「丸太を移動させるには、大きな労力がいる。できる限り、伐採した所で舟を作りたいはずだ」
カインが指針を出す。探索すべきは、森の中でもある程度開けた場所。
「な、なら。そ、村長さんの言っていた場所が、良いかも」
「クヌギの朽ち木か……。まずはそこから当たってみよう」
適度に人の手が入り、木漏れ日が心地良い森の中を進む。何度も踏みしめられてできた歩道には、やはり多数のゴブリンが歩いた形跡が見られた。
「ピジム、グラシェス。急に出くわしても迎撃できるよう、準備しておいてね」
「いつでも来い、ってね」
「だ、大丈夫です」
ゴブリンの生活圏に近づいていることが分かり、緊張感が高まる。やがて前方に、これまでの木漏れ日とは違う明るさが見えてきた。頭上を遮る枝葉が、その空間だけはなくなっているのかもしれない。
「村長さんの言ってたのは、あそこかな。警戒しながら進もう。ピジムが前、グラシェスは右、僕は左と後ろを」
地面にしゃがみジリジリと、三人で四方を見つつ慎重に近づく。横倒しになったクヌギの朽ち木、そこに生えたキノコもくっきりと見えるようになったが……残念と言うべきか、ゴブリンの姿はなかった。
ピジムが下草を蹴りながら愚痴る。
「うー、ハズレかぁ」
「もう少し、人の手が入らない奥地で活動しているのかもしれないね……。少し早いけど、ここでお昼にしよう」
気づけば、昼時も近づいている。今日のメニューは、出発前に買ってきた脂漬け。肉と野菜をたっぷりの油脂で煮込み、獣の皮に密封して冷やし固めた保存食である。
初夏の陽気で既に半解凍になったそれを中身を器にあける。そのまま日差しに晒して待つだけで、高カロリーなシチューが出来上がる。
嵩張らないうえにハイカロリーなこいつは、消費エネルギーの多い幻導士にはありがたい存在なのだが……
「舌いっぱいに脂が広がって……うん、お肉の味がしない」
「し、仕方ないよ。ほ、保存食なんだから」
「分かってるけどー。お肉を柔らかく煮た、温かいスープが恋しいなあ」
この手の食品は保存期間が優先されるため、とにかく油で覆い尽くされている。食べた印象で「生温くて歯ごたえのある脂 ~時々、肉と野菜~」という声も聞かれるほど。
火にかければ大分マシになるのだが……準備と後始末が面倒なため、温めるためだけに使うのは難しい。
「と言う割には、良い食べっぷりだね」
「別に、嫌いなわけじゃないもん。何より、後で戦わなくちゃいけないしね!」
それでも、貴重な食料であることに変わりはない。ぶつくさ言っていたピジムも、ぺろりと完食してしまう。好き嫌いをして務まるほど、幻導士の仕事は温くないのだ。
腹ごしらえが済んだ三人は、集落への土産として朽ち木に生えたキノコを採集する。ついでにゴブリンの情報も探したが、周辺で見つかった切り株はどれも伐採から十年以上は経っていた。恐らくは過去に集落の材木として使われたのだろう。
「まだ時間はある。もう少し奥の方まで探ってみよう」
これ以上、ここに留まる必要はない。カイン達は、人が足を踏み入れていない領域の探索を始めることにした。
木がこれまで以上に生い茂り、日光が遮られる。まだ陽は高々としているはずなのに、視界が一気に暗く、気温も下がったような気さえする。
獣道を頼りに奥へと進んでいくと、再び前方に明るくなっている場所を見つけた。
「こ、こんな所……。ひ、人が伐採するはずない」
グラシェスの呟きに、カインも同意する。
「ほぼ間違いなく、ゴブリン達だろう。さっきよりも視界が悪い、さらに注意して」
先ほどよりもなおゆっくり、亀でももう少し速いんじゃないかと思うほどゆっくりと三人は歩を進める。
次の瞬間には木陰から敵が飛び出してくるかもしれない。敵地のど真ん中にいる緊張から、真夏でもないのにカインが着ている薄い鎧の下は汗だくになっていた。最も軽装であるピジムも、意図的に息を長く吐いている。消耗は、思いのほか激しい。
風がゆるりと木々の間を吹き抜け、枝葉が一層騒々しくなる。カインは身を伏せたまま止まり、木剣を生成しつつ尋ねる。
「……二人とも。覚悟は良い?」
戦闘は、避けられない。
「……地に廻れる命の父よ」
ピジムの返答は、詠唱。
「万の災厄を砕く力、我が体に宿したまえ――土棘」
籠手の打撃部分に土属性エレメントの棘が並べられる。アースパイクより術式が小規模で威力は低いが、その分拳に纏めて扱いやすい。
「だ、大丈夫です。ぴ、ピジムみたいに勇敢には無理だけど……戦」
「ギャェーーッ!!」
「ぇえっ!?」
戦えます、と言い切る前に。頭上から絶叫とともにゴブリンが降ってきた。驚愕の声を上げ、咄嗟に頭を抱えて丸まったグラシェスの背中に小さな手斧が振り下ろされる。
「させない!」
本能で襲撃を察知し、駆け寄っていたピジムが真下からアッパーで迎え撃つ。過剰な負荷を受けた柄が、中ほどから折れて転がった。
一方持ち主のゴブリンは、空中で姿勢を崩し、尻餅をついたところをピジムの拳を顔面に受け、四ツ目にされて絶命した。
「あ、ありがとう。ピジム。ぜ、全然、気づかなかった……」
「どういたしまして。でも、まだ来るよ!」
「う、うん!」
まだ木の上が騒がしい。一匹が無防備なグラシェスを見て先走ったのか、それとも……。何にせよ、よく見えない樹上からの攻撃をむざむざ待つ必要はない。
「走れ!!」
カインの合図で三人が走り出すと同時、地面に何かが刺さった音がした。攻撃手段を投擲に切り替えてきたか。
明るく開けた場所まで一気に出る。そこに広がっていたのは、川で見た舟よりさらに大きな丸太。
そして、手に持った工具でそれを舟へと加工しているゴブリンだった。その数、十余匹。カイン達に気づいた奴らは、工具を斧や鎌に持ち替えて威嚇してくる。わざわざ武器と工具を使い分ける時点で、通常のゴブリンの常識は通用しない。
後ろからは、樹上にいた連中が投擲物を拾いなおして三人を挟撃しようと迫っている。
「後ろは僕が守る。ピジムは前をかく乱、グラシェスは隙を見て押し流してくれ!」
「オッケーセンパイ!」
元気の良い返事と共に、ピジムが弾かれたように前線へ跳ぶ。一番前にいた奴が反応する前に右ボディでノックアウト、左の裏拳で吹っ飛ばして仲間にぶつける。もつれて転んだ二匹目の股間を踏みつぶして泡を吹かせる。グラシェスの所へターンしつつ、三匹目のド頭に打ち下ろしの右拳。強い圧を受けた顔面から大きな眼球が零れ落ちた。
「そっちが人間みたいなやり方なら……アタシはゴブリンみたいなやり方で!」
自分達が数で劣る場合、相手の陣形が整う前に先制し、乱戦で数を減らすのが定石。そういう意味で、ピジムの取った行動は極めて理に適っている。
「ア、アプローチが野性的すぎるよ……。ケ、ケガがなさそうで良かったけど」
グラシェスは、それを気が気ではない目で見ていた。まあ、ピジムが負傷した際に治療に当たるのは彼であるからして。痛がる彼女は見たくない。
一方のピジムは、自身の吶喊に紛れて一匹仕留めていたグラシェスを笑顔で称える。
「お、しっかりしてるー。 その調子!」
「ピ、ピジムは調子に乗り過ぎないようにね!」
再び猛然とゴブリン達に突撃……と見せかけて、間合いのギリギリ外側を回り始めるピジム。長物を持たない身軽さを存分に活かし、飛び込むフェイントを盛んに織り交ぜてゴブリン達の目を引き付ける。
仲間を派手に殺されたゴブリン達の目は怒りに染まり、最早ピジムしか映っていない。
「す、澄みきった清流よ。止め処なく寄り、堅き岩をも穿ちたまえ――」
「ギャジッ?」
グラシェスの杖が輝きを増していることに、今更気づいた者がいる。慌てて武器を投げつけようとするが、悪あがきにしても遅すぎた。
「『雫杭』!」
ピジムが発動の気配を察して緊急離脱し、グラシェスが編み上げた幻素を解き放つ。冠持ちすら地に伏せさせた水量だ、ただのゴブリンなどひとたまりもない。 体ごと地面へと押しつぶされ、首や手足があらぬ方向に曲がったゴブリンが五匹。
煮えたぎる怒りを向けてきた先ほどから一転、仲間の半数以上を一挙に失ったゴブリンは怯えを隠そうともしない。工具も武器も投げ捨て、さらなる奥地へと消えていった。
「ぜ、全部は巻き込めないか……」
しかしグラシェスの自己採点は、少々辛い。やや詠唱を焦ったせいで、誰もいない場所に落ちた水が多かったのである。
「……意外とカンペキ主義者だよね、グラシェスって」
「み、皆は前線で体を張ってるから。せ、せめて」
「そんなことないよ、グラシェス。ただのゴブリン相手なら、もう安心して任せられる」
早々に後ろの五匹を片付け、あとはいざという時のフォロー役に徹していたカインが、グラシェスを称賛する。
「ダ、ダメです。と、咄嗟の詠唱で、また失敗して」
「失敗じゃないさ。敵の戦意を削いだのはグラシェスだろ? 間違いなく成功さ」
「そ、それは。ぼ、僕だけ守ってもらって、安全に詠唱できるから……」
「じゃあ聞こう。僕もピジムも、何でグラシェスを守ると思う?」
カインは、あえて意地の悪い質問をする。グラシェスは少し考え、恐る恐る
「……お、幼馴染だから?」
「ちょっとネガティブすぎない!?」
大変心外である、という顔でピジムが割り込む。
「グラシェスが、いっつも大きな術式で相手を押し流してくれるからじゃない! ちょっとどんくさいけど一生懸命だし、怪我しても治してくれて、失敗しても慰めてくれて……大事な仲間だから」
自分で言って恥ずかしくなったのか最後の方は小声になっていくが、カインはそれを茶化すことなく大きく頷く。
「その通り。グラシェスに任せれば、全力で成功させてくれる。そう信頼できるから、僕らも全力で君を守る」
狩場は「幼馴染だから」というだけでパーティーを組んで生き残れるほど、優しい場所ではない。
グラシェス・ロドムは、自分達の命を預けるに足る幻導士だと、カインはそう言い切った。
「……は、はい。で、でもやっぱり、さっきのは全部に当てないと」
「まあまあ。それは、頑張ってもらって」
意外なところで強情なグラシェスに苦笑しつつ、カインは次の目標を定める。
「とにかく、奴らが作っていた舟を確保できた。ピジム、壊せるかい?」
目の前の丸太を舟として使えないよう、念入りに破壊する必要があるだろう。
「立派な丸太だし、もったいない気もするけど……仕方ないよね」
ピジムが拳を振りかぶり、作りかけの舟に拳を打ち込む。薄い舷側が壊れ、底にも大穴がいくつも空く。
とどめに丸太そのものを真っ二つにし、破壊作業は終了した。
「これだけやれば……十分でしょ」
流石に息の上がったピジムが、水筒を口に運んで一息つく。肉弾戦に限れば、ピジムは既にカインに勝るとも劣らないレベルに到達しているかもしれない。
「悪いね。大変な役回りを任せちゃって」
「そこは『ありがとう』でしょ? センパイ」
「っ。そうだね、ありがとう。用は済んだ、日が暮れる前に戻ろう」
もう陽が落ち始める頃だから──カインがそう言った直後のことだった。
「ギィィイiaaaAAーーッッ!!!」
憤怒を炸裂させるような、凄まじい咆哮が響き渡る。
エレメンターズ豆知識
『保存食』
今回出た「脂漬け(ファトゥルス)」の他、燻製肉やドライフルーツが良く食べられる。
テレザは炎の制御訓練と称して、燻製肉を自作しては片っ端から食べ尽くすらしい。
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