ブロホヴィッツからクラナッハ村への馬車の旅。
アーベントロートへ向かった時と、小型馬車の乗り心地は同じであり、進む方角は違うものの、周囲の景色も似たようなものだった。
やや退屈に感じながら窓の外を見ていたら、御者が話しかけてきた。
「お客さんたち、知ってるかい? クラナッハ村は今、『ゴブリンの村』って呼ばれていてね……」
御者台で馬を操りながら、時々キャビンの方を向くというのは、ある意味、余所見をする形だ。これが街中ならば危険な行為だが、広い野原を進む間は、前方を見続けていなくても大丈夫なのだろう。
「知ってるー! だから私たち、クラナッハ村へ行くのー!」
「ゴブリンが一匹、村に入り込む、って聞きましたよ。冒険者としては興味ありますからね、そういう話」
アルマとニーナが、御者の言葉に応じる。
「そうかい、知った上で行くのかい。さすが冒険者だ、威勢がいいねえ!」
こうして僕たちに声をかけるということは、この御者は、話好きなタイプらしい。小型馬車の御者の中には、キャビンの方には声を一切かけない者だけでなく、気さくに話しかけてくる者もいるのだ。
『ああ、わかるぜ。前に小型馬車を使った時、俺の世界のタクシーに例えただろ? タクシーの運転手も、両方のタイプがいるからな』
とダイゴローが言うので、どこの世界でも事情は同じようだ。
小型馬車の場合、キャビンと御者台との間には連絡用の小窓があるから、乗客が御者との会話を嫌がるならば――乗客同士だけで話したいのであれば――、その小窓を閉めてしまうことも可能だ。そういう仕組みまで、ダイゴローの言う『タクシー』とやらにあるのかどうか知らないけれど。
『馬車みたいに御者台とキャビンって形でハッキリ別れてるわけじゃないが、一応は仕切り板のあるタクシーもあって……』
と、ダイゴローが説明している間。
「おとなしいゴブリン、楽しみー!」
明るく無邪気に、御者と話すアルマ。
その様子を見ていると、僕はふと考えてしまう。
アルマは昨日「私、お荷物?」と言っていたけれど、もう自己解決したのだろうか。あるいは、胸の内に秘めただけで、まだ悩みを抱えているのだろうか。
「……というわけでね。変な客だったんだよ」
「面白ーい! 色んな人、いるんだねー!」
御者の世間話に、アルマが好意的な反応を返す。
小型馬車というものは様々な人間を乗せるものであり、特にこの御者のように乗客と話すタイプであれば、それぞれの人となりを知ることも出来るのだろう。僕たちを退屈させないよう、面白おかしく語って聞かせるエピソードには困らなかった。
そうやって、しばらく走り続けた頃。
「おっと。そろそろお客さんたちともお別れだねえ。クラナッハ村が見えてきたよ」
「あっ、本当だ!」
言われて早速、窓から顔を出して確認するアルマ。
いつものように僕はカーリンとクリスタに挟まれて座っているので、アルマみたいなことは出来ないが……。
夕焼け空くらいは見えるので、時間的に到着が近いはず、という程度は理解できるのだった。
クラナッハ村に入った馬車は、村の入り口にある広場に停まる。アーベントロートの正面広場と同じで、馬車専用というわけではないのだろう。方向転換のための円形設備は見当たらなかった。
「さあ、着いたよ!」
最後まで笑顔の御者に対して、
「お世話になりました!」
「御者のおじさん、ありがとー!」
ニーナとアルマが挨拶しながら下車し、他の者たちも続く。
「さてと。まずは、今日の寝るところだけど……」
リーダーのニーナが広場を見回すが、その必要はなかった。
広場を取り囲む建物のほとんどは小さな商店や民家ばかりで、宿屋らしき建物は、正面の一軒だけ。しかも、そちらに向かって僕たちが歩き出す前に、中から宿屋の人間が飛び出してきたのだ。
「いらっしゃい! クラナッハ村へようこそ!」
いかにも『女将さん』という雰囲気の、恰幅の良い女性だった。
「どこから来たのか知らないけど、長旅ご苦労さま。さあ、まずは宿に入っておくれ」
自然な流れで、僕たちを招き寄せる。
僕は「客引きに捕まった」という気持ちになったし、仲間の顔を見回すと、同じように苦笑いが浮かんでいたが……。特に反対する理由もないので、女将さんに誘われるまま、白い建物の宿屋へ入っていくのだった。
「お客さんたち、格好からすると冒険者みたいだね。ブロホヴィッツの冒険者かい?」
ニーナが代表して宿泊者名簿に記帳する間、女将さんは僕たちに話しかけてきた。
「冒険者なのは間違いありませんが、ブロホヴィッツ所属ってわけじゃないですね」
「旅の途中なんです。ブロホヴィッツでこの村の話を聞いて、興味が湧きまして」
ペンを走らせながら答えるニーナを、クリスタが補足する。「ブロホヴィッツから来た」の一言では済まないから、記帳するニーナに代わって説明しよう、というつもりらしい。
「ああ、ゴブリンの話を聞いたのかい……」
女将さんは眉間にしわを寄せながらも、口元に笑みを浮かべた。モンスターが村に現れるのは嬉しくないが、それで村を訪れる者が増えて宿屋が儲かるなら悪くない、といった気持ちだろうか。
「期待外れにならないといいけどね。ゴブリンといっても一匹だけだから、冒険者さんたちが本気で相手したら……」
問題のモンスターに関して、女将さんが何やら語ってくれそうになったのだが。
邪魔が入った。
「ヨゼフィーネ! 冒険者が来たって、本当か?」
騒々しく叫びながら、男が一人、宿屋に駆け込んできたのだ。
「どうしたんだい、カール。そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもあるもんか。冒険者らしき格好の旅人が入るのを見た、ってやつがいて……」
「それって、このお客さんたちのことかい?」
女将さんからカールと呼ばれた男は、彼女の言葉でようやく、僕たちの存在に気づいたようだ。
『バルトルトたち目当てで来たのに、肝心のお前たちが見えてなかったんだから、いわば灯台下暗しだな』
と、ダイゴローも苦笑いする。
「ああ、この人たちが……!」
僕たちの方を向いたカールは、おそらく三十代の前半くらい。さっぱりとした服装であり、農夫というより商人という印象だった。
「ええっと。私たちに何か用事ですか?」
記帳を終わらせたニーナが、リーダーとしてカールに対応する。
すると彼は、ガシッとニーナの両肩に手を置いて、凄い剣幕で捲し立てた。
「あんたたち、冒険者なんだろ? じゃあ、ブロホヴィッツの冒険者組合から派遣されてきたのか? クラナッハ村を脅かすモンスターを退治しろ、って言われて」
「クラナッハ村を脅かすモンスター……?」
聞き返すニーナは、顔をしかめている。チラッと肩に目をやったので、相手の手を払いのけようか、この程度は我慢しようか、考えたのかもしれない。
まあカールの態度はともかくとして、彼の発言が興味深いのは確かだった。
噂で聞いた話でも、つい今しがたの女将さんの発言でも、モンスターの危険度は低い感じだったはず。でもカールの言葉も態度も、明らかに違うのだ。
「いや、私たちは……」
とりあえず、ニーナが彼の質問に否定を返そうとしたところで、
「違うようですよ。その人たちは、アーベントロートから来たのですから」
代わりに答えながら、また新たに宿屋に入ってきたのは……。
「御者のおじさん! おじさんも、同じ宿屋に泊まるの?」
アルマがパッと顔を明るくしたように。
それは、僕たちをこの村まで送り届けてくれた、小型馬車の御者だった。
「いやいや、違うよ。私は、馬車の中で眠れるからね。でも寝る前に、食事だけは済ませないと」
「ああ、宿泊じゃなくて食事のお客さんかい。食堂は右側だよ。たっぷり食べてっておくれ」
どちらにせよ客だと判断して、営業スマイルの女将さんが対応する。宿屋が食堂や酒場を兼ねているのはよくある話であり、ここもそうなのだろう。
『バルトルトの考え、ちょっと違ってたな。確かブロホヴィッツで、御者も街や村に泊まるんだ、って俺に説明したよな?』
僕の中で、ダイゴローが茶々を入れる。僕はあの時「宿屋に泊まる」とまでは言わなかったはずだから、「街や村に馬車を停めてその中で眠る」というのであれば、それも一応は「街や村に泊まる」で合っているのではないだろうか。
……というのは言い訳であり、確かに僕は、御者も宿屋に泊まると思い込んでいたのだが。
そうやって僕がダイゴローとやり取りをする間に、先ほどの御者の姿は食堂ホールへ消えていた。
「それじゃ、お客さんたち。客室へ案内するから……」
「ちょっと待ってくれ、ヨゼフィーネ。まだ、こっちの話が終わっちゃいない」
カールは女将さんを遮って、改めてニーナに向き直る。既に彼女の肩からは手を放していたが、まだ落ち着いていないような表情だった。
「今の人、アーベントロートって言ったよな? 聞いてるぞ、そっちでも似たような事件が起こった、って。ということは、冒険者組合からの派遣じゃないにしても、あんたたちがモンスター退治に来たのは事実なんだろ? なあ、そうだと言ってくれよ!」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!