翌朝の八時前。
沙希の部屋からの物音で目覚めた俺は、大きく伸びをして沙希の部屋をノックした。
「沙希? 起きたのか?」
するとドアの向こうから歩み寄る足音がして、ドアが開かれる。
「悟。おはよう! たった今、起きたところだよ」
沙希の表情は、とても明るい。それはホッとしたのだが、血のせいで髪が所々ベタついて見える。俺は沙希が気づく前に手を打とうと、わざとひょうきんに髪の話を振った。
「つーかお前、昨夜は風呂に入ってないだろ?」
「へっ?」
「シャワーしてこいよ。髪もなんかベタついてるように見えるぞ」
「うそ、や、やだっ!」
沙希は、自分のベタベタした髪を触って確認する。
「うそ。なんだか、カピカピになってるような」
「よだれか? よだれが乾いてそうなったのか?」
問われた沙希は、湯気が出そうなほど真っ赤になり――。
「バス停からここまでかなり歩いたからなぁ。汗もかいただろ」
「き、昨日は、ここへ着いてすぐに日没になっちゃったから」
「もうすぐ朝食が来るぞ。沙希の分も受け取っといてやるから、シャワー浴びてこいよ」
「ありがとう!」
沙希は、小走りで浴室の方へ走っていく。昨夜は念入りに血をふき取った。だからシャワーのお湯が真っ赤に染まることはないはずだ。首辺りもベタベタしているだろうが、よだれか汗だと言い聞かせてある。きっとバレない。
「おはよう。悟くん」
横を向くと、門真義さんがそこにいた。門真義さんは昨日と同じ服装で、随分と上機嫌な表情だ。
「おはようございます。沙希は今、シャワーを浴びてます。昨夜はかなり血をふき取ったんですが、髪がベタついて見えたので。浴びるように言ったところなんですよ」
「そうか。沙希さん、血に気づいてしまったかい?」
俺は首を振り、大丈夫です、と答える。門真義さんは微笑んで、「君がいれば、沙希さんは大丈夫そうだね」と笑った。
「実はこれから、英霊祀りに参加するんだ」
「え。俺らもですか?」
「いや……、未成年は参加できないらしい。昨日の亡くなった村民を英霊として扱って葬儀をやるそうだ。午前中に参列して歩き、正午に火葬、午後は神社に骨を納めるらしい」
「じゃぁ、俺はその間、村を調べますよ。暇ですし」
「本当かい?!」
目を輝かせた門真義さんは、
「なら、まずは村全体の見取り図が欲しい。それから、鉢合わせにならないように神社を調べて欲しいんだ」
「それは構いませんけど……神社なんてあるんですか? それに調べるって……、一体、なにを」
「絶対にいるはずなんだ。そこに何かいると思うから、それが何なのか調べてくれ。こっちの状況は細かくチャットで伝えるから」
頷く俺を見た門真義さんは自分の腕時計を見おろすと、
「そろそろだね。行ってくるよ。今日は一日、村民の目がある。日が暮れ、村民の正体やこの集落のことを暴いたら、逃げよう。今日は、日没まで怪しまれないようにしておいてくれ」
「わかりました」
門真義さんは立ち去ろうとしたが、「あぁ、そうだ」と振り返る。
「沙希さんは呪体になったから、もう日没を過ぎても死人にはならないよ。今夜は、絶好の逃げるチャンスだ。それじゃ、作戦はまた夕食のときに」
俺は門真義さんを見送り、沙希の部屋へ入ってドアを閉める。それから部屋の中央に座り、ズボンのポケットからスマホを取り出した。ゲーム画面を開き、暇つぶしにゲームを始める。
――と、その時だった。誰かが急ぎ足で廊下を歩いてくると思った瞬間、ドアが強くノックされる。こちらが言葉を返す間もなくドアが開けられると、
「おはよう。あのねぇ、今日は、ちょっと大事な用があるのよ」
見知らぬ村民のおばさんがまくし立てた。
「英霊祀りですか?」
「あら、知ってるのね。そうよ。そうなの。だからね、これ、朝食と昼食。申し訳ないね。昼食は冷めちゃってると思うけど、勘弁してね」
押し付けられるようにして差し出されたそれを受け取り、俺は足早に戻っていくおばさんへ大きな声を投げかけた。
「今日の昼間は、外出してもいいですかー?」
するとおばさんはこちらを見ずに、右手だけを左右に振る。
「村長に訊いてちょうだい!」
大急ぎで去っていく……。俺は諦めてドアを閉めると、食事を部屋の中央に並べた。朝食も昼食も大差ない内容で、どっちも精進料理みたいだ。俺はハンバーガーやポテトチップスを想像してため息をついた。
「悟? 誰か来たの?」
シャワーを終えた沙希が、部屋の奥から顔を覗かせる。俺は「あぁ、来たよ」と、食事を指差して手招いた。
「沙希。スッキリしたか?」
沙希はワインレッドのワンピース姿で、満足そうに微笑んでいる。
「完璧! それでね、えっと、一応、誤解のないように言っておきたいんだけど、普段は私、ちゃんと寝る前にはお風呂にも入るし、パジャマにも着替えるし、歯磨きだって」
「わかった、わかった。食おうぜ。腹、減った」
「むー!」
沙希は頬をぷくっと膨らませ、唇を尖らせた。良かった。何も気づいていないようだ。俺はホッとしながら、箸を手にとる。
「まずそうだなー。年寄りが好きそうなメニューだ」
「やだ、そんな大きな声で……聞かれたら怒られるよ!」
「いや、だって事実なんだから、しょーがねーだろ。見ろよ、これ。かぼちゃの煮物に、豆腐に、なんかよく分からん練りもの?」
「文句言わずに、食べるの!」
へいへい、と俺は、それらを口にする。
沙希も、俺の「焼きそばパンは、ねーのかなー」という言葉を無視して手をつけていく。
「メンチカツパンとかさ」
「な・い」
「ハンバーガーにポテトチップス」
「ないに決まってるでしょ」
「カップ麺、食いてーなー。シーフードか、激辛系」
「ここには、スーパーがないんだってば!」
俺はなんだか可笑しくて笑ってしまった。
と、食べ進める沙希は、ふと視界の端に何かが見えたような仕草をし、そちらを向く。俺も窓の向こうを見ると、黒い行列が見えた。
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