前回のあらすじ
ウルウの無意識ムーブメントに翻弄されるトルンペートであった。
久々の実家は、何とも心休まるものでした。
帰省直後こそお父様がぶっ壊れてしまって、お母様と庭をぶっ壊してしまって、最終的にお母様もろともぶっ壊れてしまうという、ウルウでなくてもドン引きするような大惨事になってしまってどうなることかと思いましたけれど、迎えてくれた我が家は懐かしいあの日のままでした。
ティグロは相変わらず私をからかっては遊びますけれど、それが私を心から歓迎してくれているのだということが分かります。私たち兄妹はいつもこうだったのです。からかわれて、反発して、そして最後には笑いあっているのです。
「ねえティグロ。私が旅立ってから半年くらいは経ちますけれど、何か変わったことはありましたか?」
「なにも。なーんにも、さ。辺境は相変わらずだよ。そりゃ、細々としたことは変わってくけどさ、でもきっと百年経ったって辺境はそう変わりはしないよ」
「まあ、そうかもしれませんけれど」
「精々が、そうだなあ、使用人の中に結婚したものがいるね。子供を産んだものもいる。新しい武装女中が入った。町に新しい喫茶店ができた。そんなことくらいだよ」
「喫茶店!」
「食いつくところはそこだよねえ。リリオはどうだった?」
「私ですか?」
「そう。半年だけだけど、でも、やっと旅に出れたんだろう?」
夕食の席について、食前酒を楽しみながら、ティグロは私に旅の話をねだりました。かつて私が、旅から帰ったティグロに話をねだったように。その頃のお返しというわけではありませんけれど、私は旅の思い出をひとつひとつ開いては語っていきました。
旅に出て早々に、トルンペートを撒いて一人旅をしてしまったこと。
境の森の中で、ティグロから聞いた経験が役に立ったこと。でも全部が全部はうまくいかなくて、苦労したこと。
そしてそこでウルウに出会ったこと。
ウルウと旅を共にするようになってから、私の物語は大きく広がっていったように思います。
盗賊に出会ったこと。潔癖症のウルウに犬みたいに全身を洗われたこと。旅籠で食べた美味しいもの。
ヴォーストについてからはメザーガの冒険屋事務所におしかけたこと。トルンペートが追いついて、すこしもめたこと。三人で冒険屋の一党を組んだこと。その生活がなんだかくすぐったくて、落ち着かなくて、でもやがて馴染んでいったこと。
山に、野に、地下水道に、たくさんの冒険がありました。
熊木菟の恐ろしい空爪のこと。
霹靂猫魚の主や、地下水道の巨大な穴守と戦ったこと。
鉄砲魚や鉄砲瓜を相手に苦労したこと。
甘き声の恐ろしい誘惑。
メザーガとの立ち合いで認められたこと。
ムジコの町の奇妙で、そして少し物悲しい自鳴琴の物語。
温泉の町で出会った茨の魔物と、カローシしそうな聖女様の話。
海を渡り、お母様と再会したこと。
冒険の間の、美味しい食べ物のことが、もしかしたら一番熱がこもったかもしれません。
《黄金の林檎亭》の角猪の煮込み焼きに、黄金林檎。
《踊る宝石箱亭》の揚げ霹靂猫魚やサシミ。
鉄砲瓜の得も言われぬ甘さや、夏場に食べる氷菓の心地よいこと。
バナナワニのスキヤキに、角猪鍋、熊木菟鍋。
温泉の湯で蒸した土蜘蛛特製の蒸し物料理。
美しいものをたくさん見て、美味しいものをたくさん食べて、知らなかったことをたくさん知りました。
ティグロは私の拙い話の一つ一つを頷きながら静かに聞いてくれました。
私は確かに旅をすることが好きで、冒険が大好きでしたけれど、その話を誰かに聞いてもらうことがこんなにも楽しいとは知りませんでした。
ただ、夢中になって話していて、ふと気づいたら、いつくしむような目で見られてて、なんだか恥ずかしくなってしまいましたけれど。
こういう、なんでしょうね、兄としての余裕みたいなのを向けられると、妙な敗北感があります。
ほんの少ししか変わらないはずなんですけどね、年は。
私は少し気を落ち着けて、ゆっくり料理を楽しみながら会話を続けることにしました。
前菜、汁物、魚料理と来て、お肉です。やっぱりお肉美味しいですよね。お肉には人を幸福にする成分が含まれているに違いありません。
なんて適当なことを言ったら、ウルウに真顔でよく知っているねと言われてしまいました。
これはどっちなんでしょうか。冗談なんでしょうか。本当なんでしょうか。ウルウはこう見えておちゃらけたところもあるんですけれど、大抵の場合顔面が死んでるので判断がつきません。忘れたころにネタ晴らししてくるのです。こわい。
まあでも本当に困るような冗談は言わないので、そこは信頼できますけれど。
一人用の小さな土鍋で熱々のまま供されたのは、辺境ではおたぐりと呼びならわされている煮込み料理でした。ウルウもこれなんだろうと覗き込んでしまう、ちょっと変わったお肉が入っています。
これはですね、飛竜のお肉ということはお察しでしょうけれど、その中でも内臓に当たるところなんですね。
普通のお肉が、ある程度寝かせて熟成させた方がおいしいところ、内臓肉は腐りやすく、新鮮なうちでなければ食用に耐えません。そして新鮮なうちに処理するにはとても手間がかかるので、なかなか面倒なお肉なんですよね。
でも獣たちが獲物のお腹、内臓から食べ始めるように、滋養に富み、そして味もいいのです。
おたぐりに用いられる内臓は主に腸で、これをひっくり返して中身を抜き、塩水とたわしでごっしごっしと洗います。灰汁に付け込むとかのやり方も聞きますね。
こうやって洗うときに、ながいながーい腸をたぐり寄せながら洗うのでおたぐりと言うんだとか。勿論、他所の貴族とかにお出しするときには、もっとこう、長ったらしいそれらしい名前で呼びますけどね。
こうして洗った腸は何度も茹でこぼしたりしてから煮込まれるんですけれど、味付けは地方によってそれぞれですね。猪醤だったり、塩だけだったり、香辛料を使ったり。具材も、根菜や、葉物、他の内臓もあれこれ突っ込んだりとおうちそれぞれです。
また、同じおたぐりと呼んでいても、煮込みではなく炒め物だったり、串焼きだったり、つまり単に腸のことをおたぐりと呼んでいることもありますね。
我が家では胡桃味噌仕立ての煮込みで、具材としては馬鈴薯、牛蒡、人参、玉葱、生姜などです。味付けは大分濃い目で、お酒がとても進みます。
おたぐりは白っぽく、お肉とは思えない、でも他に何かと言われると思いつかない、くにゅくにゅとした不思議な歯ごたえで、顎にも楽しい美味しさです。匂いはちょっと独特なので苦手な人もいますけれど、我が家の使用人は優秀で、下処理も上手なのでかなり上等な方です。
町ではさすがに飛竜の腸は出回りませんけれど、家畜の腸を用いたおたぐりも乙なものです。
こってりとした煮込みを味わえば、今度は氷菓です。といってもこれは締めのお菓子ではなく、口直しですね。藍苺の鮮やかな紫色の雪葩で、さっぱりとした甘酸っぱさが、おたぐりでちょっとくどくなった口の中を洗ってくれます。
それにしても冬場に暖かい部屋で氷菓を頂くというこの贅沢さ、たまりません。
さて、さっぱり口直しが済んだら次です。
口直しをした後に、だめ押しと言わんばかりにもう一度お肉、それも脳が馬鹿になるほど美味しさの棍棒で殴りかかってくる炙り焼きを出すっていう構成を考えた過去の料理人の感性、私最高に好きですね。
大きなお肉の塊を、お父様がいないので主人役代行のティグロが切り分けてくれます。
こちらのお肉はですね、辺境の過酷な土地柄でも牧場の努力によってのびのび育った自慢の牛さんの肉なんですよ。これがもう、一度食べたら他で牛肉食べられないくらい美味しいです。いや、食べるんですけどね、結局。
飛竜の肉も美味しいですよ。そりゃあ美味しいです。魔力も豊富です。
しかし美味しく食べるために飼育されて、美味しく食べるために品種改良され続けてきた、完全なる食用家畜の美味しさというものはもはや暴力です。野生の力強さとか、自然のもたらす恵みとか、そういう勿体ぶった物言いを真正面から殴り倒す美味しさの暴力です。うるせえ、肉だ、そう言わんばかりに。
美味しいお肉を、美味しく焼いて食べる。言ってしまえばそれだけの、ただそれだけのことを窮極まで突き詰めたのがこの炙り焼きなのです。
香ばしい焼き目と、それを裏切る内側の美しい赤身。最高のお肉が、最高の加減で調理されているのです。
これをですね、これを、甘酸っぱい苔桃のたれで頂く。
塩だけで食うのが一番おいしいとかそう言う小理屈はどうでもいいんですよ。塩でも舐めてろ下さい。さっぱりとした塩加減の、まさにお肉食べてますっていう感じのお肉に、甘酸っぱい苔桃。この取り合わせは、犯罪的な美味しさです。
「ふふふ、リリオの好きなもの、用意しておいたからね」
いまだけは、からかい屋のティグロが神にも見えるのでした。
用語解説
・お肉には人を幸福にする成分が含まれている
肉類には、幸せホルモンとも呼ばれる脳内物質セロトニンの材料になるトリプトファンが含まれている。
同時にその吸収を阻害する成分もあるので、これ単体なら植物性食品から摂取するか、バランスの良い食事が大事。
また動物性脂肪にはアラキドン酸と呼ばれる脂肪酸が多く含まれ、これが脳内でアナンダマイドというセロトニン同様に幸福感をもたらす物質に代わる。
どちらも別に肉からしか取れないわけではないにしても、肉を食べるという行為自体が幸福に結びついて学習されている方も多いはずだ。
・おたぐり(Tiri)
もとは馬の類の腸を用いた料理の総称。洗う際に腸を手繰るような動きをすることからその名がついた。
内臓はビタミン類も豊富で、辺境で不足しがちな栄養素を摂取する方策の一つでもある。
現在では馬は勿論飛竜や、食用家畜である牛の腸でも同様の料理が作られている。
味付けや調理方法は多様であり、練り麺の汁にしたり、乾酪をかけて竈で焼いたりといったものもあるようだ。
・辺境の過酷な土地柄でも牧場の努力によってのびのび育った自慢の牛さん
内地の人間になにが君たちにそこまでさせるのかと言わしめるほど、辺境の酪農家は牛の魅力を追求し続けてきた。
酪農で知られる北部や東部にもその技術やノウハウは逆輸入されており、辺境産の牛肉は今や立派なブランドである。
もちろん出回らないのだが。
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