こうして。
しばらくの間、僕たちは医務室で談笑していたのだが……。
「それで、いつまで俺たちは、ここに留まるつもりだ?」
会話が途切れたタイミングで、カーリンが言葉を挟む。彼女の声には、痺れを切らしたような響きも含まれていた。
「すいません、うっかりしてました! もう僕も回復したのだから、ここから出ないと……。医務室は休憩所ではなく、怪我人や病人のための部屋ですからね」
僕は慌てて、ベッドから立ち上がる。
『いや、お前一人の責任じゃないだろ。おしゃべりに興じるのは、普通は女性陣の方で……』
とダイゴローは言っているが、それも僕が寝ていたせいで発生した会話だから、やはり悪いのは僕なのだと思う。
カーテンの仕切りを越えて、医務室の入り口側の部分で、待機していた魔法医の方々に礼を述べる。
続いて医務室から廊下に出たところで、
「……!」
見知った顔を目にして、僕は驚いてしまった。
二人並んで、廊下の壁にもたれているのは……。
「やあ、バルトルト」
「元気そうね、バルちゃん」
白銀の鎧に身を包んだダニエルと、清楚な白ローブのシモーヌ。エグモント団の二人だった。
ならば、残りの二人――ゲオルクとザームエル――も来ているのではないか。僕は目で探してしまうが、
「僕たちだけだよ」
とダニエルに言われて、その動きを止める。
『今さら何の用事だ? バルトルトの活躍を見て「エグモント団に戻ってこい」って話か?』
そんなわけない。それくらい、言っているダイゴロー自身が理解しているのだろう。いかにもな冗談口調だった。
僕が『活躍』したのは、転生戦士ダイゴローに変身した後だから、誰にも知られていないのだ。
一応、アルマを助けようとして泉に飛び込んだのも、勇気を示したという意味では評価されるのかもしれないが……。それだってエグモント団がいなくなった後なので、彼らは知らないはず。
「そう緊張する必要はないわ、バルちゃん」
シモーヌに言われて気づいたが、僕の体は、少しこわばっていたらしい。
「たいした用事じゃないよ。ただ、一言だけ伝えておきたくて……」
ダニエルは、僕だけでなく、カトック隊の面々にも視線を向けていた。
「僕たちエグモント団は、あの戦闘には全く貢献できなかったからね。このままでは、あまりにカッコ悪いじゃないか。だから……」
彼の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
「……せめて事後処理では、おおいに働かせてもらうよ」
それだけ言うと、
「じゃあね、バルちゃん」
軽く手を振るシモーヌと一緒に、ダニエルは立ち去るのだった。
「何だったのかな、あれ。事後処理とか言ってたけど……」
「そうね。今さら何かあるとは思えないけれど……。いずれ、わかるんじゃないかしら? ほら、ベッセル男爵に呼ばれた時にでも」
真面目に考察するニーナとクリスタの傍らでは、
「良かったね! バルトルトくんを返せ、とか言われなくて!」
ダイゴローと同じ冗談を口にするアルマ。
カーリンは黙ったままであり、彼女が何を考えているのか、表情を見ても僕にはわからない。
そんな仲間たちと一緒に……。
冒険者組合の建物――『赤天井』――から、カトック隊の住処へと帰るのだった。
外に出て見上げると、既に夕焼け空。南の丘にある一軒家に帰り着く頃には、もう夕食の時間だった。
「急いで支度するから、みんな、少しだけ待っててね!」
クリスタとカーリンが、テキパキと料理をして……。
「いただきまーす!」
アルマの元気な声で、食事のスタート。
この辺りは、いつもの流れだ。この家に来て僕も数日経つので、もう『いつもの』という表現を使って構わないはず。
ただし、昨日までとは大きく違う点が一つ。
「あら! あなたも今日は、よく食べるのね!」
「はい。朝食も昼食も食べそびれましたから、お腹ペコペコです」
と、クリスタに対して答えたように。
僕は一日、何も食べていなかったのだ。
厳密には、家を出る直前に、果物とミルクだけ口にしているが……。それでは足りないから、泉を見張りながら、携帯食を朝食にする予定だった。
でも僕がアルマと組んで周囲の警戒役だった間に、早くも黒衣の怪人が現れたので、当然、食べている暇なんてなかった。また、怪人たちと戦った後は夕方まで気を失っていたので、昼食だって口に出来なかった。
『それだけじゃないぞ、バルトルト。加えて、転生戦士ダイゴローに変身した影響もあるだろ? ほら、疲労感は一眠りして回復したとしても、消費したエネルギーは、食べ物で摂取する必要がある』
そんなこんなで。
僕にしては珍しく、それこそカトック隊のみんなに負けないほど、たくさん食べることになるのだった。
人間は満腹になると自然に眠くなるものらしい。昔どこかで、そう聞いた覚えがある。
実際。
朝から夕方まで――ほぼ一日――寝て過ごしたにもかかわらず、だから夜になっても眠れない、という事態にはならなかった。たっぷりの食事と心地よい入浴の後、ベッドに横になった僕は、あっという間に眠りに落ちたのだ。
とはいえ。
昼間の医務室で、肉体が要求する睡眠は既に満たされていたからなのか。あるいは、もう早起きが習慣になっていたせいだろうか。
翌朝。
僕は夜明け前に目が覚めてしまった。ベッドから起き上がり、窓際へ歩み寄って外に視線を向けると、まだ空は暗かったのだ。
『……ん? あれは何だ?』
相棒の声で、ふと気づく。
僕の部屋からは、ちょうど裏庭が見えるわけだが、そこに植えられている一本の大木の辺りだ。太い幹に隠れるようにして、規則正しい動きをしている人影があった。
青い皮鎧を着た、水色の髪の少女。カーリンが一心不乱に、いつもの槍を振っていたのだ。
『朝の鍛錬って感じだな』
バルトルトの言葉に、僕は大きく頷いた。
カーリンやクリスタと三人で武器屋へ向かう際、カーリンは戦いに関することが大好きだ、という話になったのを思い出す。彼女が毎朝、人知れず素振りをしているとしても、全く違和感がなかった。
『なあ、バルトルト。せっかくだし、お前もトレーニングに混ぜてもらったらどうだ?』
他人事として見ていた僕に、ダイゴローが妙な提案をする。
『いや「妙な」というより、むしろ真っ当な提案だろ。ほら、魔法剣のコツはカーリンから教わるべき、って話もあったし……』
ああ、それならば。
ハッキリと言葉にして意識していなかったので、まだダイゴローには伝わっていないと思うが……。
おそらく、要領とか秘訣とか、そんな抽象的な話ではないのだ。やはり魔法のレベルが足りない、というのが原因だと思う。
『……その口ぶりだと、何か根拠がありそうだな?』
例えば、カーリンが槍や剣に込める魔法は、いつも弱氷魔法、つまり氷系統の第一レベルだ。一方、モンスターに対して放つ魔法は、もう一段階上の強氷魔法。そこには歴とした差が存在していた。
『ああ、なるほど……』
ダイゴローにも伝わっただろうか。
武器に魔法を込める際、どんな魔法剣士でも、独特の集中力を必要とする。だから自分がギリギリ使えるような魔法ではなく、そのワンランク下くらいでないと、魔法剣は発動できないのだろう。
僕が転生戦士ダイゴローとして、魔法剣ならぬ魔法拳を使えたのも、変身状態では使える魔法のレベルが上がっていたからに違いない。
『つまり、素の状態で使える魔法が弱炎魔法だけの間は、魔法剣なんて到底無理……。そういうことか』
クリスタは魔法剣士ではなく純粋な魔法士だから、この辺の理屈は知らないのだろう。また、とっくの昔にカーリンは初心者の段階を過ぎているから、もう忘れてしまったのではないだろうか。
あるいはカーリンの場合、最初からスイスイ魔法剣が作れたので、出来ない理由なんて考えたこともない、という話かもしれない。
『どっちにせよ、今のバルトルトがカーリンに師事しても、魔法剣に関しては無駄なわけか……』
と、カーリンが規則正しく振る槍を見ながら、こんな脳内会話を行っていたのだが……。
なんだか眠くなってきた。珍しく頭を使ったからだろうか。
『というより、あの槍の動きのせいじゃねえか? 五円玉の振り子を凝視するとか、電車でガタンゴトン揺られるとか、一定のリズムが続くと眠気を誘われる、って言うからな』
五円玉とか、電車とか。ダイゴローは、また僕には理解できない用語を持ち出してきたが……。
反論する気もなければ、質問する気もなかった。
それよりも。
まだ空が暗いうちに眠気が戻ってきたのだから、無理して起きている必要もない。
おとなしくベッドに横になり、
「おやすみ、ダイゴロー……」
僕は二度寝するのだった。
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