「……小型馬車が借りられるかどうか、探してみようか」
というマヌエラの言葉を耳にした途端。
前にいたニーナが、凄い勢いで振り向く。
「それに乗って、早速アーベントロートへ向かうのね!」
マヌエラは苦笑いしながら、ニーナをいなすようにして、軽く手を振ってみせた。
「いやいや、そう逸るでないよ。実際に行くのは明日で、今日は馬車を探すだけだ。あたしの従姉妹の話だと……」
ここブロホヴィッツの街から目的地アーベントロートまで、小型馬車で行くならば、少し遅めの朝に出ても夕方には着くはず。
しかし馬車が確保できずに歩いて行くとなると、夜明け前に出発して、深夜遅くに到着となるだろう。
「だから今日のうちに、馬車が使えるか使えないか、わかってないと困るのさ。明日の出発時間が変わってくるからね」
それがマヌエラの説明であり、とても納得できる話だった。でも僕の頭の中には、僕とは違う者がいた。
『どっちにせよ、到着は明日なんだな? 徒歩でも馬車でも同じなのか?』
不思議そうな声のダイゴロー。
今の説明にあったように、同じ明日とはいえ、所要時間は大きく異なるのだが……。
『いや、馬と人だったら、もっと大きく違う気がするからさ。ほら、この世界の馬車は速いんだろ?』
ああ、なるほど。初めて乗ったのが大陸横断の乗合馬車だから、ダイゴローは、微妙に勘違いしているわけだ。
ここまでの馬車は、蒼の疾風という特別な馬に牽引されていたが……。
乗車時の説明を思い出してもらいたい。蒼の疾風が用いられるのは、長距離馬車に限った話。ここから先は小型の個人馬車になるから、馬も普通の馬となり、それほどのスピードは出せないのだ。
『おお、わかったぞ! つまり、今までは高速道路を飛ばしてきたのが、この先は一般道を走ることになる……。そんな感覚だな!』
彼の世界の用語で例えられると、むしろ僕がわからなくなる。でも今まで彼が身近な例を引き合いに出すのは、正しく理解できた場合だけのはず。ならば、きっと今回も大丈夫に違いないと思えた。
「小型の馬車って、あれだよねー?」
アルマが、案内役であるはずのマヌエラより先に、小型馬車の集まっているところを見つけた。従姉妹からの手紙には、この広場の詳細は書かれていなかったらしい。
小型馬車の場合、長距離馬車のような案内窓口は、わざわざ用意されていないのが普通だった。だから、それぞれの馬車と直接交渉する形になる。
何台も馬車が停車している場所へ、アルマが走っていくのに続いて、僕たちも向かう。
「おじさん! アーベントロートまで、お願いできるかな?」
「えっ、今から行くのかい?」
気さくに話しかけるアルマに対して、空き馬車の御者台にいた中年男性は、少し驚いたような顔を見せた。
慌ててマヌエラが駆け寄り、話に割り込む。
「違う、違う。さすがに今からじゃ、到着は非常識な時間帯になるからねえ。あたしたちが借りたいのは明日さ。明日の朝から夕方で、アーベントロートへ行きたいんだけど……。大丈夫かい?」
「ああ、予約かい。ええっと……」
小型馬車の御者は、マヌエラの後ろにいる僕たちを見回して、人数を確認。
「……全部で六人だね? もちろん、大丈夫さ!」
続いて、出発の時間やレンタル料など、細かい打ち合わせに入る。
その交渉の間、またダイゴローが脳内で騒いでいた。
『これも少し勘違いしてたぜ。馬車を借りるって言うから、誰が馬の手綱を握るのか、少し不思議だったんだが……。御者ごと借りるんだな!』
何を今さら言い出すのだろう?
ここまでの乗合馬車だって、僕たち乗客の誰かが馬を操るのではなく、きちんと御者が用意されていたではないか。そこは小型の馬車でも同じことだ。
『いや、さっきまでの乗合馬車は乗合馬車だからな。俺にしてみれば長距離バスみたいな感じで、運転手がいるのは当たり前だ。でも今度は馬車を借りるって話だろ? だったら、レンタカーみたいなもんか、って思うじゃねえか。でもレンタカーというより、タクシーだったんだな!』
まくし立てるダイゴローは、また彼の世界の用語を使っている。僕にはわからない言葉だが、それで彼が理解できたならば構わないし、ダイゴローも僕に用語説明する気はないだろう。
『ああ、すまんな。でも確かに、よくわかったぜ。言われてみれば、こうして小型馬車が集まってる様子なんて、まさに駅前のタクシー乗り場だからなあ!』
「それじゃ、親父さん。明日は頼んだよ」
「ああ、任しといてくれ。アーベントロートなら何度も行ってるから、バッチリさ!」
僕がダイゴローとの脳内会話に意識を向けている間に、交渉は成立したらしい。
「おじさん、また明日ー!」
と手を振るアルマと共に、マヌエラは僕たちのところに戻ってきた。
「さてと。これで明日の交通手段は確保できたから、あとは明日の朝まで、ゆっくり休むだけだね。今晩の宿屋は、従姉妹の手紙にオススメが書いてあったから、そこへ行こう」
「わーい、地元の人のオススメ! 名物料理、あるかなー?」
ニンマリと笑うアルマに対して、マヌエラは少し微妙な顔をする。
「あー。そこの宿屋の食堂には、美味しいハーブティーがあるらしい。知る人ぞ知る名店、って感じで」
食べ物ではなく飲み物で申し訳ない、というニュアンスだった。ここまでの旅の間にマヌエラも、アルマを食いしん坊と認識していたようだ。
翌朝。
緑色の屋根が特徴的な、小洒落た外観の宿屋を後にして。
僕たちは、小型馬車の乗り場へと歩き始めた。
見上げれば、空は青々と澄み切っている。今日は何か良いことがありそうだ、という気分になる。
「朝食も美味しかったね! さわやかな味だったー!」
「そうだね。帰りも同じ宿を使うこと、決まりだね!」
笑顔のアルマに、同じ表情で応じるニーナ。
「本当に、良いハーブティーだったわ」
「うむ。心が落ち着く味だった」
「帰りに立ち寄った際には、茶葉をいくらか買っていきましょう」
クリスタとカーリンも、そんな言葉を交わしている。
特にクリスタは、ここのハーブティーがすっかり気に入った様子。
ふと見れば。
みんなの反応が嬉しいらしく、宿屋を決めたマヌエラも、満足そうな表情を浮かべていた。
花壇を中心とする広場では、馬車の数が、昨日の夕方よりも少ないように思えた。朝といっても少し遅めなので、既に街の外へ出た馬車も多いのだろう。
予約した小型馬車は、昨日と全く同じ場所に停車しており……。
「おはようございます! よろしくお願いします!」
乗合馬車の時のように、元気に挨拶しながら、真っ先にニーナが乗り込む。続いて他の五人も乗り込むと、
「みんな乗ったね? それじゃ出発するよ!」
御者の合図で、アーベントロート行きの馬車は走り始めた。
『なるほど、バルトルトの言った通りだな。サスペンション云々の都合で、乗り心地は違うらしい』
馬車の旅が始まってすぐの頃に話したことだが、その辺りの説明は、ダイゴローもしっかり覚えていたようだ。
『そりゃそうだ。あの時のバルトルト、熱く語ってたからなあ』
それほどではなかったと思うが……。
ともかく。
ダイゴローも気づいた通り、今度は小型馬車なので、長距離の乗合馬車と比べてスピードは遅いにもかかわらず、揺れは大きい感じだった。また、路面のデコボコが、結構ダイレクトに伝わってくる。
とはいえ、腰や尻が痛くなるほどではないし、これくらいならば許容範囲内。歩いて行くより、よほどラクだろう。
これが馬車の旅というものだ……。そう考えれば、むしろ楽しめるくらいだった。仲間の顔を見回すと、みんなも僕と同じだろう、と思えた。
そうやって、馬車に揺られる一日を過ごして。
この日の夕方、ようやく僕たちは、目的地のアーベントロートに到着した。
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