今まで、僕は微妙に勘違いしていた。
武器屋の主人が『昨日』という言葉を口にしたので、『回復の森』で黒ローブの怪人が目撃されたのは、昨日の出来事だと思っていた。
だが『昨日』なのは、あくまでも店主が話を聞いた日時。不審者の出現自体は、それより前だったのだ。
一方クリスタは、僕とは違う部分で、女性の発言に反応を示していた。
「早朝? そんな時間に、わざわざ『回復の森』へ入っていったの?」
「ああ、そうさ。そういう仕事だったからな」
ニッと笑いながら、女性武闘家は事情を説明する。
「早起き鳥ってモンスターがいるだろ? あれを捕獲してほしい、って依頼を受けたのさ」
早起き鳥。
小型の鳥型モンスターで、その名の通り、朝早くにしか現れない。夜明け前から動き始めて、人々が朝の食事をする頃には、もう一日の活動を止めてしまう、と言われている。
『そんなに一日が短いのか? それじゃ早起きというより、とんだ怠け者だな』
ダイゴローのツッコミに、内心で苦笑する僕。
ちなみに、モンスター図鑑に書かれているから知識として知っているだけであり、僕も実物は見たことがなかった。
赤青緑の三色からなる派手な外見をしており、小さな嘴や爪で突くくらいしか攻撃手段を持たない。極めて戦闘力に乏しいため、愛玩用にも適しているらしい。
『愛玩用? モンスターをペットにするのか?』
ダイゴローは驚いているようだが……。
前にも説明したように、死後の分解速度に違いはあるものの、モンスターも野生動物も似たようなものだ。食用には向かないから畜産物として扱われることはないが、ペットにされるのはモンスターも動物も同じ、という理屈になる。
『なるほど。小型の犬や猫、あるいは、リスやハムスターといった小動物みたいな感覚か……』
ゴブリンやウィスプも、僕たち冒険者にとっては経験値の糧に過ぎないが、一部の好事家の間では、ペットとして売買されているらしい。動きの大人しいウィスプはまだしも、ゴブリンをペットとして飼い慣らすというのは、ちょっと僕には想像できない嗜好だけれど。
「その仕事を引き受けたパーティーは、戦士二人と魔法士二人からなる四人組でね。捕獲する以上は、燃やしたり凍らせたり出来ないから、戦士二人で頑張るつもりだったらしいけど……」
僕がダイゴローに説明している間も、女性武闘家の話は続いていた。
「……戦士のうち一人が、病気で寝込んじまった。そうなると、前衛向きの人手がもう一人欲しい、ってことで、助っ人の話があたしに来たのさ」
早起き鳥の捕獲作業だけ考えるならば、前衛と後衛に分かれる必要はなく、三人で一斉に飛びかかれば十分だ。
しかし森ダンジョンに立ち入るのだから、早起き鳥と遭遇する前に、ゴブリンやウィスプといった普通の――戦闘対象である――モンスターとも顔を合わすはず。前衛二人と後衛二人というフォーメーションに慣れたパーティーとしては、直接攻撃系のジョブの冒険者を一人、臨時で加えておきたかったのだろう。
それくらいの事情は、僕にも容易に想像できた。
「朝早くに入ったことはないから知らないんだけど……。『回復の森』には、早起き鳥がたくさん生息してるの?」
クリスタの質問に、女性は肩をすくめてみせる。
「さあ、どうだろうね。あたしも詳しくないよ。でも、依頼人の指定するポイントの一つが、ちょうど『回復の森』の中にあったのさ。わざわざ早起き鳥を所望するくらいだ、その生態にも関心があって、依頼人の方で調べてたようだよ」
「なるほどね。それであなたたちは、他の冒険者が行かないような時間に『回復の森』に入って、だから誰も見てないような不審者を目撃できたのね?」
早起き鳥から肝心の不審者へ、話題を誘導するクリスタ。
これは面白い指摘だった。武器屋の主人は「この女性武闘家一人しか目撃者がいないから」という理由で、彼女の証言を「眉唾な話」と断じていたが……。
一応は納得できる理由があったのだ!
『今ごろ気づいたのかよ、バルトルト。最初っからそれをクリスタは考えて、「早朝」ってポイントに過敏に反応してたんだぜ。言葉には出さないものの、カーリンも同じように考えてたんじゃねえか?』
「そう、そうなんだよ!」
グラスをテーブルに叩きつけるほどの大袈裟な勢いで、女性武闘家は、クリスタの言葉に同意を示す。
「それなのに、みんな、あたしのこと嘘つきって目で見やがって……」
「酷い話ね。泉を汚染した犯人を見つけたなら、むしろ大功労者なのに。みんな、あそこの泉が使えなくなって、困ってるんだから」
「そうだよ、そう思うだろ? だからさ、あたしも考えたんだ。これは、みんなに言って回らなきゃ、って。でも……」
彼女のグラスは、二杯目も空になってしまった。
すかさずカーリンが、スッと三杯目の林檎酒を差し出す。僕も気づかぬうちに、カーリンはおかわりを持ってきていたらしい。
女性武闘家は、新しいグラスを自然に口へ運びながら、話を続ける。
「……一緒に森に入った連中すら、全く見てなかったからね。あいつら、依頼された早起き鳥を探すのに躍起になって、他のことは目に入ってなかったんだ」
「あらまあ。でも仕事中の冒険者なんて、そんなものよね」
適当に合いの手を挟むクリスタ。まさに僕たちも『仕事中』――依頼された調査を行っている最中――なのだが、それを知ったら、この女性武闘家は何を思うだろう?
「それで、街に戻ったあたしは、大通りの屋台とか、行きつけの武器屋とか、冒険者が立ち寄りそうな店で、泉の不審者について言って回ったんだけど……。みんな、あの反応だ。もうガッカリだよ」
「親切心からの行動でしょうに、嘘つき呼ばわりは酷いわねえ……」
相槌を打つクリスタも、似たような言葉しか挟めないようなので。
クリスタ一人に相手させるのは大変だろうと思って、僕も会話に加わってみる。
「冒険者の注意を喚起するんでしたら、掲示板に貼っておく、という手もありますね。泉に怪しい奴がいるぞ、って」
「何を馬鹿なこと言ってんだい。そんなことしたら、あたしが悪目立ちするだろ?」
彼女は僕に目を向けたが、呆れ混じりの視線だった。
「露天商や武器屋から白い目で見られても悲しいだけだが、冒険者の間で悪評が立ったら、実害が出ちまう。最初に言ったろ、あたしはフリーの冒険者だ、って。組んでくれる冒険者がいなくなると、本当に困るんだよ」
「ああ、そう言えばそうですね……」
消え入るような声の僕。無理して会話に入ろうとして、恥をかいた感じかもしれない。
『まだまだバルトルトは、冒険者としては新米。冒険者の考え方が完全には身についていない、ってことだな!』
「それで、その不審者って、どんな人だったの? 毒を投げ入れてた、って話よね?」
場の空気を変えるつもりなのか、クリスタが、少し強引に話を進めようとする。
女性武闘家は、もう僕の発言など忘れたかのように、クリスタに応じていた。
「ああ、投げ入れてたのが毒だってのは、あたしの推測に過ぎないけどね。でも、とにかく怪しい奴だったのは間違いないよ。これを言うと、また信じてもらえなくなるかもしれないが……」
彼女は眉間にしわを寄せて、いったん言葉を区切る。
林檎酒で口を湿らせてから、言いにくそうな声で、話を再開した。
「フード付きの黒ローブで、顔も体も隠れてた。その上、あたしが見たのは木々の隙間からだった。でも、そいつが振り向いた時に、ハッキリと見えたんだ」
「何を……?」
誘われるようにして、再び口を挟んでしまう僕。
今度は、適切な合いの手だったらしい。
女性武闘家は、こちらに向かって頷くように首を振ってから、驚くべき言葉を口にした。
「フードの中身さ。顔があるはずのところに、何もなかったんだ。真っ黒な、虚ろな空間だったんだ」
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