普通はモンスターが近寄ろうとしない街や村に、モンスターが襲ってくるとしたら……。
確かに、真っ先に頭に浮かぶのは、魔族の仕業だろう。
アーベントロートの事件では、二度も街に現れたゴブリン軍団は、どちらも偽カトック――『機械屋』と名乗る魔族――が呼び寄せたものだった。最後の戦いで集まってきたモンスターはもちろんのこと、森を歩く間に「今日はモンスターの出現頻度が高い」と言われていたのも、こっそり魔族が招き寄せていたに違いない。そもそも最初に偽カトックが街の自警団に拾われた際、いつもより手強いゴブリンが出てきたという話も、演出のために魔族が用意した状況だったのかもしれない。
アーベントロートの事件だけではない。アーべラインの『回復の森』で遭遇した魔族も、やはりモンスターと関わっていた。偽カトックこと『機械屋』がモンスターを操っていた手段は不明だが、黒フードの怪人つまり『毒使い』の場合は、それもハッキリしている。あの魔族は、特殊な笛を使っていたのだ。
『道具を使うにせよ、魔族独特の術にせよ、偽カトックはこっそりとモンスターを動かせたんだ。それと比べたら、あからさまに道具に頼った黒フードは、格下に思えるけどな』
僕の中のダイゴローが、魔族を馬鹿にする言葉を口にする。
一方、ニーナは顔を輝かせていた。
「そうだよね。その『ゴブリンの村』にも、おそらく魔族がいる。だったら……。カトックのこと、何か知ってるかも!」
「そういうこと。噂の詳細を聞いてみるまで、まだ確かなことは言えないけど……。現段階では、そう思って構わないでしょうね」
クリスタの発言は、僕たち全員の代弁だった。その言葉に頷いて、ニーナが宣言する。
「じゃあ、ほぼ決まり! 次は『ゴブリンの村』へ行こう!」
夕食のために一階の食堂ホールへ向かう際、先ほどの受付カウンターの近くを通りかかった。チラッと目を向けてみたが、宿泊客の対応をしているのは若い従業員であり、宿屋の主人の姿は見えなかった。
「いないみたいだね。手が空いてたら、あの話、聞かせてもらおうと思ったのに」
「夜遅くに入ってくるお客は少ないでしょうから、もう少し時間が経てば、暇になるんじゃないかしら?」
ニーナとクリスタが、そんな言葉を交わしている。僕と同じように、受付カウンターが気になったようだ。
「その話は後だよ、ニーナちゃん! 今は食事ー!」
行きにも使った宿屋だから、料理が美味しかったことも覚えているのだろう。期待に胸を膨らませたアルマが、満面の笑みを浮かべて、食堂ホールへ駆け込んでいく。
「ここのテーブル、空いてるー!」
場所も確保してくれたアルマ。
こうして、夕食の時間が始まったのだが……。
僕たちに料理を運んできてくれたのは、宿屋の主人だった。
「あら! わざわざ、どうも」
クリスタが驚きの声を上げる。数日前に泊まった際は、こういうのは若い女給の仕事だったのだ。
「まるでVIP待遇ですね」
「そこまでじゃないけどね。ほら、お客さんたちは、この間も来てくれたばかりだろ? それに、話の途中だったからさ」
ニーナの冗談に対して、主人は軽く返す。テーブルに食べ物や飲み物を置いても厨房には戻らず、彼は空いた席に座った。
「ちょうど話の肴になるだろうと思ってね。食べながら聞いてくれ」
そう言って、『ゴブリンの村』について語り始めた。
ブロホヴィッツの街から北へ向かったところに位置する、クラナッハ村。そこが、最近『ゴブリンの村』と呼ばれている村だった。
「小さな村だよ。一応、工芸品が名産物で、子供向けのからくり玩具なんかも作ってる。案外お客さんたちも、小さい頃、クラナッハ製の玩具で遊んだかもしれないねえ」
そんな平和な村に、いつの頃からか、ゴブリンが出没するようになったという。
「しかも、一度や二度じゃないらしい。ところが……」
難しい顔で、言葉を濁す主人。
話を促す意味で、ニーナが質問した。
「頻繁に襲われてるんですか? だったら、クラナッハ村、大丈夫なんですか?」
「いやいや、別に『襲われてる』ってわけじゃないんだ。なにしろ……」
宿屋の主人は苦笑する。
「……問題のゴブリンは一匹のみ。それも、かなり特殊な個体でね。いつの間にか村の中にいて、全く暴れる様子はなく、子供に混じって遊んでいた、って話まであるそうだ。平和なモンスターだよ」
「えっ……」
絶句するニーナ。
僕も驚いた。
ゴブリンといえば、普通は駆除対象のモンスターだ。以前に一度だけ見かけた早起き鳥ならば、ペットにされるという話もあるのだが……。
『でもバルトルト、お前、確か言ってたよな? ゴブリンやウィスプも一部の好事家の間ではペットとして売買されている、って』
そういう例がないこともないが、あくまでも例外中の例外だ。しかし可能性としては考えられるので、思い切って尋ねてみた。
「そのゴブリンって、誰かが飼い慣らしたペット・モンスターなのですか? クラナッハ村には、そういう好事家がいる、とか……」
「違うようだよ。話で聞いた限り、誰に飼われているわけでもない、野生のゴブリンらしい」
首を横に振ってから、彼は話を続ける。
「いつの間にか村の中にいる、って言ったろ? 誰も気づかぬうちにフラッと現れて、また知らないうちにフラッと消えてしまう。ちょうど妖怪のナマズ男みたいな感じらしい」
ナマズ男というのは、勝手に家に入り込んで我が物顔で振る舞う、と言われている妖怪だ。気づいた時には家の者みたいな雰囲気になっており、「こんな人いたっけ?」と思いながらも追い出せない、というところが怖いらしい。恐怖の度合いは低いが、一応は怪談に出てくるお化けの一種だ。
『つまり、のっぺらぼうと同じ種類だろ? かなり前の話に出てきた、空想上の存在だ、ってやつ』
のっぺらぼうを覚えていたのであれば、その通り。ナマズ男も同じだから、理解しやすいだろう。
こうして僕がダイゴローへ説明している間に、今度はカーリンが主人に質問をぶつけていた。
「平和なモンスターならば、良いではないか。それほど物騒な話とも思えんが……?」
「そう思うのは、お客さんたちが冒険者だからだよ。いや、アーベントロートから戻ったばかりだからかな? あそこは本当にモンスターに襲われた、って話じゃないか」
この宿屋の主人が知っているように、アーベントロートのモンスター襲撃事件の噂は、既にブロホヴィッツまで届いていた。しかし宿屋の主人の口ぶりでは、事件の背後に偽カトックの暗躍があった、という詳細までは伝わっていないらしい。
もちろん、偽カトックが魔族だった、という事実は絶対に知らないはずだった。
そもそも魔族ということまで具体的に把握しているのは、アーベントロートでも、自警団サブリーダーのジルバたち一部の人間に過ぎない。もしも真実を広めようとしても、世間一般では魔族なんて伝説扱いだから、ホラ吹き扱いされてしまう。だから彼らは、決して口外しようとしないだろう。
「お客さんたち冒険者にとっては、ゴブリン一匹なんて、いつでも始末できる、取るに足らない存在だろうけど……。普通の人間にとっては、モンスターはモンスターだ。いくら平和に振る舞おうと、いつ牙を剥くかわからない、脅威の存在なんだよ。だから『ゴブリンの村』なんて呼ばれて、他の街や村からは気味悪く思われているし……」
ここで主人は、いったん言葉を区切ってから。
僕たちに顔を近づけて、いかにも内緒話だという表情を見せる。
さらに声のボリュームを下げて、思わせぶりな口調で告げるのだった。
「……だから近いうちに、この街の冒険者組合から討伐部隊が派遣されるんじゃないか、って話だよ」
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