――それから一ヶ月余りが過ぎ、学校の制服も衣更えをした。夏服は淡いピンク色のブラウスが半袖に変わっただけで、スカートとリボンはほぼ冬服と同じだ。
その頃には無事に父の納骨も済んでいて、わたしは会長としての仕事にも誇りを見出せるようになってきていたけれど、その一方で彼との関係が一向に進展しないことに悩んでいた。
萎縮していたのか、遠慮していたのかは分からないけれど、彼はわたしになかなか手を出そうとしてくれなかったのだ。
わたしに女性としての魅力がなかったのか、子供扱いされていたのか、それともまったく別の理由からなのか……。本人に直接確かめる勇気はなく、里歩や唯ちゃん、母にすら相談することもできず、わたしはひとりでモヤモヤしていた。
そんな頃、わたしは母から出張を命じられた。「十月、神戸市に支社が開業することになったから、一泊二日で視察に行ってきてほしい」と。そして、秘書である貢も同行すると聞かされた。
仕事とはいえ、彼との初めての旅行! 思いがけず降ってわいた、彼とじっくり話す絶好の機会をムダにしてなるものかと、わたしは密かに決意を固めていた。
……ところが。
「絢乃さん、宿泊するホテルの部屋は別々ですからね?」
出張当日の朝、JR品川駅で待ち合わせをしていた貢は、新幹線の車内に乗り込むなりしっかりと釘を刺してくれた。
彼が予約したホテルの部屋は、シングルルーム二室だった。別に料金がもったいないとか言うつもりはなかったけれど、ここまであからさまにされるともう彼に避けられているとしか思えなくて何だか悲しくなった。
「…………分ってます! まあ、仕事がメインだから仕方ないか」
わたしはムキになって食ってかかった後、やれやれと肩をすくめた。
母はきっと、わたしと彼に二人きりの時間を過ごさせようと思い、わざわざ彼を同行させたのだろう。もしかしたら、「ついでに婚前旅行でも!」という目論見もあったのかもしれない。
でも、この旅の本来の目的はあくまで〝出張〟だった。恋人同士とはいえ公私混同はよろしくない。
「――ところで、今日と明日って平日ですよね? 学校はどうされたんですか?」
グリーン車の(わたしはこれももったいないと思っているのだけれど。出張なら普通車でいいのだ)指定席にわたしと隣り合わせで座っていた彼が、首を傾げながらわたしに質問した。
「あれ、貴方には話してなかったっけ? 学校は、今日から二泊三日で修学旅行。だから不参加のわたしはお休みなの」
修学旅行にわたしが参加できないと分かった時、里歩も唯ちゃんもすごく残念がっていたけれど。里歩は写真をいっぱい撮ってメッセージアプリで送ると言ってくれたし、唯ちゃんも「お土産い〜っぱい買ってくるから楽しみにしててね〜☆」と張り切っていた。
「ああ、そんな時期なんですね。で、行き先はどちらなんです?」
「韓国だって。ソウルと釜山回るらしいよ。あ〜、わたしも行きたかったなぁ。韓国語ペラペラなのに」
「……えっ!? 絢乃さん、韓国語も話せるんですか?」
「うん。――『こんにちは。わたしの名前は篠沢絢乃です』」
韓国語で簡単な自己紹介をすると、彼は「スゴい……」と舌を巻いた。
「僕なんか、英会話しかできませんよ。それも、英会話スクールで習ったような日常会話レベルしか」
貢が落ち込んだのもムリはなかった。わたしはオフィス宛てにかかってきた海外の企業からの電話に、ペラペラのビジネス英会話で応対したことがあったのだ。しかも、彼のいる前で。
「はいはい、そんなに落ち込まないの! 貴方には他の取り柄がちゃんとあるんだから! そうやってわたしと比べて卑下するの、貴方の悪いクセよ」
「はぁ」
彼の「はぁ」は果たして返事だったのか、ため息だったのか。
でも、わたしは初めての出張で、しかも初対面の人に会うのに彼が一緒だったことが何より心強かったから、すごく頼りにしていた。
けれど、わたしはこの時はまだ知らなかった。この旅の途中で、彼トラウマを知ることになるなんて――。
* * * *
篠沢商事・神戸支社のビルは三宮の市街地に建てられていて、しかも新築だった。東京丸ノ内にある本社ビルよりもピカピカ。わたしは密かに、いつかはこっちに本社を移転しようかな、なんて考えていた。
JR新神戸駅で下車したわたしたちはまず元町にあるホテルにチェックインし(移動手段はタクシーだった。経費で落とせたからよかったけど)、それから支社に向かった。
支社長の川元隆彦さんはまだ三十代半ばの若さで、同じ兵庫県の淡路島出身なんだそう。
「――会長、秘書の桐島君はなかなか優秀そうですね」
「あ……、ありがとうございます」
「いえいえ! 僕なんかまだ秘書歴半年にも満たない新米ですから。まだまだ会長の足を引っ張ってばかりで」
ここでも貢は自分を蔑むクセを発揮していた。彼はどうして、好きな女性によく思われたいと思わなかったのだろう……?
わたしは頭の中に?マークを飛ばしながらもどうにか視察を終え、夕食の時に彼とじっくり話がしたいと思った。でも、彼との会話もままならないどころか取り付く島もなく、悶々としながら自分の部屋でシャワーを浴びていた。
「…………あ~~もう! これじゃ埒あかない! こうなったらもう、助けてスイーツ!」
髪をブローしながら叫んだわたしは、ドライヤーのスイッチを切るとそのままの格好(部屋着の白い半袖Tシャツにハーフパンツ、下にはレギンスも穿いていた)でサンダルを履いてホテル一階の売店へ直行した。
二人の共通の話題はスイーツだ。というわけで頼みの綱にとバニラとイチゴのカップアイスを一個ずつ買い、泊まっていたフロアーに戻ると彼の部屋の呼び鈴を鳴らした。
時刻は夜九時過ぎ。……貢、まだ起きてるかな?
「…………はい? どうされたんですか、こんな時間に」
「あ、あのっ! 下の売店でアイス買ってきたから一緒に食べようと思って! 入っていい?」
「アイス……って、ダメじゃないですか! こんな夜遅くに男一人の部屋に来ちゃ!」
わたしが持っていたカップアイスの袋に、彼の表情は一瞬緩んだ。けれど、年頃の女の子が夜這いみたいなことをしようとしているのが気に入らなかったらしく、すぐに眉をひそめた。どうも、そのせいで何か間違いがあったらどうするのかという心配をしていたらしい。
「大丈夫! 食べたらすぐ自分の部屋に戻るから! 貴方とじっくり話がしたくて来たの。ね、いいでしょ?」
それでもわたしは構わずにまくしたてた。彼が押しに弱いことを知っていたから、というのもあったけれど。
「…………分りました。どうぞ」
結局、彼は渋々ながらわたしの入室を許してくれた。
シングルルームの小さなソファーに彼と横並びで腰掛け、わたしはビニール袋から二つのアイスクリームを出してテーブルに並べた。もちろんスプーンももらっていたあたり、抜かりはない。
「チョコアイスが売り切れてたから、バニラとイチゴにしたんだけど。どっちがいい?」
「じゃあ……バニラの方で」
わたしは残ったイチゴアイスをもらい、二人で食べ始めた。
「絢乃さん、もしかして湯上りですか?」
「うん、シャワーだけで済ませたけどね。貢は?」
「僕もです。これから今日の報告書をまとめようかと」
「……そう」
普段はスイーツを食べながらだと会話が弾むのに、この日は会話が続かなかった。
「わざわざすみません。僕のためにアイスまで買って頂いて」
「言っとくけど、一個三百円のカップアイスでそんなに恩に着られても困るからね?」
「……………………」
彼は無言で頷いた。わたしは「さ、三百円!?」というリアクションを期待していたのだけれど……。彼は明らかに、わたしとの間に見えない壁を作っているように思えて仕方がなかった。
ちなみに、普段わたしの部屋着はワンピースなのだけれど、この時は出張ということでこうなった。家の中ならまだしも、ルームウェアのワンピースでホテル内をウロウロしたくなかったからだ。
何だか気まずい雰囲気の中、二人はほとんど目を合わせることなくただアイスクリームを食べ進めていた。
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