夕焼け空を背景にして、アーベントロートが見えてきた時。
そこは、アーベラインやブロホヴィッツ、これまで乗合馬車で通ってきた他の街と比べて、半分くらいの規模に感じられた。僕は改めて、最初のマヌエラの説明にあった「本当に小さな街」「むしろ村って言った方がいいくらい」という言葉を思い出す。
そんなアーベントロートの中に、馬車は入っていき……。
「さあ、着いたよ!」
と言いながら御者が馬を停めたのは、日時計らしき石柱を中心とした、こじんまりとした広場だった。
「お世話になりました!」
リーダーであるニーナに続いて、
「ありがとー!」
「ありがとうございました」
他の者たちも、挨拶しながら馬車を降りていく。
ブロホヴィッツで降車した時と、同じような光景だ。
ただし今度は、僕たちだけのために、ここまで走ってくれた小型馬車なのだ。だから僕は、同じ「ありがとうございました」でも、いっそうの気持ちを込めて口にするのだった。
ブロホヴィッツと違う点は、他にもあった。
「さあ、こっちだ」
今度は、広場周辺の詳しい案内が、従姉妹からの手紙に同封されていたらしい。地図を手にしたマヌエラは、広場に繋がる小道の一つに、自信を持って向かっていく。
彼女に先導される形で、僕たちも歩き始めた。
「この先にあるのが、カトックが世話になってる教会なのね?」
「違うんじゃないかしら。まずは、マヌエラの従姉妹のお宅へ行くのでしょう?」
そんな言葉を交わすニーナとクリスタに、マヌエラが振り向いて説明する。
「クリスタが正解だ。とりあえず、挨拶に向かうよ。あたしたちは、そこに泊めてもらう形になるからね」
「あら。あなただけじゃなくて、私たちまでお世話になって構わないの?」
少しだけ驚いた様子のクリスタ。
僕も彼女と同じく、てっきり宿屋に泊まるものだと思っていたのだが……。
「もちろんさ。従姉妹の家は広いからね。六人くらいは余裕だし、大歓迎だって言ってたよ!」
誇らしげな顔で、マヌエラは保証するのだった。
マヌエラに案内された先は、郊外にある農園だった。
もともと街というより村という感じのアーベントロートだ。街外れまで来れば、土地は余っているのだろう。広々とした緑の中にある、青い屋根の大邸宅だった。
「大きなお家ー!」
「そっか。これなら、カトック隊みんなで泊まれるね……」
アルマやニーナが、感嘆の声を上げる。
僕は僕で、それこそ宿屋みたいだ、と思ってしまう。
『そうだな、バルトルト。まるで、田舎の小粋なペンションだ。北海道の大自然にありそうな……』
相変わらず言葉の意味はよくわからないが、どうやらバルトルトも、僕と同じように感じたらしい。
「いらっしゃい! 遠いところをわざわざ……。あたしゃ嬉しいよ!」
「リーゼル、久しぶり! 会いたかったよ!」
僕たちを出迎えたのは、マヌエラと同じく、紫色の髪を持つ女性だった。年齢もマヌエラ同様、二十代前半あるいは半ばくらい。体つきも武闘家のマヌエラとよく似ているが、冒険者ではないのだから、おそらく畑仕事でついた筋肉なのだろう。
親愛の情を込めて、グッとハグする二人。それを解いてから、改めてマヌエラは、こちらへ向き直った。
「紹介するよ。これがあたしの従姉妹、リーゼルさ!」
「どうも。歓迎しますよ、カトック隊のみなさん」
軽く頭を下げてから、リーゼルは、後ろに控えている者を指し示す。
「それで、こっちがあたしの旦那……」
「フランツです、よろしく」
三十過ぎくらいの、茶髪の男性だ。半袖のシャツを着たその姿からは、細身だが筋肉質という雰囲気が漂っていた。
「まずは、みなさんをゲストルームへ案内してもいいんだけど……」
リーゼルは、チラッとフランツと目を合わせて、彼が頷いたのを確認してから、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「……みなさんは、カトックさんに会いに来たんですよね? だったら、先にカトックさんのところへ案内した方がいいのかねえ」
「今から早速、連れてってもらえるんですか?」
案の定、ニーナが食い気味に反応を示した。
対照的に、落ち着いた口調で、クリスタも言葉を挟む。
「もしかして、私たちが来ること、既にカトックには伝えてくださってるのかしら?」
しかしリーゼルは、ニヤニヤ笑いながら、首を横に振った。
「いやいや、まだなんだけど……。ほら、こういうのは、先に言っちゃったら面白くないからね。サプライズのために、カトックさんにも、彼の周りの自警団の連中にも、秘密にしてますよ」
カトックとの再会は、ニーナにとっては真剣な問題だ。ある意味、これまでの活動の集大成とも言えるはず。
それをサプライズ·パーティーのように扱われたら、さぞかし気を悪くするのではないだろうか。
チラッとニーナの方を見ると、露骨に顔を曇らせたわけではないものの、微妙な表情になっている。リーゼルも気づいたらしく、少し説明を加えた。
「ああ、誤解しないでくださいね。サプライズにしたのは、みなさんのためでもあるんです。ほら、カトックさんは記憶喪失だろ? だったら予備知識なしに、みなさんの顔をいきなり見たら、その衝撃で記憶が蘇るんじゃないか……。そう思ったのさ!」
『おいおい。そんな、しゃっくりじゃあるまいし……。記憶喪失って、びっくりさせると治るものなのか?』
僕の心の中では、ダイゴローがツッコミを入れている。
この方面に関する専門知識はないので、僕には判断しかねるが……。誰も口に出して反論しない以上、そういう考え方もあるのだろう、と納得するしかなかった。
彼女の夫フランツを一人残したまま、今度はリーゼルが案内役となって、僕たちはカトックの居場所へと向かう。
「カトックさんは、今日は自警団を率いて、例の森へ行ってるはずでね」
「じゃあ、私たちも森へ行くんですか?」
リーゼルの説明に、やはり真っ先に飛びつくのはニーナだった。
先導役のリーゼルと、並んで歩いている形だ。それだけ気が逸っているからだろうが、カトック隊のリーダーとして僕たちの先頭に立っている、という見方も出来るかもしれない。
「いやいや、違うよ。あたしゃ、あんな危険な森には入れないからね」
と、大袈裟に肩をすくめるリーゼル。
一瞬だけ夕方の空を見上げてから、ニーナの方を向いて、笑みを浮かべる。
「でも、安心おし。もう戻ってきてる時間だろうさ。だから教会に行けば、カトックさんに会えるはずだよ」
「ありがとう!」
明るい表情のニーナ。彼女の心の中は、今やカトックのことでいっぱいに違いない。
それよりも僕は、だんだんリーゼルがフランクな話し方になっている、という点に意識を向けていた。
僕たちカトック隊は、ある意味アーベントロートの英雄とも言えるカトックと、同じ冒険者だ。リーゼルの家に泊めてもらう立場だが、リーゼルにしてみれば、ごく普通のゲストではなく、最上のもてなしをしたいくらいかもしれない。
『それは言い過ぎかもしれんが……。まあ最初の出迎えの態度には、ちょっと、そんな雰囲気もあったかな』
と、僕の中のダイゴローも、部分的に賛同してくれる。
でも、それでは『泊めてもらう立場』の僕としては、恐縮してしまう。だから、少しくだけた態度で接してもらえる方が、気楽に思えるのだった。
かなり街の中心へ入ったようだが、まだ家並みはまばら。牧歌的な村のような小さな街なのだ、と改めて感じさせられる。
そんな雰囲気の地域に、目的の教会は存在していた。独特のシンボルマークを屋根に備えた、灰色の建物だ。
『ほう。この世界でも、教会は十字架なのか……』
というのが、建物を目にしたダイゴローの第一声だった。どうやら彼の世界でも、シンボルマークは同じらしい。
僕が心の中の声へ意識を向けている間に、先頭を歩く二人は、教会の正面扉に辿り着き……。
「カトックさん、いるかい?」
大声で呼びかけてから。
返事を待たずして、リーゼルが扉を開いた。
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