「おい! 待てと言っているだろうに!」
チラリチラリと振り返れば、浅黒い肌と青い軽装鎧が視界に入る。
武闘家は大声で叫びながら、僕を追い続けていた。
ただしその足取りは、アルマとゴブリンを追っていた時よりも、明らかに鈍くなっている。まだ疲れるには早いだろうし、僕との戦いでダメージを負ったからに違いない。
逆に僕の方は、格段に速くなっていた。転生戦士ダイゴローに変身したことで、身体能力が向上しているのだ。
僕が全速力で逃げたら、武闘家の追跡なんて、簡単に振り切れるはず。でもそれは本意ではないので、何度も後ろを確認して、加減しながら走り続けるのだった。
『お前の目的は、自分が逃げることじゃなく、アルマたちを逃がすことだもんなあ』
改めてダイゴローが言う通り、僕は武闘家の注意を引きつけたい、という状況だった。
バトルジャンキーっぽい彼は、拳と拳の殴り合いを始めると、そちらに意識が向いてしまうのだろうか。肝心のゴブリンについては、すっかり忘れてしまったようにも見えるが……。
そんな彼でも、もしも僕の姿を見失えば、本来の理由を思い出すかもしれない。それどころか、先ほど蹴り飛ばされた衝撃で頭の中がリセットされて、既に思い出しているかもしれない。
だから武闘家を引き寄せる囮とはいえ、あからさまにアルマと違う方角へ向かうわけにはいかなかった。一応、ゴブリンたちと合流するように見える方向へ、僕は走っていた。
『といっても、本当にアルマたちに追いつくつもりはないんだろ?』
もちろんだ。
それでは、この厄介な武闘家を案内する形になってしまう。
とりあえず、アルマとゴブリンが向かう先は予想できている。村の北の外れにある、転移魔法陣の馬小屋だ。現在の進路はクラナッハ村を南から北へ縦断する形だから、僕は追手を引きつけたまま、適当なところで東か西へ曲がれば良い。
そう考えていたのだが……。
ギリギリで武闘家が僕を見失わないよう、適度な距離を保ちながら走り続けるうちに。
僕の視界に入ってきたのは、屋根の赤い、大きな民家。見覚えのある建物だった。
『確か、あそこを曲がったところに公園があったよな?』
ダイゴローの言葉に、心の中で頷く。
住宅街という雰囲気ではなく、建物も疎らになりつつある辺りだ。そんな中、横道へ入るところに大きめの邸宅が建っていたので、印象に残っていた。三日前、カールとパトリツィアに村を案内された時の出来事だ。
「よし!」
『なるほど、そういう作戦か!』
強い決意の声と同時に、僕は詳細を思い浮かべたのだろう。その考えは、ダイゴローには筒抜けだった。でも反対してこないのだから、悪い計画ではないはず。
自信を深めてから、改めて後ろを振り返る。青鎧の武闘家と目が合うと、またもや彼は叫び声を上げた。
「逃げるな! 正々堂々、俺と戦え!」
武闘家の言葉を無視して、赤い家の横で、僕は東へ曲がるのだった。
横道に入ってすぐの辺りにあるのは、木々の多い公園。小さな一軒家がスッポリ入るくらいの広さであり、四度目にゴブリンが現れた場所だという。
周囲を確認したが、視界に入る範囲内に、通りを歩いている村人の姿は全く見えない。公園で遊んでいる子供も、一人もいなかった。
『この間は、何人かの子供たちが遊んでたが……。今日は、まだ少し時間が早いんだろうな』
青い武闘家を含む三人組の冒険者、ドライシュターン隊。彼らと戦ったり逃げたりしたために、感覚としては、宿を出てからかなりの時間が経っていた。だが実際には、まだ朝と呼んでも構わない時間帯なのだろう。
考えてみれば、三日前にこの公園まで案内された時だって、宿屋のある広場から近い順で二番目だったのだ。ここまで来るだけで、それほど時間がかかるわけもなかった。
あの時は、その前の公園でも調査があったのでその分遅くなり、ここで子供たちが遊び始める時間帯になっていたらしい。
とりあえず、子供がいないという点を除けば、三日前に見たのと同じ姿の公園だ。つまり、大木や大型遊具が置かれている。雲梯というわかりやすい遊び道具の他に、何を象っているのか不明の石柱とか、子供でも一人か二人しか入れない木造の小屋とか。
その『小屋』に向かって駆けていき、僕が中に身を隠したところで……。
「あの野郎! 急にスピード上げやがって!」
武闘家の声が聞こえてきた。
「だが逃がさんぞ! この俺に、あれほどの蹴りを叩き込んだからにはなあ。それ相応の報いを受けてもらわねば……」
その声は、だんだん遠くなっていく。
この近辺で立ち止まって周囲を見回したのではなく、走り去りながらの言葉だったらしい。それらしき足音も、声と一緒に小さくなっていった。
『上手くやり過ごせたようだな』
色々と運が良かった。公園に子供たちがいたら隠れること自体が無理だったし、道端を歩く村人がいてもダメだったはず。
いくら短慮な武闘家でも、僕の姿が消えた近くで通行人を見かけたら、走り去ることはなかっただろう。この武闘家が強面で脅すようにしながら僕の行き先を聞いて回れば、ここに誰かが隠れていることを、村人はアッサリ白状してしまったに違いない。
『面白い偶然だな。今のバルトルトがやってること、まるでかくれんぼだろ?』
そもそも武闘家の方では僕が隠れたとは思っておらず、先へ行ったと考えているのだから、少し状況は異なるが……。ある意味では、かくれんぼのようなものかもしれない。
そして、ダイゴローの言葉で、僕も思い出した。この公園にゴブリンのギギが現れた際、子供たちは、かくれんぼをして遊んでいたという。
なるほど『面白い偶然』だった。
……というより、そのエピソードを聞いていたからこそ、無意識のうちに僕の記憶に残っていて、このような作戦を思いついたのかもしれない。
『ああ、そうだな。そう考えれば、偶然じゃなく必然になるわけか。その偶然は必然、ってやつだ』
そんな感じで、心の中のダイゴローと無駄話をしながら、少し待ってみる。だが武闘家が戻ってくる気配はなかった。
『そろそろ、いいんじゃねえか? あいつ、いもしないお前を、まだ追い続けてるみたいだぜ』
「そうだね」
心の中だけでなく、口に出して賛同したのは、心にゆとりが出来たせいかもしれない。
とにかく、これ以上ここで身を潜めている必要もないので、まずは出ようと思ったのだが……。
『待て、バルトルト』
ダイゴローがストップをかける。
『ここならば誰にも見られてないが、おあつらえ向きの場所がまた出てくるとは限らんだろ? 今のうちに、変身を解いておけよ』
僕としては、変身状態を保ったまま、アルマとゴブリンを追いかけるつもりだった。
転生戦士ダイゴローの能力で、目的地の馬小屋の近くまで瞬間移動。そうすれば確実にアルマたちと合流できる、というプランだ。
しかし。
よく考えてみれば、合流前に、元の姿に戻っておく必要があるわけで……。
『物語の変身ヒーローの話になるが、俺の世界の有名なヒーローの中には、いつも電話ボックスの中で変身する、ってやつもいてな。まあ今じゃ電話ボックス自体、設置されてる場所が減っちまったが、昔は至るところにあったから……』
ダイゴローが悠長な話をし始めた。そもそも『電話ボックス』が何なのか僕にはわからないのだが、話の流れから考えて、この小屋みたいな存在なのだろうか。
だが、それよりも大事なことは……。
「ちょっと待ってよ、ダイゴロー。馬小屋まで一気に瞬間移動しちゃえばさ、その中で変身解除できるんじゃないかな? まだアルマもゴブリンも到着してないだろうし、先回りすれば誰もいないから……」
我ながら名案! そう胸を張りたいくらいの気持ちに、ダイゴローが水を差した。
『考えが足りないなあ、バルトルトは。お前が先行してたら、不自然じゃねえか。アルマの目から見たら、バルトルトは武闘家の足止めに失敗したはずなんだぜ。あの武闘家にやられて、どこかでダウンしてる、って思われてるだろうよ』
なるほど、そう言われると、僕が馬小屋で待っていたら、確かに不自然な気がしてきた。
ということは……。
『瞬間移動なんて楽することは諦めて、一人の人間として、地道に走って追いかけることだな』
皮肉じみた口調のアドバイスを、おとなしく受け入れるしかない。
僕は変身を解いてから狭い小屋を飛び出し、村の北外れへ向かって駆け出すのだった。
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