熊の討伐から一夜明けた。太陽もすっきりと目覚め、街が人で賑わう頃。
「『熊が村を襲撃。馬一頭が死に、村人に三名の負傷者を出す。村からの依頼を受けて錬鉄Ⅰ級四名からなるパーティが討伐に向かったが、一名が瀕死の重傷、一名が森の中へと連れ去られ、壊滅。帰還した二名の証言から件の獣は通常のフォレストベアではなく、魔物ウォーグリズリーとの交雑熊であることが発覚』……っと」
ギルドの休憩室で、さらさらとフィーナがペンを走らせる。書いているのは、今回の交雑熊による被害の報告書。その様子を見守るのは、実際に交雑熊と交戦した七人。時折彼らに当時の状況を尋ね、より詳細な報告書にしていく。
「『付近の森で依頼を遂行していた麗銀級と緑青級の二人組との遭遇が予想されたため、麗銀級三名からなるパーティを急遽派遣した』……ここまでは私も把握しているんですが、実際に討伐した流れをお願いできますか?」
視線と質問を振られたテレザが答える。
「まず、遭遇したのは私達二人ね。モリキノコの群生地に到着したんだけど、そこで奴を発見したの」
「ふむふむ」
「で、私が対峙してる間に、この子にギルドへ連絡してもらおうと思ったんだけど――」
「そこに、俺たちが駆けつけたってわけです」
テレザの左隣に座っていた、オーガスタスがずいっと身を乗り出した。縦横にデカい彼にそうされると、テレザとしては物理的に大変肩身が狭いのだが、渾身のキメ顔から行動の理由は察せたので何も言わないでおいてやる。
「……はい、それで」
慣れているのか、熱苦しい視線をフィーナは軽く受け流した。がっくりと脱力したオーガスタスへのフォローは……カミラの苦笑いを見るに必要なさそうだ。
「あとは私に代わって、三人が討伐してくれたわ。怪我人は誰も……」
どさくさに紛れて後を流そうとしたテレザを、カミラが遮る。
「虚偽報告は感心できません。テレザ殿は熊に瀕死の重傷を負わせ、代償に脇腹を傷めています」
「ぐっ」
「分かりました、ノラ先生に報告します。それで、シェラさんは大丈夫ですか……?」
報告書を加筆するフィーナが心配そうに見つめる先には、先ほどから椅子の上でぷるぷるしているシェラの姿があった。
「お、お気遣いなく。全身が、筋肉痛なだけなので……」
引きつった笑顔のシェラが、大したことではないとアピールする。朝イチからシェラに違和感を覚えていたテレザは、納得したように苦笑いを漏らした。
「馬車の中から動きが変だと思ったら、そういうことね」
「朝一番は緊張で何も感じなかったんですけど。ギルドへ帰れると思ったら、バキバキーって……」
「そういうことですか……。シェラさんのことも一応、伝えておきます。湿布くらいなら出してもらえるでしょうから」
「あはは……。ご心配、おかけします」
フィーナの気遣いが逆に辛い。体力をつけよう、シェラはそう誓った。
「えー、では最後に……『モリキノコの群生地に、予測通り交雑熊が出現。居合わせた麗銀級が熊に重傷を負わせるも、自身も負傷。その後救援に入った麗銀級三名により、完全に討伐された。今後は誤った情報のまま依頼を出さぬよう、対策が求められる』報告書はこのような感じですが、いかがでしょう」
書き上がった報告書をフィーナが見せる。彼女の顔立ちを表すように端整な文字で、内容的にも特に不備は見当たらなかった。七人が頷くのを見て、フィーナは満足そうに解散を宣言する。
「では、この内容で各ギルドに共有します。緊急事態でしたが、お疲れ様でした。あ、ノラさんが来るまで、お二人はこの部屋から出ちゃダメですよ?」
怪我人のテレザと貧弱なシェラに待機を命じ、ふんわりと笑ってフィーナは通常業務へと戻っていった。
「じゃ、俺たちも行くか。名指しの依頼が来てるかもしれん」
オーガスタスも多忙の身だ、さっと立ち上がる。
「そうしよう。……君たちは、どうする?」
カミラが、錬鉄級の二人を気にかける。その言葉は今日の予定などではなくもっと先、幻導士としての身の振り方を聞いていた。ピクっと反応した二人の内、パーティリーダーが声を絞り出す。
「……俺たちは、しばらく幻導士の仕事はやめだ。小さい頃からずっと四人一緒で、幻導士の昇級もそうだった。でもこいつの階級はこの先ずっと、錬鉄Ⅰ級から変わらねえ」
リーダーの手には遺品として持ち帰られた、血染めの階級票が握りしめられていた。
「怪我が治ったから僕らだけ先へ。というのは、すぐには難しいです」
隣に座る眼鏡の幻導士も声を震わせる。カミラはそれに頷き、優しく声をかけた。
「そうか。まずはゆっくり休むと良い。もう一人の早い回復を祈っているよ」
「ああ、ありがとう」
リーダーの男の礼を受け、麗銀級の三人は酒場へと戻っていく。そしてすぐに、
「俺たちは仲間の容体を見てくるから、これで。あんたらが無事で良かったよ」
「お達者で」
生き残りの二人も部屋から去っていった。その背中にシェラは何か言おうとして、結局口をつぐむ。
かける言葉など、見つからなかった。
「……何て言ったら、良かったんでしょう」
背後でドアが閉まったのを確認し、テレザにぽつりと聞いてみる。
「あの人達からしたら、家族を失ったようなもんでしょ。黙って見送ったのは正解だと思うわ」
答えはきっぱり、なしということだった。テレザは続ける。
「不慮の死って、幻導士の世界じゃ珍しくないの。毎日誰かが、そうなってる。次は私たちかもしれない、忘れないでね」
「最初に安全確認を教えてくれたのは、そういうことだったんですね」
「そ、危機を前もって察知できるようにね。流石に嗅覚や聴覚は急には身に付かないけど、気構えだけはしておいて欲しくて」
「気構えより上は……ひたすら生きて慣れるしかない、ですか」
「そうね。でも、まずは体力づくりからよっ」
「ひゃんっ!」
ペシっと張りに張った背中を叩かれ、シェラの体に鈍い痛みが駆け抜けた。お返しに脇腹をつついてやろうかとも思ったが、ただひ弱なだけのシェラとは違ってテレザは本物の怪我人だ、やめておく。
……それを分かっていて、反撃されないと思ってやっていそうなのはこの際気にすまい。
「何だい何だい、随分と元気そうじゃないか。私だって暇じゃないんだよ、重傷者の」
フィーナから連絡を受けた鉱妖人の老医者、ノラが愚痴りながら入ってきた。
「受付の姉ちゃんから聞いてる。桃色の髪したあんたは脇腹だって? そっちの新米は、ただの筋肉痛かい……湿布つけて寝てな! お代はいらないよ、端金を新米から巻き上げるほど困ってない」
「あ、ありがと、うっ! ございます……」
湿布を押し付けられたシェラがぎくしゃくとした足取りで部屋を後にすると、ノラはテレザの患部をおもむろに触る。彼女の反応を見て渋面をさらに渋くした。
「あんた、これ良く我慢してたね」
「そりゃどうも」
「褒めてないよバカ」
テレザの首筋には、じっとりと脂汗が滲んでいた。ノラは舌打ちし、テレザの上半身を脱がす。年相応に優美な曲線を描き始めている胸から腰にかけてが露わにされ、脇腹には不似合いに赤黒く大きな痣ができていた。
「過去に受けた傷がぶり返したと思ってるみたいだが、違うよ。治りかけの組織を庇って、他の場所を痛めたんだ。……はっきり言って、土属性幻素の私じゃ復帰に相当時間がかかる」
幻素にはそれぞれの特性に応じた得手不得手が存在する。
医療用の術式で例えれば、土属性幻素は裂傷には強いが、打撲や肉離れなどの内出血の治療には向かない。
そして『重属性不活性の法則』という大原則がある。端的に言うと『一人が扱える幻素の属性は一つだけ』ということ。
理由は、幻素に加護を授けた神々の力が一人の人間の中に一つしか存在できないためらしい。種族によって属性の傾向は偏りがあり、例えば鉱物や鍛冶に強い鉱妖人の幻導士には金属性、土属性幻素を扱う者が多く、森妖人の幻導士ならば、住んでいる森に関連して水属性や木属性の使い手が多い。
とはいえ個人の資質が最も大きく、夢に情熱を傾ける森妖人が炎属性を身に宿すこともあるにはあるが。
「この街に、水属性幻素に通じた知り合いがいる。この紹介状を持ってすぐ行きな」
ノラはそう言って、テレザの状態と自らの名前を書いた紙をテレザに差し出す。そして応急処置として、包帯と湿布を胴体に巻きつけた。
「もうちょっと優しく巻いてよ……ッ」
「うるさいね。ここまで悪化した傷に優しくもクソもないんだよ」
「むー……。どのくらいで復帰できそう?」
この期に及んで復帰時期を聞いてくるとは、こいつにはマトモに治す気が無いのか。重傷であることを印象付けるため、ノラは少し長めに期限を切る。
「全治一か月。んで、二週間はベッドの上で絶対安静さね」
「……結構かかるのね」
「かかって良いんだよ」
ノラはかれこれ百余年医者をやっている。その中で最も危ないのは、今のテレザのように治りかけの傷を抱えて依頼に出る者だ。長年の経験からそう伝えると、テレザも無茶をしていた自覚はあるのか、少ししおらしくなる。
「……はーい」
「分かったら、きちんと治しな。さっきの新米のお守りも任されたんだろう。もう、アンタ一人の身体じゃないってことだ」
沈黙したテレザに服を着せてやる。モソモソと袖を通したテレザは、診療代として石貨を十枚取り出すとからかうように言った。
「意外と優しいのね、ノラ先生」
「ケッ。とっとと行きな!」
ぶっきらぼうな言葉を背に受けて、テレザはギルドから紹介先の医者の所へと向かう。王都から離れた辺境とはいえ、幻導士ギルドがある街の中心地はそれなり以上に栄えている。
客引きの声や荷車を引く音、鍛冶師が鉄を鍛える音。人々の生活が織りなす和音を聴きながら中心部を抜けてしばらく行くと、やや寂れた診療所が見えた。
「ごめんくださーい」
「……いらっしゃい」
テレザが扉を開けると、目の前に肉感的な森妖人の美女が立っていた。圧倒的に盛り上がった双丘が成す深い谷間に、女性の理想像とも言うべき艶やかな曲線を描く下半身。同性であるテレザですら、むわっと匂い立つような色気を感じる。
こんな美女がギルドの医務室で働いていたら男どもは仕事どころではあるまい。
「えっと、ギルドの医者から紹介状を――」
「……ん。ノラさんから、ね。……私はエリー・フォーサイス。……こっちで、服脱いで。仰向けに……中々重傷、ね」
エリーと名乗ったその美女に紹介状を見せると、さっさとベッドに案内された。
「……じゃあ、治療の前に『抵抗』の検査、ね」
そう言ってエリーがテレザに差し出したのは、瑞々しい緑色の光を放つ石。一見宝石のように見えるそれを、テレザは無造作に鷲掴む。
「はーい。……ふっ」
テレザの指に力が籠もると、石の色が次々に変わっていく。
緑色から青銅色、黄土色になり、次は灰白色。鮮やかな赤銅色を経て、階級票と同じ銀白色。目もくらむ黄金色は、次の瞬間息を飲むような青白色を呈した。
それを最後に、輝きはただの黒い石になる。エリーはテレザから石を受け取り、医師としてではない率直な感想を述べた。
「……すごいわ、ね。『幻素鉱』が真っ黒になったの、初めて」
「前のギルドでも言われたわ。抵抗の低さだけなら歴史に残るって」
「……これなら、かなり強い治療も大丈夫そう、ね。……じゃ、横になって」
細く長いエリーの指が、テレザのわき腹を繊細に撫で回す。
「……中々重傷、ね」
「だったらぁ……っ。変に、触らないで?」
痛みとくすぐったさでテレザが身をよじると、エリーは妖艶に微笑んだ。
「……一気に冷やす、よ。――『氷冷』」
「~~ッ」
指先から強烈な冷気が浸透すると、先ほどまで脈打つようにテレザを苛んでいた痛みは嘘のように軽くなる。何なら痣の色も薄くなったような気さえする。
その辺で売っている膏薬など及びもつかない速効に、エリーは満足げに患部から手を離した。
「……うん。とりあえず、今日の処置はおしまい」
「もう終わり?」
「……今の、かなり強い術式、よ。内出血は、止めたから。あとは経過を見つつ入院、ね?」
「……」
「……あなたの身体、色々ガタが来てる」
テレザ本人が思う以上に状態は良くないらしい。ノラに言われた言葉を思い出し、素直に従う。
「分かった。ここで、お世話になるわ」
「……お代は、今はいい。ギルドに請求するから、そっちで払って、ね。――あら?」
話がまとまったところで、再び出入り口のベルが鳴る。エリーが迎えると、金髪の可憐な少女が訪ねてきていた。
「あ、あの、シェラといいます。ここに、桃色の髪をした、テレザって女の人が治療に来てるって」
「……お見舞い、ね。おいで」
すいすいと案内されてシェラが病室に入ると、ベッドの上でテレザが着替えている最中だった。シェラは驚きつつも、鍛えられた肉体に思わず目を奪われ……ベッドからテレザにジトーっとした目を向けられる。
「着替え中を凝視されると流石に恥ずかしいんだけど……というかどうやってここ知ったの?」
「あっあっ、ごめんなさい! ……ノラさんに聞いたんです。それ、重傷だって」
やはり気にしていたか。シェラの視線は筋肉から、すぐに脇腹の痣に移っていた。だが傷はシェラのせいではないし、シェラが気を揉んだところで治癒が早くなるわけでもない。新人に心配をかけるわけにはいかない、とテレザは別の話題に切り替えていく。
「私の自業自得よ、気にしないで。シェラこそ、明日以降ちゃんと依頼を受けられそう?」
「何とか、教えてもらったことを頼りに頑張ります。テレザさんは、しばらく動けないんですよね」
テレザは二週間ほど動けそうにないことを伝え、ついでにこれまでの無茶をした経験も話しておく。
まずはこのギルドに来ることになった直接の原因でもある、ハイオークの襲撃について。
「緊急事態だから、動ける私が飛び出したんだけどね。ギルドでの教育係が追いかけてくれなかったら、あそこで死んでたわ」
「テレザさんにも、そういう人がついてるんですね……」
「教育係だったのは昔の話よ? でも、幻導士として一番深く関わった恩人。私もあんな風に後輩を、ってね」
ギルドへ初めて登録した日のこと。
「実は錬鉄Ⅲ級からのスタートなのよ、私」
「あれ? 依頼に行く前は、錬鉄Ⅱ級からだって」
「登録してすぐ、降級されちゃったから……」
「えぇ……」
「前からギルドにいた連中と対立して、ね。お父さんにもビックリされて」
「でしょうね……ちなみに、教育係の人からは何と?」
「あっちも依頼二回分だったか、報酬半減を喰らってね……結構怒られたわ」
こうなってはいけない、と反面教師にしてもらおう。シェラは素直な性格で、困惑したり笑ったり、忙しくリアクションを取ってくれるのでテレザも話しやすい。思いがけず長話になってしまう。
「――ってことで、一旦リフレッシュさせてもらうわ。……何よその顔。無理に動いたりはしない、約束する」
「……安静にさせるから安心して、ね?」
話し終えたテレザがそう約束し、エリーが保証した。シェラがギルドへ帰っていくと、エリーがくすくすと笑って話しかける。
「……仲が良いの、ね」
「む、向こうが勝手に懐いただけよ」
「……彼女のためにも、早く治さないと、ね?」
シェラのために早く復帰したいというより、怪我をしていては指導者として示しがつかない。テレザがそう言うとエリーはゆったりと頷きを返した。
「……うん。そう、ね……じゃ、おやすみ」
「いや、まだ午前中なんだけど」
「……重傷者だから。寝て食べる以外、することない、でしょ。お昼ご飯になったら起こすから、ね」
そう言ったエリーは手近な椅子に座り、目を閉じた。……あんたが寝るのか。
「ちゃんと起こしてくれるんでしょうね」
一言愚痴り、テレザも目を閉じる。もはや習性のようなもので、彼女は寝ようと思えばすぐに眠れる。久々にたっぷり惰眠を貪るとしよう。
エレメンターズ豆知識
『優れた幻導士ほど、多くの名医を知っている』
どうしても怪我のリスクが付きまとう幻導士。ギルドに所属している医師だけでなく、その他に得意分野を持った医師を探しておくことは、復帰時期や後の生存率に大きく関わる。医療術式を扱える幻導士は貴重で、診療代も莫大。しかし幻素を扱えなくとも薬剤の調合、骨接ぎなど優れた技術を持つ医師は存在している。
「戦った後のケアができてこそ一流の幻導士だよ」とはギルド付きの医者・ノラの弁。
輝かしい戦績を残してきたテレザも、彼らがいなければ物語開始前に死んでいる。
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