カーリンの呟きに続いて、僕の口からも小さな声が漏れた。
「うっ……」
狭い木陰に五人で隠れていたので、自然に密着している状態だ。ちょうどカーリンの唇は僕の耳元の近くにあり、彼女が独り言を口にすると、吐息を耳に吹きかけられる形になっていた。
くすぐったいような、そうでないような……。変な感覚だ。
『ちょっと気持ちいい、みたいな感じか?』
ダイゴローがニヤニヤ声で茶々を入れてくる。
それを無視して、改めて僕は、前方の視界に意識を向けるのだった。
ゴブリンのギギが入っていった小屋は、形状からすると馬小屋だろうか。だが中に馬がいるのであれば、馬車が集まる『駅』のように、独特の獣臭さがあるはず。
「じゃあ、私たちも行こうか」
ニーナの言葉に従って、僕たちは木陰から飛び出し、問題の小屋へ歩み寄るが……。それらしき匂いは、全く漂ってこなかった。
「使われなくなった馬小屋のようね」
クリスタも僕と同じ想像をしているようだ。
馬小屋にカモフラージュされた秘密基地と見るよりも、村人に廃棄された設備を魔族が利用している、と考える方が素直だろう。
「あの中に、ギギちゃんと関わりある魔族がいるのー?」
「そうじゃないにしても、何かあるのは確実だよね。あのゴブリン、中に入ったまま出てこないんだから」
アルマとニーナは、そんな言葉を交わしている。
「やはり武器を持って追い回すのは、得策ではなかったようだな。今まで誰も、この場所を突き止められなかったのだから」
カーリンの言葉は、一見わかりにくかったが、
「そうでしょうね。そうやって追い立てるからこそ、追跡の途中で逃げられたわけだし……。私たちは、静かに尾行して正解だったわ」
クリスタの補足で、僕にも意味が理解できた。
途中まで全く後ろを気にしていなかったゴブリンなのに、この小屋に入る時だけは、周囲を警戒していたのだ。この場所が最重要機密だということくらい、きちんと理解していたのだろう。
ということは……。
「あのギギってゴブリン、子供たちと遊んでいた時は足も速くない感じでしたけど、やっぱり逃げる時は頑張ったんでしょうね」
僕も意見を口にしてみた。ゴブリンの鬼ごっこを見てクリスタとカーリンが「モンスターにしては運動能力が低い」と言っていたのを思い出しながら。
そんな僕に対して、クリスタが微笑みを浮かべる。
「私もそう思うわ。モンスターだから潜在能力は高いのね。危険を感じれば、驚異的な力を発揮する……。あのゴブリンは、やっぱりモンスターなんだわ」
「ほんとだ。お馬さん、いないねー」
実際に入ってみると、小屋の中はガランとしており、窓から差し込む夕日の光だけで、全体が見て取れるくらいだった。
木製の柵や柱など、いかにも馬小屋という造りになっている。仕切られたブースは三つあるので、三頭まで収納できる馬小屋だったらしい。カビの生えた干し草が落ちていたり、空の飼い葉桶が転がっていたり、散らかったまま放棄された様子だ。使われなくなってから久しいようで、もちろん埃も積もっていた。
魔族の隠れ家かと思いきや、それらしき痕跡はない。ザッと見回してみたが、魔族どころか、中に入ったはずのゴブリンのギギも消えていた。
「ギギちゃん、どこ行っちゃったのかな?」
「あそこへ入っていったのよ」
アルマの言葉を聞いてクリスタが指さしたのは、一番奥の仕切り。かつてはそこで飼われていた馬もいるのだろうが、今は使われておらず、ギギの姿も見えないが……。
「なるほど、足跡か」
カーリンの呟きで、僕はハッとして視線を下へ向ける。
言われてみれば、埃の乱れた痕跡があった。小屋の入り口から、クリスタが指し示したブースまで続いている。一回往復した分だけのハッキリした足跡ではなく、何度も踏み荒らしたような跡になっており、いつもギギがここを通っている、という証だった。
「でもギギちゃん、いないよ?」
「うん、いないね。調べてみよう!」
ニーナを先頭にして、そちらへ向かう。
馬を閉じ込めておくために――でも頭は出せるように――、下半分の扉が設置されていた。かつては頑丈に施錠されていたのだろうが、現在では酒場のスイングドアのように、押せば簡単に開く有様だ。
探索するのであれば動き回ることになるし、ならば五人で入るには少し手狭だろう。
そう考えて、僕は扉の外側に立つ。
僕だけかと思いきや、カーリンも仕切りの中には入らなかった。しかも彼女は、槍を構えている。一応ここは魔族の施設であると想定して、いつ何が現れても対応できるように、警戒しているらしい。
「お前もか、バルトルト。では、こちらはお前に任せる」
カーリンはニヤリと笑ってから、ニーナたち三人に背中を向けた。彼女たちが入っていった場所ではなく、むしろ馬小屋全体に意識を向ける格好だ。
僕には、カーリンのような意図はなかったのだが……。彼女の期待を裏切れず、形だけでも警護役を務めることにして、腰からショートソードを引き抜くのだった。
壁や床をトントンと叩いたり、撫で回したり……。
三人の女の子たちが、かつての馬の寝床を調べるのを、僕は剣を手にしながら、ボーッと眺めていた。
アルマもニーナも無防備に背中を見せており、クリスタに至っては、這うように床を捜索しているので、こちらにお尻を突き出した格好だ。
もちろん三人とも僕の視線なんて意識しておらず、この状態で女性の臀部を直視し続けるのは、少し罪悪感を覚えてしまう。
ちょうど、そんなことを考えたタイミングだった。それまで動いていた彼女のお尻がピタリと止まり、クリスタの声が聞こえてくる。
「これでしょうね、おそらく」
その場の埃を手で払いながら、彼女が示したのは、床に刻み込まれた模様だった。僕の位置からでも、曲線と直線が見て取れる。
ニーナやアルマが歩み寄るのと同時に、カーリンがポンと僕の肩を叩いた。
「俺たちも行くぞ、バルトルト」
こうして全員が、馬小屋の中の不思議な模様に集合。クリスタも立ち上がり、五人で円形に並ぶ格好になった。
ちょうど円が描かれていたのだ。丸の中に走る直線は、星形のような組み合わせになっており、ただし『星』とは異なり突起が六つある形だった。
『六芒星ってやつだな、俺の世界の言葉だと』
ダイゴローとは別に、ニーナも感想を口にする。何やら複雑な想いがありそうな声だった。
「六つの出っ張り……。偽カトックのペンダントを思い出すね」
「魔王の加護とか言っていたやつか」
ニーナの言葉に応じるカーリン。あれとはかなり違う、と僕は感じたが……。ニーナのような見方をするのであれば、これこそ魔族が関与する証になるのだろうか。
「記号の形よりも重要なのは、何のために描かれているのか、という話だわ。もともとの馬小屋にあったとは思えないもの」
「そうだね。それで、クリスタはどう思うの?」
クリスタに頷いてから、質問で返すニーナ。聞くまでもないが一応は尋ねてみる、という感じの表情だった。
それはクリスタの方でもわかっていたに違いない。彼女は僕たちの顔を見回して、いつもの微笑みを浮かべた。
「みんなも同じこと考えてるみたいね。そう、これは一種の魔法陣。転移装置だと思うわ」
『魔法陣なら、俺の世界でも、漫画やアニメに出てくるぜ。悪魔を呼び出す異界の扉とか、邪悪から身を守る結界とか、強力な魔法を発動させるとか、そんな感じのやつだ。ここはファンタジーの世界だから、それが実在するってことだろ?』
ダイゴローの言葉に当てはめるならば、今回の場合は『強力な魔法を発動させる』になるのだろう。転移魔法が使えない者のために用意された、魔力による転移装置だ。
しかしダイゴローの『ファンタジーの世界だから、それが実在する』というのは、少し間違っている。転移魔法を発動させる魔法陣というのは、話には聞いたことがあるが、実際に目にするのは僕も初めて。ワームホールと同じで「そんなものは実在しない」と考える者もいるくらいの技術だった。
そのような疑わしい存在にもかかわらず、クリスタが普通に転移装置を口にしたのは……。
「うむ。魔族が関わるのであれば、そういうものがあってもおかしくない」
ちょうどカーリンが、僕の考えを先取りするかのように口に出す。僕は無意識のうちに、首を縦に振っていた。
「じゃあ、試してみようよ。これが転移魔法陣だっていうなら、ギギちゃんってゴブリンは、これで行き来してるんでしょ?」
「そういうことになるわね。私たちの想像通りならば、その先に魔族がいるはずよ」
ニーナとクリスタは、そう言いながら、魔法円の内側に足を踏み入れる。さらに二人は、しゃがみ込んで、床に手をついた。
「うん、行こう! ギギちゃんのところへ!」
アルマも元気よく二人の真似をして、僕とカーリンも続く。
五人全員が魔法陣に触れたところで、ニーナが宣言した。
「みんな準備はいいかな? じゃあ一斉に魔力を込めて、向こう側へ転移しよう。せーのっ!」
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