置いてる」
「なるほどねえ。この座席が、ちょうどバトルの前衛と後衛に分かれてるのかい」
「そういうこと。マヌエラは武闘家だから、前衛をお願いするわ」
「ああ、もちろんだよ。どこのパーティーでも、あたしはいつも前だからね」
二人の会話に重なって、
『……わかったか、バルトルト? お姉さん二人に風景を見せる、なんて悠長な話じゃないんだよ』
脳内で僕を諭すような声が聞こえてくる。
冒険者である僕がニーナの意図を見抜けず、先にダイゴローに指摘されてしまうとは……。ちょっと悔しいくらいだった。
「あっ、お馬さん! 大きいのと小さいの、二匹並んで走ってるー!」
「こっちの窓からは見えないけど、そうなのかい?」
「うん、仲良さそう。親子かなー?」
「そうかもしれないねえ。何にせよ、わざわざ街から離れて牧畜でもないだろうから、野生馬だと思うよ」
窓の外の景色にアルマが歓声を上げると、ニーナを挟んだ反対側から、マヌエラが応答する。こうして見ている限り、すっかり彼女もカトック隊の一員だ。
そんな感じで、しばらくは、たわいもない話が続いた。草原地帯をひた走る馬車ではあるが、時々は大きな森の近くを通ったり、遠くの山々が見えたりするので、外を見ているだけでも飽きなかったのだ。
やがて。
見渡す限りの草原、という景色に切り替わったところで……。
「あれから、アーベントロートの従姉妹と、また手紙のやり取りをしてねえ」
退屈を紛らわすための世間話、という軽い口調で、結構重要な話題を持ち出すマヌエラ。
「仕事でアーベントロートへ行く、って伝えたよ。あたしが最後に従姉妹と会ったのは、彼女がアーベントロートへ移る前だったからね。向こうも、久しぶりの再会に喜んでくれて……」
と、前置きとして個人的な話を挟んでから、本題に入る。
「カトックさんを探してる人々に雇われた、カトックさんの昔の冒険者仲間らしい、って手紙に書いたら、従姉妹も興奮してね。カトックさんのこと、さらに詳しく教えてくれたよ」
「どんな話? 何を聞いたの?」
真っ先に、ニーナが話に食らいついた。
三日前の冒険者組合では、文字通りマヌエラに飛びついたわけだが、それと比べたら大人しい。おそらく、あの時の態度を恥じているのもあるし、ここが馬車の中だというのも考慮しているのだろう。
それでもニーナは、ピンと背筋を伸ばして、思わず腰を浮かしそうになるくらいだった。
「カトックさんは街の近くの森で拾われた、って話はしただろ? その森なんだが、あたしが思ってたよりも、どうやら危険なところらしく……」
マヌエラが従姉妹から伝えられた内容によると。
問題の森は、街を出て少し歩いた先にある針葉樹林。温暖な地域であるにもかかわらず、なぜか、もっと寒い地方でよく見られるような木々が生えているのだという。
葉や枝が広がらない分、かなり森の中まで日光が届くのだが……。問題は、そこに生息するものたちだった。
「危険な野生動物がいる、ってこと?」
ニーナの問いかけに、マヌエラは首を横に振る。
「いや。獣どころか、モンスターが出るらしい」
とはいえ、ダンジョンと呼ばれるほどではないので、数も種類も少ない。最下級のゴブリンが時々出現する、という程度。
「それでも、一般の市民にとっては脅威よね。アーベントロートには、冒険者はいないのでしょう?」
クリスタが言葉を挟むと、今度は、マヌエラも頷いてみせた。
「もちろんさ。村って言える規模の小さな街だからねえ。冒険者組合なんてあるはずもなく、ならば常駐してる冒険者もいるはずない」
「だったら、街の人たちは近寄らないような森なのかしら?」
「普通なら、そうなるだろうが……」
その森にしか生えないような貴重な薬草があり、それを材料にした特殊なポーションが、アーベントロートの名産品の一つなのだという。
だからポーション作りのために森へ入る者もおり、その際は、街の自警団――力自慢の若者たちの集まり――を、用心棒として同行させることになっていた。
ところが。
「その日は、都合のつく自警団メンバーが、いつもより少なかったらしい。しかも偶然、森で出くわしたゴブリンどもが、いつもより手強かったらしい。それで窮地に陥ったところに……」
そこまで聞けば、もう話の先は予測できた。
予測できたが、それでも最後まで聞くのが礼儀。僕はそう思った。
しかし、内容が内容なだけに、黙って待っていられない者もいた。
「カトックね? カトックが助けに入ったのね? 私の時と同じだわ! ほら、やっぱり、私たちのカトックよ!」
目を輝かせながら、話を遮るニーナに対して。
マヌエラは、余裕のある微笑みと共に、ゆっくりと頷くのだった。
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