「クックック……。何を今さら驚いておる? お前たちだって、散々モンスターを殺してきたのであろう?」
泉に肉片を投げ込み続ける、黒い怪人。背中を向けたままなので、こちらから表情は見えないが……。僕たちを嘲笑っていることだけは、口調からハッキリ伝わってきた。
「私たちは! 無意味な殺戮なんてしていない!」
毅然とした態度で、ニーナが叫ぶ。
「経験値と討伐料のために、モンスターには死んでいただく……。それが冒険者にとっての、モンスター・ハンティングなのよ!」
ニーナの言葉に、他の三人も頷いている。百パーセントの同意ではないが、僕も首を縦に振った。
昔々の僕は「モンスターは人々の平和を脅かす存在だから全滅させるべき!」と考えていたくらいだが……。いざ冒険者になってみると「モンスターだって生き物であり野生動物と大差はない」という意識が強くなっていた。そうした見地に立つと、ニーナの言い分も理解できる気がするのだった。
『バルトルト、前に言ってたよなあ。冒険者を志した初心をいつのまにか忘れてた、って。モンスターに対する意識が変わったせいで、忘れちまってたんだろうな』
それだけが理由ではないと思うが、そういう一面もあるかもしれない。
……と、僕が心の中でダイゴローと言葉を交わす間。
黒い怪人は、さらに揶揄するような言葉を口にしていた。
「ほう? お前たちには、これが無益な殺生に見えるのか? 面白い……」
「違うとは言わせないわ! ただゴブリンの死骸を投げ入れて、泉を汚してるだけじゃないの! おかげで、せっかくの回復ポイントが……」
「どうやら勘違いしておるようだな」
と、ニーナの言葉を遮る怪人。
「確かにワシの目的は、この泉の破壊だ。回復ポイントなどというものは、神が設置したイレギュラーであり、自然の摂理に反するチート設備だからのう」
「やっぱり!」
「しかし、神の手によるものだからこそ! 容易に汚染することは出来ぬ! 低級モンスターの死体ごときで、その効果が打ち消せるはずないではないか!」
「じゃあ、なんで……」
ニーナは、すっかり相手の会話のペースに巻き込まれていた。
とはいえ、それで情報が引き出せるならば問題ないだろう。この怪人物が何をやっていたのか、本人が語ってくれているのだから。
口調を少し落ち着かせて、怪人は続ける。
「フッフッフ……。ここでワシは、ペットを育てていたのだよ」
「……ぺット?」
「そうじゃ。ワシの愛しい眷属……。神の力にも干渉できるほどの、強い毒を撒き散らすような……」
怪人とニーナの会話を遮る勢いで、僕の頭の中でダイゴローが騒ぎ出す。もちろん、僕以外には聞こえないのだけれど。
『そういうことか! ゴブリンの生肉は、そのための餌か! そのぺットとやらを飼育するための、最適の餌……。それで、そいつの毒性も強化されたんだな?』
「見せてやろう! ワシが育て上げた姿を!」
僕たちに背を向けたまま、怪人はガバッと立ち上がり……。
両手を天に向けて掲げて、力強く叫んだ。
「現れ出でよ! ヴェノマス・キング!」
怪人の言葉に呼応して、泉の真ん中あたりで水面が盛り上がる。
水の中からザバーッと飛び出してきたのは、怪物の頭だった。毛むくじゃらの巨大な生首で、毒々しい泉よりも、さらに禍々しい紫色をしていた。
……と説明したら、誤解されるかもしれない。「鎌首をもたげた巨大生物、その胴体部は水の中に浸ったまま、首から先だけが水面より上に出ている」と思われそうだが、そうではなくて。
胴体なんて存在しなかった! 頭部のみしか持たない怪物だったのだ!
なんとも不気味な顔であり、鼻の隆起はなく、両目と口の部分にポッカリと大きな穴。産毛にしてはハッキリし過ぎている体毛が、顔全体にビッシリと生えていて、髪の毛や顎髭と見分けがつかないくらいだった。
『あー。興奮してるところ悪いが、その認識は少し違うと思うぞ、バルトルト……』
僕の頭の中でダイゴローが、何やら反対意見を述べ立てる。
『あれは別に、目でも口でもねえだろ。シミュラクラ現象……って言うんだったかな? ほら、三つの点があると顔に見える、ってやつだ』
もう何度目だろうか。ダイゴローは、僕にはわからぬ用語を持ち出す。
だが、彼の言いたいことは、なんとなく理解できた。言われてみれば確かに、目や口というより、ただの穴だと考えた方が自然かもしれない。たまたま顔のような配置だったから、そう連想してしまっただけで……。
『そもそも俺には、ありゃあ生き物の頭とは思えん。バルトルトの言う髪とか体毛とかも、ちょっと違う気が……。ああ、そうだ。長い藻が付着した岩の塊を水から引き上げたら、ちょうどあんな感じになりそうだろ?』
ダイゴローは、目の前の物体を生物ではないと感じたらしい。
だが、あの黒い怪人はこれを『ペット』と呼び、ヴェノマス・キングという名前まで披露したのだが……?
『そこは、ほら、生き物っぽくないモンスターってことじゃないか? 例えばウィスプみたいな……」
異形型モンスターを引き合いに出すダイゴロー。
なるほど、そういう見方もアリかもしれない。こんなモンスターは聞いたことがない、と一蹴するのは簡単だが、メカ巨人ゴブリンの例もあるのだ。知らないものだから存在しない、と言い切れないのは、身をもって思い知らされていた。
こうして、ヴェノマス・キングが何者なのか、僕の脳内で議論が交わされている間。
カトック隊の仲間たちも言葉を失い、立ちすくんでいたのだが……。
真っ先に自分を取り戻したのは、リーダーのニーナだった。
泉の上に浮かぶ紫色の怪物に向けて、彼女はビシッと指を突きつける。その仕草には、まるで標的に狙いを定めた狩人のような、強い気迫がこもっていた。
「ならば! あのバケモノを倒せば、もう泉を汚されることもないのね!」
そうだ。
怪人と怪物の出現に圧倒されて、頭が回っていなかったが……。ようやく僕たちは、問題解決の手段に辿り着いたのだ!
しかし。
「ほう? ワシの可愛いヴェノマス・キングに危害を加える、というのであれば……」
黒ローブの怪人が、ゆっくりと振り向いた。
「……生かして返すわけにはいかんのう」
僕は再び絶句する。
仲間たちの、ハッと息をのむ音も聞こえてきた。
こちらを向いた怪人には、顔がなかったのだ。
もちろん、あの女性武闘家から話には聞いていた。だが、見るのと聞くのとでは大違い。まさに『百聞は一見に如かず』というやつだった。
ローブに繋がったフードは、首から上を包み込むような形で落ち着いている。にもかかわらず、その中に肝心の『首から上』が存在しないというのは、一目見ただけで背筋がゾッとする光景だった。
武闘家の彼女は「真っ黒な虚ろな空間」とか「虚無」とか表現していたが、僕に言わせれば『真っ黒』とは少し違う。暗闇の中でポツポツと、かすかな点が浮かんでいるような見え方だ。例えるならば、夜空で弱々しく光る星々のような……。
『弱々しく、だって? おいおい、バルトルト……。むしろ逆だろ? 空気の澄んだ田舎で夜空を見上げて、星座がハッキリわかるくらい強く輝いてる、って感じじゃないか』
と、僕の頭の中でダイゴローが喚いたのと同じタイミングで。
「闇夜の暗黒みたいな顔……」
横から聞こえてきたのは、アルマの苦々しい声だった。
「……え? 暗黒?」
聞き返すつもりはなかったが、声に出してしまう僕。ダイゴローと僕の見え方が違うだけでなく、さらに別のパターンを提示されて、意表を突かれたのだ。
小声なのでアルマには聞こえなかったようだが、もっと遠くの者が、なぜか聞きつけていた。
「ほう……。ワシの顔が見える者がおるのか? 面白い。ならば……」
黒衣の怪人が、僕に目を向ける。明らかに人外である者から直視されて、内心で「ひっ!」と悲鳴を上げながら、僕は一歩、後退りしてしまう。
「……低級のゴブリンだけでは、失礼やもしれぬ。お前たちに相応しい相手を用意してやろうぞ」
そう言いながら、怪人が懐から取り出したのは、一本の横笛だった。ピーッと鳴らすと、森が呼応して、ざわめき始める。
「みんな! 周囲を警戒!」
ニーナが叫ぶと同時に、僕は思い出していた。この空気は、僕にも覚えがあるのだ。そう、あの時と同じで……。
「……!」
思い浮かべた通りだった。僕たちカトック隊を取り囲むように現れたのは、モンスターの集団。ほとんどは最下級のゴブリンだが、巨人ゴブリンも二匹、含まれていた。
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