「それは災難だったねえ……」
哀れむような声で、リーゼルがポツリと呟く。
昨日と同じく、夕食はリーゼルやフランツと同席だった。食べながら僕たちが一日の出来事を語って聞かせるのも同じだが、話を聞いた二人の表情は、昨日とは大きく異なっていた。
「まあ、仕方ないさ。昨日のジルバの件もあったからね。あたしたちがよく思われてないのは、もうわかってたよ」
従姉妹の言葉に対して、けろりとした顔で返すマヌエラ。声の調子も、肩をすくめてみせた仕草も、少しわざとらしいほどだった。
「そりゃあ自警団の中には、ジルバみたいな、カトックさんの信者もいるよ。でも……」
リーゼルの表情が曇る。
「……街の連中まで、そんな排他的な態度を示すとはねえ。あそこのケーキ屋、人当たりのいい性格だったはずなんだけど」
「皆が皆、あなた方を嫌っているとは思わないでいただきたい」
フランツが、珍しく口を挟んだ。こうした会話は、今までリーゼルに任せがちだったのに。
「アーベントロートの人間にとって、カトックさんは街の救世主だ。だから彼がいなくなることを過度に心配して、みなさんに悪く当たる者もいるようだが……」
フランツの顔に、自然な笑みが浮かぶ。
「……あなた方は、カトックさんとは深い関わりのある冒険者。もうそれだけで、カトックさんと同じくあなた方にも敬意を抱いている、という者もいるのですよ」
彼の言葉に、僕は大きく頷いていた。まさにフランツとリーゼルの二人が、そうした好意的な人間の代表例だと思えたからだ。
「だから……」
フランツは、さらに続けようとしたけれど。
マヌエラが、それを遮った。
「ちょっと待っておくれ。なんだか、外が騒がしくないかい?」
マヌエラの言葉が止めたのは、会話だけではない。全員が食事の手も止めて、その場が静かになった。
こうなると、意識して耳を傾けずとも、外から色々と聞こえてくる。足音や話し声など、多くの人々がこの家に近づいている様子だった。
耳からの情報だけではない。今まで気づかなかったが、窓に視線を向ければ、外が少し明るいのも見てとれた。もう暗いはずの時間帯なのに。
とはいえ、昼間や魔法灯のような明るさとは違う。朝焼けや夕焼けのような、赤みを帯びた色合いだ。
「なんだい、またジルバのやつが来たのかい?」
とリーゼルは口にしたが、彼女の表情を見る限り、本気でそう思ってはいないようだ。一人ではなく大勢なのは確実であり、そんな来客の予定はないからこそ、不気味だったり心配だったりするのだろう。
夫のフランツが、リーゼルの気持ちを和らげるかのように、その肩をポンと叩く。
「ちょっと失礼。様子を見てきます」
そう言って席を立つフランツは、まるで昨日の再現であり、既視感もあった。しかし昨日とは異なり、突然のゲストを連れてすぐに戻ってくる、というわけではなかった。
外からの騒音が一瞬だけ激しく聞こえたので、フランツが扉を開閉するタイミングは、僕たちにも伝わってきた。だから彼が戻ってこないのは、そのまま外に出続けている、という意味になり……。
「ちょっと心配だね。私たちも見に行こうか?」
リーダーであるニーナの提案に、僕も他の仲間たちも賛成。マヌエラやリーゼルも含めて、フランツの後を追う。
夕食は、完全に中断の形になった。
「うわっ!」
扉を開けて家の外に出た途端、小さく叫んだのはリーゼルだ。
僕たちに気づいて、フランツが振り返った。
「おや、リーゼルも……。それに、みなさんまで来たのですね」
「フランツさん、これは……?」
ニーナの問いかけに、彼は首を横に振る。
「私にも、よくわかりません。ただ言えるのは……。見ての通り、街の者たちです」
家を取り囲む群衆、という表現は大袈裟だろう。しかし、そう感じさせるほどの勢いで、たくさんの人間が集まっていた。
彼らは松明を手にしており、その炎に照らされた表情は険しい。全員が、こちらを睨みつけているようだった。
『あの松明だな。バルトルトの言ってた、朝焼けとか夕焼けとかの正体は……。ああ、嫌だ。こういう場面の炎って、なんだか狂気を思わせるぜ』
ダイゴローも僕と同じように、ピリピリした空気を感じ取っているらしい。
立ち止まった群衆の中から、代表者らしき男が前に出てくる。それは、僕たちも見覚えがある人物で……。
リーゼルが、彼の名前を叫んだ。
「ジルバ! またあんたかい!」
「おう、今日も来たぜ」
二日続けて、夕食どきの来訪だ。
まるで今から戦いに出向くかのように、金属製の鎧を着込んでいる。そこまでは昨日の再現だが、他の者たちと同じく右手に松明を掲げているのが、昨日とは異なる点だった。松明の炎に照らされて、胸元に下げた銀色のペンダントが、いっそう目立って見えた。
ジルバは僕たちの顔を見回してから、ニーナに視線を固定。
「あんたに話がある」
「……承りましょう」
彼の言葉を受けて、ニーナも前に出る。昨日のような激情に駆られた言い方ではないが、これはこれで慇懃無礼な口調であり、僕は心配になったが……。
そう思ったのは、僕だけではなかったらしい。
アルマとクリスタが声をかける。
「リラックスだよ、ニーナちゃん」
「落ち着いて対処してね。相手を刺激してはダメよ」
「大丈夫、わかってる。この家の人たちに、迷惑かかっちゃうもの」
チラッと振り返る彼女の顔には、微笑みが浮かんでいるように見えた。きちんとリーダーを務めてきたニーナの表情だ。
『この場にカトックは来てないから、まだニーナも冷静なんだろうさ。自分で「この家に迷惑かかる」って言ってるくらいだ。クリスタの「相手を刺激するな」発言の意味も、理解できてるようだぜ』
ダイゴローが改めて指摘したように、対応を間違えたら大惨事にもなりかねない場面だった。
街の一般市民といえば平和に聞こえるが、敵意を顔に浮かべて松明を手にしているのだから、いわば暴徒だ。その松明をもしも建物に投げつけられたら、あっという間に火事になってしまう。いや、ここは農園なのだから、建物ではなく畑に投げ入れられても被害甚大だろう。
僕が頭の中で最悪の事態を想像しているうちに、
「それで、どんな話を聞かせてもらえるのかしら?」
「ああ。ちょっと昨日の発言を訂正したくてな」
ニーナに促されて、ジルバが用件を切り出していた。
「……訂正?」
「そうだ。俺は言ったよな? 早く街から出てってくれ、カトックさんを連れてかれるのは困るから、と。そのことなんだが……」
「えっ? それを訂正するということは……!」
ニーナの声の調子が変わった。
僕の位置からでは彼女の顔は見えにくいし、そもそも、松明だけが光源となっているような暗い夜だ。表情なんてわからないはずだったが、声を聞くだけで、ニーナの華やいだ顔が伝わってきた。
しかし。
ジルバは大きく首を横に振る。炎に照らされた顔には、冷ややかな笑みが浮かんでいた。
「勘違いしないでくれ。早く立ち去ってくれ、という気持ちに変わりはない。問題は、その理由の方だ」
「……どういうこと?」
困惑したような声で聞き返すニーナ。
僕も同じ気持ちだった。「カトックを連れ出すのは困る」という部分を『訂正』するということは、「早く街から出ていくのであればカトックが一緒でも構わない」という意味になるのだろうか?
ここに集まった街の人たちの様子を見る限り、そんなに都合の良い解釈が成り立つようには思えないのだが……。
「昨日は『俺が言いたいのはそれだけだ』って言っちまったが……。自警団の仲間と相談するうちに、気が付いたのさ。あんたたちが街にいたら困る理由は他にもあるんだ、ってな。もっと大きな、街に直接の被害が出るような理由だ」
ジルバの言葉で、ようやく僕は理解する。
言い方が紛らわしかっただけで、別に彼は、昨夜の発言そのものを『訂正』するつもりはないらしい。むしろ『追加』する形なのだ。
とはいえ、僕に理解できたのはそこまでだった。肝心の内容――僕たちの存在が街に被害を与える――については、サッパリ意味がわからない。
それはニーナも同じようで、彼女は、先ほどと同じ言葉を繰り返す。
「……どういうこと?」
「そうか。あんたたち、やっぱり自覚がないんだな……」
ジルバが大きくため息をつく。
後ろでは、街の者たちがザワザワと騒ぎ始めていた。それをかき消すかのように、彼は声のボリュームを上げる。
「じゃあ、ハッキリ言ってやろう。あんたたち冒険者がいると、昨日みたいに、アーベントロートがモンスターに襲われるんだ! だから出てってくれ!」
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