「ヴォヴォヴォヴォ……!」
ヴェノマス・キングから伸びる触手の向かう先は、こちらではなかった。まだ僕とは距離のある、仲間たちの方角だ。
どうやら、ニーナとカーリン――主人を殺した二人――が標的らしい。
『まるで仇討ちだな。あの怪人の言い残したような暴走とは違って、むしろ素直な……』
怪物の心境を想像している場合ではない!
ニーナもカーリンも、ようやく立ち上がったばかりで、ジャンプして避けるのは難しそうだった。クリスタが防御魔法を唱えたとしても、彼女の場所からでは、二人をカバーする形で光壁を展開するのは無理だろう。
ならば。
「僕が行く!」
気合の叫びと共に、泉に向かって走り出して……。
短い助走の後、転生戦士ダイゴローの驚異的な跳躍力で、大地を蹴った!
水面の上に飛び出した僕は、中央に浮かぶヴェノマス・キングのところまで、一気に凄い距離を跳んでいく。
最後に少し体を捻って、
「えいっ!」
触手を伸ばしていた怪物に、肩から体当たりだ。
その勢いで、ヴェノマス・キングの触手の軌道が、ほんの少しずれる。
あくまでも『ほんの少し』だったが、それで十分だった。触手の先端はニーナやカーリンを捕らえることなく、二人の横を抜けていったのだ。
チラッと仲間の方を振り返り、そこまで確認したところで……。
足場のない空中から泉の中へ、僕はヴェノマス・キングと一緒に、ドボンと水没するのだった。
毒の蔓延する泉に落ちていくのは本日二度目だが、アルマを助けに飛び込んだ時とは違う。今回は転生戦士ダイゴローに変身した状態であり、色々と身体能力が――毒に対する耐久性も含めて――向上している。
先ほどと比べたら、それほど辛くはなかった。
『油断するなよ、バルトルト!』
わかっている。
でも、この粘度の高い毒の中でも、普通に目を開けていられる。この点は、戦いにおいて大きなポイントになった。
ヴェノマス・キングを逃さないよう、その全身を左腕でギュッと抱き抱える。頭部しかない怪物だと思えば、いわばヘッドロックみたいなものだろうか。
その状態をキープしながら、右手でパンチの連打。
『左手でやってるのがヘッドロックなら、こっちはナックルパートだな!』
僕の頭の中では、ダイゴローが嬉しそうに盛り上がっているが……。
戦っている僕の方は、そんな気分とは程遠かった。あまり有効打にはなっていない、という感覚だったのだ。
こいつの主人には魔法が効かず、ニーナやカーリンといった冒険者の剣と槍で始末したわけだが、見た目からして違うように、特性が同じとは限らない。この怪物に対しては、物理攻撃は効果が薄いのかもしれない。
むしろ逆に、殴っている僕の手の方が痛いくらいだ。ヒリヒリするというより、ピリピリするような……。
気のせいか、左腕にもジンワリとした痺れを感じる。
『毒の塊を抱きかかえて、素手で殴ってるようなもんだろ? そりゃあ、バルトルトの方がダメージ受けるのも当然だぜ!』
そもそも相手が毒の塊というだけでなく、毒の水に取り囲まれた状況なのだ。完全に、僕には不利な戦場だった。
『ああ、そうだ! 早く脱出しろ!』
ちょうど、沈み込んでいくのも終わりとなり、足が泉の底に届くタイミングだった。
僕はヴェノマス・キングを羽交い締めにして、両脚で思いっきり、底の固い土を蹴る。
転生戦士ダイゴローの驚異的な跳躍力により、僕の体は再び、水面に向かってグングン浮上し始めた!
僕とヴェノマス・キングは、一つの塊となって、ザバーッと水面から飛び出す。
そこに、クリスタの呪文詠唱が聞こえてくる。まるで、僕たちが出てくるのを見計らって、あらかじめ用意していたかのようなタイミングだった。
「エントフェアネン・ギフト!」
クリスタの魔法が、こちらに向かって飛んできて……。
白い光が、僕とヴェノマス・キングに直撃する!
『おい、バルトルト! クリスタのやつ、お前もろとも殺っちまおう、って魂胆か?』
ダイゴローは慌てるけれど、大丈夫。
彼女が唱えたのは、解毒魔法だった。僕には使えない魔法だが、詠唱語句くらいは、僕だってきちんと覚えている。だから安心して、受け入れたのだった。
実際。
温かく感じられるほどの魔法に包まれて、少し気分が楽になったくらいだ。完全ではないが、泉で受けた毒が浄化されたのだろう。
逆に。
「ヴォヴェヴォヴェエエ……!」
ヴェノマス・キングは苦しそうな声を上げて、悶え苦しんでいた。
『おう! こいつは毒の塊みたいなもんだからな!』
ダイゴローが再び、怪物を『毒の塊』と呼ぶ。このフレーズが気に入ったのだろうか。
同じような脱出方法だったが、アルマを助け出した時とは微妙に違う。
今回は近くの岸へ向かうのではなく、水面までの最短距離、つまり直上めがけて進めるようにと、湖底を蹴り上げていた。
だから泉から飛び出した後も、その勢いのまま、僕の体は天に向かって飛び続けているが……。
この挙動は少しの間しか続かないのが、自然の摂理。すぐにまた、自由落下で再び泉に落ちると決まっていた。
だから、その前に。
ヴェノマス・キングから、パッと手を放す。
そして。
一瞬だけ空中で自由になった怪物を、さらに頭上に向けて、力いっぱい蹴り上げる!
『おう! まるでサッカーボールだな!』
ダイゴローが例えた通り、子供が蹴って遊ぶボールのように、ポーンと空高く飛んでいくヴェノマス・キング。
それを見上げながら、僕は一瞬のうちに、様々なことを考えていた。
水中で戦った時に感じた、物理攻撃が効かないという手応え。
主人である怪人とは性質が違うらしい、という想像。
ならば、むしろ魔法攻撃の方が有効なのではないだろうか。
実際、クリスタの解毒魔法は効果があったように感じられた。だから今この瞬間、ヴェノマス・キングは弱っているはずであり……。
『行け、バルトルト! お前の必殺技は、ただの魔法じゃねえ! 魔力そのものをぶつけるんだから、もっと効くはずだ!』
頭の中で、まるで僕の思考を総括するかのように、ダイゴローの声が鳴り響いた。
朝の清々しい青空に、顔を向けたまま。
右腕に炎の魔力をイメージして。
左腕に氷の魔力をイメージして。
両腕をクロスさせることで、その二つを一体化して……。
空に浮かぶ敵めがけて、放つ!
「ダイゴロー光線!」
強烈な破壊力と共に、光のラインが渦を巻きながら進んでいく。
その直撃を受けた怪物ヴェノマス・キングは……。
「ヴォヴェヴォヴェエエ……!」
再びの絶叫と共に。
一瞬バチバチと火花を発した後、空中で爆散するのだった。
『おいおい、爆発しやがったぜ。攻撃の効き方は黒い怪人とは違ってたのに、最期だけは主人と同じじゃねえか。まるで殉死みたいだな?』
確かに、巨人ゴブリンのようなモンスターとは、異なる散り方だった。これはこれで、何か意味があるのかもしれないが……。
色々と考えるのは後回しだ。
ちょうどヴェノマス・キングの爆発を見届けたところで、僕の体は、上昇の最高点に到達したらしい。一瞬だけフワッと止まったかのように感じた直後、重力に引かれて落下し始めていた。
このまま放っておいたら、また毒の泉に落ちてしまう。さすがに、そんな事態は勘弁してほしい。
でも大丈夫。今ならアレが使える。戦闘中は無理だが戦場への行き来に限定すれば使用できる、とダイゴロー言っていた特殊能力だ。
落下しながら腰に手を当てた僕は、強く念じる意味で、口に出して叫んだ。
「瞬間移動!」
無事に転移した先は、湖岸の茂み。アルマが休んでいるところだった。
『そうだよな。カトック隊のみんなから見れば、バルトルトはアルマと一緒に、泉の中から謎の戦士に助けられた、って話になってる。だから、ここで発見されないと不自然だよなあ?』
と、僕の意図を理解するダイゴロー。
そんなことよりも。
アルマの様子が心配で、そちらに目を向けたが……。
顔色は悪いものの、きちんと呼吸をしていた。この様子だと、解毒魔法や回復魔法で治療すれば大丈夫だろう。
まだ少し雑魚ゴブリンは残っていたはずだが、最下級のゴブリンだけならば、ニーナたち三人の敵ではない。すぐに全滅させて、ここへやってくるはずだ。
安心した僕は、変身を解いて……。
その瞬間。
全身の力が抜けたかのように、大きく体がふらついた。
以前も「体のサイズが急に変わるから」という理由で戸惑ったが、今回は、それだけではないらしい。ホッと一安心して、気が抜けたようだ。
『得体の知れぬバケモノを相手にしただけじゃなく、必殺技だって三発も撃ったんだ。精神的にも肉体的にも、フラフラだろうさ。もう今日は無理せず、ゆっくり休め』
ダイゴローにもそう言われるくらいだが……。
もはや無用なアドバイスだった。
「おーい! 二人とも大丈夫?」
ちょうど仲間たちが近づいてきたのを、理解したタイミングで。
まるでその声を子守唄にするかのように、すっかり力尽きた僕は、アルマの隣に倒れ込み、意識を失うのだった。
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