「ここは……?」
意識を取り戻した僕は、妙にボーッとした頭で、天井を眺めるだけだった。
なんだか眠り過ぎた直後のように、頭の中に靄がかかっている。状況はよくわからないが、視界いっぱいに天井が広がっている以上、横になっている姿勢なのは間違いない。まあ難しく考えなくても、眠っていたのだから、横になっているのは当然だろうけれど。
それにしても。
この無機質なタイル張りの天井は、僕には馴染みのないものだった。全く見覚えがない、というほどでもないが……。
少なくとも、エグモント団で使っていた冒険者寮ではないし、それより昔の、冒険者学院時代の寄宿舎でもない。最近加入したカトック隊の家とも違うし、街の宿屋でもなさそうだ。
……と、考えていくうちに。
エグモント団とか、カトック隊とか、自分が所属していた――あるいは所属している――冒険者パーティーの名前を思い浮かべたところで、ここ最近の出来事の記憶が鮮明に蘇ってきた。
そう、僕はカトック隊を追放されて、それから……。
『ようやく思い出したかい、俺のことも』
ここで、タイミングを見計らったかのような、相棒の声。もちろん、僕の頭の中だけに響く言葉だった。
『ここは医務室。冒険者組合の二階だぜ』
言われて見れば、確かに、冒険者組合――通称『赤天井』――の一室だ。何度も訪れている医務室であり、数日前にも、ニーナやカーリンがメカ巨人ゴブリン戦で負傷したために、一緒に来たばかりだった。
医務室の奥には、白いカーテンで仕切られた区画があり、重症患者のためのベッドがいくつか用意されている。今まで入ったこともないエリアだが、現在の僕は、そこで寝かされていたらしい。
なるほど、医務室だから、一応は天井に見覚えがあったわけだ。しかしベッドで横になることはなく、意識して天井に視線を向ける機会もなかったため、見覚えあるはずなのに『馴染みのないもの』となったのだろう。
『おいおい、バルトルト。見知らぬ天井について、そんなに深く考える必要ねえだろ。もっと重要なことがあるぞ。右手だよ、右手!」
苦笑じみたダイゴローの言葉で、意識を右手へ。
そこで初めて気づいたのが、柔らかい感触だった。
天井の景色以上に『馴染みのないもの』であり、慌ててそちらを見ると……。
アルマが両手で、僕の右手をギュッと握りしめていた。
見舞い客用の椅子を、ベッドの際まで引っ張って来たのだろう。
アルマはそこに座り込んで、僕の手を握ったまま、ウトウトと居眠りしていた。
言動などから小さな女の子というイメージもあるが、実際には、それほど年齢が離れているわけではない。この状態は照れ臭いので、僕は右手を引き抜こうとしたのだが……。
そのせいで、アルマが目を覚ましてしまった。
起き抜けとは思えないくらいに、彼女はパッと顔を明るくする。
「あっ、バルトルトくん! 目が覚めたんだね!」
それはこちらのセリフだ、と返す間もなく。
「じゃあ、みんな呼んでくるー!」
アルマは僕の手を放して、カーテンの向こう側へ、バタバタと走っていった。
彼女の姿が見えなくなると、一瞬、静かになるが……。
すぐに、さらなる喧騒が訪れる。
「元気になったね!」
「よかったわ……」
「うむ。もう大丈夫のようだな」
ニーナとクリスタとカーリンを連れて、アルマが戻って来たのだ。
上半身を起こしてベッドに座る僕を、カトック隊の四人が取り囲む。
「回復が遅いから、心配したんだよ……」
と言うアルマに続いて。
仲間たちが、事情を説明してくれた。
まず。
僕が意識を失う直前に予想していた通り、ニーナたち三人が雑魚ゴブリンを一掃して駆けつけて、倒れている僕とアルマを発見。クリスタが解毒魔法と回復魔法を駆使して、その場で可能な限りの治療を施してくれた。
それでも二人とも意識を取り戻さなかったので、それだけ毒のダメージが深いのだろう、と彼女たちは判断。僕とアルマを、ここの医務室に担ぎ込んだそうだ。
僕たちは重病人として扱われて、ベッドに寝かされた状態で、医務室の魔法医に治療されて……。
「魔法で出来るのはここまでだから、あとは本人の体力次第。おとなしく寝かせておくように、と言われたの」
「言われた通り休ませていたら、一時間くらいで、まずはアルマが目覚めたのよ」
ニーナとクリスタに続いて、
「私、ビックリしたんだよ! 私を助けようとして、バルトルトくんが泉に飛び込んだ、って聞いて……。しかも、私よりバルトルトくんの方が、ダメージが深いなんて……」
アルマも口を開くが……。その時の気持ちが蘇ったのだろうか、先ほどとは違って、悲壮感いっぱいの表情になっていた。
『微妙な立場だな、バルトルト』
脳内では、揶揄するようなダイゴローの声が響く。
『実際にアルマを毒の泉から助け出したのはバルトルトだけど、カトック隊の女の子たちから見たら、お前じゃないもんな』
ああ、そうだ。
転生戦士ダイゴローに変身した上で救助したのだから……。彼女たちの視点では、アルマの命の恩人は僕ではなく、通りすがりの謎の冒険者になるはず。むしろ僕は、助けるつもりで飛び込んだ結果、逆に救助の必要な人間を二人に増やしただけ、と思われているだろう。
『ミイラ取りがミイラになる……とは少し違うが、結果だけ見れば、むしろ迷惑な話だよなあ。まあ彼女たちなら、少なくとも「助けようとした心意気は買う」程度の評価はしてくれそうだけどな』
ここで重要なのは、評価云々ではない。僕も『通りすがりの謎の冒険者』に助け出されたことになっている、という点だ。ならば……。
「ところで、疑問なんだけど……。三人が来た時には、僕とアルマは、もう岸辺に倒れてたんだよね? じゃあ、誰が泉から引き上げてくれたのかな?」
僕が白々しく質問すると、ニーナが聞き返してきた。
「キミ、覚えてないの?」
「うん。毒で汚れた泉の中を泳いで、なんとかアルマをキャッチしたまでは良かったんだけど……。そこで力尽きて、僕も意識を失っちゃったから……」
あくまで僕は『通りすがりの謎の冒険者』を見ていない、という立場を貫くことにしたのだ。
よくよく考えてみると、いくら『通りすがり』とはいえ、いきなり毒の泉の中から出現するのは、あまりにも不自然すぎる。いったい彼は水中で何をしていたのか、という疑問が、当然のように生まれるだろう。
もしも僕が「泉の中で謎の冒険者に出会った」と言ってしまうと、その時の状況を根掘り葉掘り質問されそうだから……。
『うまいぞ、バルトルト。これで少なくとも、お前がツッコミを食らうことはないもんな!』
と、脳内でダイゴローが僕の方針に賛成する間に。
「そっか。じゃあ、キミも見てないのか……」
少し残念そうなニーナに続いて、クリスタが説明してくれる。
「戦いながらだったから、私たちも詳しく見てたわけじゃないんだけど……。また現れて、助けてくれたのよ。この間の、通りすがりの冒険者が。ほら、巨人ゴブリンの亜種に苦戦してたら出てきた、あの人……」
「ああ、あの……。おかしな全身スーツを着た、大柄な冒険者ですね」
『おい、バルトルト。言うに事欠いて「おかしな全身スーツ」とは、ちょっと酷いんじゃねえか?』
即座にダイゴローが苦言を呈するが、あの格好は間違いなく、一般的な冒険者のセンスから大きくかけ離れている。自分の姿でもある以上、あまり悪く言いたくないのだが、僕が「何も知らない、関係ない」という立場を続けるためには、こう言っておくのが無難と判断したのだ。
案の定、僕の『おかしな全身スーツ』発言は受け入れられて、
「そう、それ! 私とカーリンは初めて見たんだけど、聞いてた通りの三色スーツね。凄く目立つ色合いだったわ!」
とニーナは言うし、カーリンも無言で頷くくらいだった。
「とりあえず、装備の外見的センスはともかくとして、実力そのものは凄い人なのよね。だけど……」
クリスタが、軽く眉間にしわを寄せる。転生戦士ダイゴローに関して、少し気になる点があるらしい。
先ほど想定したような「泉の中で何をしていたか」という疑問かと思いきや、別の問題だった。
「……あなたが助けられたのは、これで三度目。私たちも、もう二度目になるわ。それも、わずか数日の間に」
そう言って、僕に視線を向けるクリスタ。
まるで「特別な理由があるのでしょう? あなたは何か知ってるのではないかしら?」と詰問しているかのような、鋭い目つきだった。
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