前回のあらすじ
年下のお義兄ちゃんはシスコンでした。
久しぶりにお会いしたティグロ様は、お変わりないようだった。
まあ久しぶりって言っても、そう何年もたったわけじゃないのよね、意外にも。ものすごく久しぶりにも感じるけど、実際は半年程度なわけで。初夏に旅立って、冬に帰ってくるなんてそんな短い旅だとは思わなかったわ。
この違和感ずっと感じっぱなしだけど、まあそれくらい、旅の日々が濃厚だったってことなのかしら。それとも故郷って言うのはそれくらい心に沁みるものなのかしらね。
「ああ、そう言えばティグロ! どうせのぞき見してたんでしょうけど、お母様ですよお母様!」
「ああ、うん、そうだね」
「あれ、思いの外に反応鈍くありません?」
旅程が縮まった原因でもある、奥様発見の報を喜び伝えるリリオに対して、ティグロ様はにっこりと微笑んで肩をすくめられた。
「知ってたしなあ」
「なんだ知ってたんで……何で知ってるんです?」
「僕の成人の儀の時に、旅先で普通に見かけてさ。あれ、お母様だ。あらティグロ、元気? お母様も元気そうですね、冒険屋復帰ですか。そうなのよ鈍っちゃってねー。みたいな感じで」
「ノリ軽っ!」
「正直、山でうっかり熊に遭遇した気分だったよね。お互い、あっやべっ、て。僕その時、賭場でトバしちゃって借金返すために女装して給仕しててさ、そしたらお母様が若い子と同伴で来店して、ものすごく気まずかったよねー」
「すごく! すごく気になりますけど! 突っ込みどころが! 突っ込みどころしか!」
リリオが激しく突っ込みに回るのってあんまりないわよね、そう言えば。
かといってボケが面白いかって言うとそうでもないんだけど。
「もー! なんで黙ってたんですか! 私ずっと知らなかったんですけど!?」
「そりゃ言わなかったからね」
「言えっつってんですよ!」
「その方が面白いかなーって。実際面白いリリオが見れたね。やったよ」
「うーがー!」
兄妹仲のよろしいことで。
ティグロ様は昔からリリオと遊ぶと言うよりリリオで遊ぶのがお好きな方なのだ。
そしてティグロ様付きの土蜘蛛の一等武装女中フリーダは、そんなお二人の姿を恍惚として見守る筋金入りの子供好きだ。その趣味を満喫した上で、頭部に髪飾りの様に煌めく宝石様の側眼でウルウやあたしの姿も把握して、一挙手一投足を見逃さないでいるというのだから、恐ろしい。
以前のあたしはフリーダに一撃入れることもできず、手合わせするたびに四本の腕でからめとられてはよーしよしよしよしと全身まさぐられたものだ。そろそろ好みの年齢を超えるはず、もといあたしの腕も磨かれたので、一撃くらい入れてお返ししてやりたいところね。
まあ、いくら子供好きのフリーダでも、いまはあたしよりウルウの方に意識が向いてるみたいだけど。何しろウルウときたらちょっと目を離すと姿が消えているのではないかというくらい気配が薄いし、実際妙なまじないで姿を消していることも多いのだ。
そしてあたしという暗殺者の相手に慣れたフリーダは、ウルウが表に見せない中身を察して警戒しているのだ。かつてあたしがウルウを恐れたのと同じように。
それでもあたしと違って、その警戒を表に出すことはしないし、微笑みとともにもてなすあたりは、成程一等だなって思うけど。
あたしたちが通されたのは食堂だった。宴などが催される大広間ほどではないけれど、カンパーロのお屋敷やモンテート要塞と違って、かなり広々とした造りだ。当然冷え込みやすいのだけれど、大きな暖炉や、防寒もかねて壁に飾られた織物が見ものだ。それに、天井からつるされた枝型吊り照明は、土蜘蛛謹製の硝子細工と輝精晶を組み合わせた美しいもので、中央からの客も感心させる一品ね。
いくら辺境貴族が武辺者ばかりとはいえ、貴族はやっぱり貴族で、見栄って言うのは大事なのよ。お金をかけることができるっていうことはそれだけ豊かであるということだし、良い職人を抱えていることは領地の文化の高さを示せる。
それらは侮られないための武器にもなるし、他領との交易や外交にも有利に働く。らしい。あたしはよくわかんないけど。そういう政治とかは、意外とリリオの方が詳しいのよね。一応あれでも貴族の令嬢ではあるわけで。
「お腹を空かせて帰ってくると思って、準備させてたんだ」
ティグロ様がそうおっしゃったように、夕食はすぐに用意された。
フロントの御屋形で一家の方々が召し上がる食事は、カンパーロやモンテートの様に一度に食卓に並べられることはない。
先も言ったように、あちらは部屋を小さくして暖房を利かせ、暖かさを保つから、料理を広げても冷めることがない。
でも冷えやすい造りのこの御屋形ではそうして一度に並べてしまうと料理はどんどん冷めてしまうので、正餐では一品ずつ料理を提供していくのが基本だ。これは内地の貴族たちもやっているけれど、どちらが先なのかはあたしも知らない。
まあ、そう言う料理を普段は見ている側であって、こうして給仕されるのはやっぱり初めてだから全く落ち着かないんだけど。やっぱり慣れないわよ、これ。身内ばっかりだし、堅苦しいことは言わないから、それは楽と言えば楽だけど。
「トルンペート久し振りー」
「半年ぶりくらいかしら。相変わらずちっちゃいわね」
「どこ見て言ってんのよあんたは」
給仕をしてくれる女中も顔見知りで、傍で給仕してくれる時に下品でない程度にからかうように笑いかけてくる。あたしも以前はそっち側だったんだけどなあ。でもリリオが成人の儀の旅としてだけでなく、ちゃんと冒険屋として家を出るって決めちゃってるから、あたしもそれについていくって決めちゃってるから、あたしたちはそのうちお客様として扱われることになる。慣れないとね。
あれ。いやでも結局女中は女中なんだし、あたしがお客さま扱いされるのはやっぱりおかしいんじゃないか。などとは思うけれど、まあ今更しょうがない。
冬場とは言え辺境の棟梁たる辺境伯の御屋形ともなれば、その食材の充実ぶりも、また料理の技巧も他の比較じゃあないわ。そして気遣いも。
食前酒として、北部や辺境では割と強めの蒸留酒を出したりするけど、ウルウがあんまりお酒に強くないことを知ってか、葡萄酒を出してくれた。辺境でも暖かい辺りでは葡萄酒を作っていて、いくらか割高ではあるけれど、美味しいものが多い。
食中酒も、ウルウには酸汁を振舞ってくれた。これは黒麦と麦芽を発酵させた飲み物で、見た目は濁った黒麦酒の様でもあるけど、酒精はほとんどなくて、お酒だと思ってる人はほとんどいない。味はなんていうのかしらね。薄い麦酒ってんでもなし、ちょっと甘酸っぱい。
フロントでは木苺の類の汁を混ぜ込んだものが多く、これもそうだった。
料理が出るまで、ティグロ様はもっぱらリリオの旅の話をねだった。
リリオの話を、というよりも、楽しげに話すリリオの姿を、ティグロ様は微笑ましく見守っておられた。こうしているととても良い兄妹に見えるのだけれど、この人、あの御屋形様の血が流れているのよねって思うと、なんだか見方が変わってきちゃいそう。
前菜には鮭の凍膾が盛り付けられた皿が出た。
凍膾は冬の間、保存のために吊るした魚介や肉が使われる。寒い中吊るしておくと食材は凍ってしまうんだけど、これを炙ったり、薄く削る様に切ってそのまま塩や油、酢なんかで食べる。
丁度シャリシャリと半凍りの具合で食卓に提供するには料理人の見極めと給仕の迅速さが大事で、暖房の利いていないあほほど寒い部屋の中で皿に盛りつけるのが常だ。
凍らせることで保存が利くし、魚などに潜む虫も殺してしまえる。それに水分や脂が程よく抜けるので、味わいも深くなるっていう、自然の不思議を利用したおいしさね。
続く汁物は、林檎と木苺の汁物だった。あえて粗目にすりおろした林檎はしゃくしゃくとした食感を残していて、そこに木苺のぷつりぷつりとした心地よい歯ごたえが混ざり込む。
果物の甘酸っぱさだけでなく、生姜や肉桂なども利いていて、体の内側からほっと暖まるような気がする。
ウルウは甘い汁物ってはじめてみたいで、なんだか不思議そうな顔をしてた。まあ、確かにあたしも作って出したことないわね。他の料理と鍋を共有出来ないし。
三皿目は魚料理。辺境では魚と言ったら、川か塩湖で獲れるもので、塩漬けや酢漬け、油漬け、干物で流通することが多いわね。海に面してないから海産物を物珍しがる、とは言うけど、塩湖でも意外と色々取れるから、決して魚介が少ないわけじゃない。むしろ貴重な食料として昔から活用されてきたらしいわね。
苔桃の甘いたれをかけて提供されたのは、鰊の麺麭粉揚げだった。麺麭粉揚げっていっても、ウルウがやるようなたっぷりの脂で揚げる奴じゃあない。浅鍋に多めの油を温めて、炒め焼きにしたやつだ。
鰊を三枚におろして、塩や胡椒、香草で下味をつけ、二枚の間に潰し芋をはさんで、細かく卸した麺麭をまぶしてカリッと仕上げる。単純だけど、これがまた美味しい。馬鈴薯でかさ増しもするから、庶民にも嬉しい。
っていうのをね、いままでウルウに説明してあげてたのはリリオとあたしなのよ。最近はもっぱらあたし。でも今日は、きちんとした正餐の様式で、席が離れてるから、そう気軽に説明もしてあげられない。それに一応お客様扱いのあたしが説明役を取っちゃうってのは、もてなしに文句があるって言ってるようなもんだ。
だから、ウルウの給仕についた女中が、人見知りのウルウが気にしない程度に、料理の解説をしてくれている。ウルウもそれにいちいち頷いて、料理を楽しんでいるようだから、不便はないみたいね。
不便はないんだろうけど、あたしとしちゃあちょっと不満だ。お役目取られちゃったみたいで。
なんとなく、恨みがましいってんでもなし、拗ねたみたいな目を向けたら、女中にニヤッと笑われた。クッソ。見透かしてやがる。あとでいじめちゃろうか。
なんてあたしが不貞腐れてるのにようやく気付いたらしいウルウは、あたしを見て小さく小首をかしげて、少し考えこんで、それから小さく戻して、もう一度あたしを見た。
そして、そうして、唇のあたりにちょっと人差し指をやって、あとでねと唇だけでそう呟いた。
あとでね。
なにが?
なにを?
あたしの困惑など気にもかけず、ウルウは鰊を味わうのだった。
用語解説
・フリーダ(Frida)
ティグロ付きの一等武装女中。
土蜘蛛の地潜氏族出身。
背はあまり高くないががっしりとした体型。
子供好き()で、ストライクゾーンは八歳くらいからギリ十六歳くらい。
嗜好は外見に寄っており、実年齢は気にしないタイプ。
武装女中としての厳しい教育を耐え抜き、一等武装女中にまでなったのは、美形揃いの貴族の家で美少年や美少女のお世話するためだったと語っている筋金入り。
妻も顔面と小柄さで選んでおり、土蜘蛛の女性としては珍しく母性旺盛。
ウルウに対して警戒しつつも、妙な幼女味を感じ取っており、監視にとどめている。
・枝型吊り照明(Lustro)
いわゆるシャンデリア。簡単なものから高価なものまで幅広く、材質も様々。
吊り下げる構造上、天井の強度も大事で、設置には金がかかる。
通常は光源に蝋燭などを用いており、床近くまで下ろして灯すことが多い。
なお辺境の枝型吊り照明は、落下させて敵を殺す用途も説明書に書いてある。
・正餐
最も正式な献立による料理。帝国では夕食にあたる。
コース料理の歴史は複雑で、もとは聖王国においてフルコースや略式コースが存在した。
聖王国打倒後は一時期その文化を否定する意味で廃れるも、格式や、料理を最善の状態で提供することなどを考えた場合、結局のところコース料理に戻ってきた。
その混乱のためにコースの順番や提供する料理などは地域ごとに違いがあり、何が正式かは難しい。
・料理の技巧
辺境伯の館に勤める料理人は、内地にて料理を学んだプロで、既存の辺境料理と内地の洗練された技巧を組み合わせて発展させている。
閉鎖的に見える辺境だが、その実人々はみな新しいもの好きで、古くから内地の文化をよく取り入れてきた。
・酸汁(Acida)
「酸っぱい、酸味のある」を意味する飲料。
黒麦と麦芽を発酵させた飲料で、一般家庭では黒麺麭を材料にすることが多い。
飲料として飲むだけでなく汁物の材料にしたり、麺麭種にしたりする。
・凍膾
凍った刺し身のような料理。
冬場、保存のために軒先などに吊るした魚や肉をそぎ切りにして食べる料理。
生で食べるため、加熱すると失われてしまうビタミン類を摂取しやすく、またきちんと冷凍したものは寄生虫などが死ぬために腹も壊さない。
基本的に半凍りのまま食べるもので、これをさらに塩や酢に漬け込んだものなどはまた別の名で呼ばれる。
・林檎と木苺の汁物
それは果たしてスープなのか。ジュースじゃないのか。
帝国では主に東部の一部、北部、辺境などで見られる。
果物だけのもの、果物と野菜を使ったものなど、さまざまな種類がある。
夏場は冷製で、冬場は温製で食べることが多い。
・鰊の麺麭粉揚げ
辺境ではイワシ、ニシン、サケ、チョウザメ、ナマズ、コイ、カマス、タラなど、魚介の消費が多い。
ニシンはよく食卓に上がる魚の一種で、調理法も多彩で、潰し芋との組み合わせはよく見られる。
ここでは一つに組み合わされて調理されているが、ニシンだけをパン粉焼きにして、潰し芋を添えて食べることも多い。
・あとでね
席が遠くてお喋りできないで退屈なのかなと思っただけで、ウルウには別に他意はなかった。
つくづく問題のある女である。
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