準決勝第一試合を終え、未だ興奮冷めやらぬ中央闘技場。
「あ、おかえりなさい!」
シェラが試合を終えて貴賓席へと上がってきたテレザに気づき、声を上げる。その声を聞いた下方の観客が振り向き、テレザの姿を確認すると一斉に喝采を浴びせた。中には上に身を乗り出してハイタッチを求めてくる者まで出る始末。
テレザは眉間に皺を寄せつつも、適当に手を振って応えつつシェラのもとに辿り着く。そしてシェラの両頬をむにっと掴んだ。
「あのねえ。もう散々騒がれて辟易してんのよこっちは……!」
「ふぉへんふぁはい~」
ふがふがするシェラを見たナガラジャが笑う。
「はっはっは。やめてやよ。お前だって、人気者なのは嫌いじゃねえだろ?」
「ここの連中に好かれてもね」
「お前だって根っこはこっち側だろうが」
「は? あんな野蛮な連中と同列扱いとか張り飛ばすわよ」
「そういうところですよ」
語るに落ちるとはこのこと、と笑顔で指摘したノエルを睨みつけ、テレザはどっかりと腰を下ろす。よほど腹に据えかねたらしいが、ナガラジャはその様子を見ても笑顔を崩さず、まずは決勝進出を労った。
「拗ねるなよ。ここまで期待通りの活躍だ、俺の目に狂いはなかったぜ」
「そりゃどうも。でも鉄血都市って、血剣宴の出場者まで含めてもこんなもん? 残った競技者、外様ばっかりじゃない」
「ちょっとテレザさん!? 何でそんな失礼なこと」
「こんなもんだ。そもそもお前が強くなりすぎた、ってのもあるが……結果としては予想通りだな」
テレザの煽るような言葉にも、ナガラジャはいたって平静に答えた。
「というかテレザ、お前自身が散々言ってるだろ」
他所で真っ当に稼げる人間なら、わざわざ鉄血都市では暮らさない。ここに来るのは娑婆に顔を出しづらいお尋ね者か、あるいは全てを失って、同じ傷を持つ者同士で徒党を組んだ人間が大半だ。
「お前らが懇意にしてる店の――キーンだったか。あんなの超の付く希少種だぜ」
「えっ。ご存知なんですか?」
「知ってるとも。俺も棟梁として、色々やってるんでな」
「そうなんですね……」
ニカッと鋭い犬歯が覗く。竜人の成人ならばゆうに一〇〇年は生きているはずだが、シェラの驚きを見て取ったその瞳は悪ガキのような無邪気さを湛えていた。
「……こんなこと言ってますが、今の情報は私経由でしてね?」
「お、お前! カッコつけさせろこういうところは!」
「話が逸れましたね。道を外れた者が最後に流れ着く――吹き溜まる場所。それが鉄血都市です」
「この野郎……。まあ、そういうことだ。喧嘩っ早いし、殺しにも躊躇がねえ連中ばっかりだから、周りからは恐れられてるけどな。本当の腕利きってのは、意外といねえんだ」
あっさりと鉄血都市の実態を話してくれる。考えてみれば、特に国家としてまとまっているわけでもないこの街で、まともな訓練など積みようがない。それぞれが我流で磨いた技は派手で見映えこそするが、洗練された技術を持つ者には通用しないのかもしれない。テレザはその筆頭格として勝ち抜けたということだ。
「なるほどねえ……。選考担当者だった、あの二人はやっぱり希少種側なの?」
「アーノルドと、ウィンファか?」
「うん」
「アーノルドは、元軍人だ。もう来て二十年以上になるな……魔物に滅ぼされた小国からここへ落ち延びてきた」
「あー、そういうタイプか……」
「今じゃ傭兵ギルドの顔役だ。戦地への派兵やデカい商隊の護衛をメインに、個人主義の強い幻導士には出されねえ依頼を受けてるんだとよ」
幻導士はギルド内で小規模なパーティを組むことはあっても、ギルド総出で依頼に当たるということはない。一方、傭兵はギルド全員で依頼へ赴いて稼ぐことが大半。
舞い込む依頼内容もかなり異なっているため、同じ幻素を扱う者でありながら「幻導士」と「傭兵」は明確に別の職業として成り立っている。
「で、ウィンファさんは?」
「ウィンファは、魔物の中でも四足だけを専門に狩るちょいと特殊な奴でな。対人も十分できるんだが、流石にお前の相手は荷が勝ちすぎだ」
「通りで。あっさり勝たせてもらえたわけね」
「彼女は魔物に集落を滅ぼされ、野垂れ死にそうなところを高名な狩人に拾われたそうです。ボウガン捌きはその狩人仕込みで、復讐のために同型の魔物を狩り続けているんだとか」
「へぇ~」
「……本当に皆さん、大変な人生を送ってきてるんですね」
彼ら二人とも、想像以上に重い過去を背負っていた。軽い返事のテレザとは対照的に思わず下を向くシェラに、ナガラジャは努めて明るく声をかける。
「おっとすまん! お前さんには刺激が強すぎたな。あいつらは今、立派に鉄血都市で生きてるんだ。お前さんが同情する必要はねえよ」
「は、はい……」
自らの境遇は本当に恵まれている、とシェラは思う。決して裕福とは言えない暮らしではあったが、両親も姉弟も健在だし、危険生物に出会ったこともなかった。幻素を扱う才能を活かして幻導士になりたいと言った時には、なけなしの貯金を切り崩して自分に持たせてくれた。
あの二人は多くを失って、過酷な道程の末にこの街で生計を立てるに至ったのだろう。詳しくは語ってくれないが、テレザもきっとそうだ。そんな人達が辿り着いた境地を、自分なんかが目指して良いのだろうか。
「もー、最初に会ったときに言ったでしょ」
生返事をしたっきり黙り込んでしまったシェラの頭に手が乗り、呆れ声と共にその髪をワシャワシャとかき混ぜる。
「わっ」
「あなたにはあなたの道がある。他人と比べる意味なんてないって。あと、私たちの強さを境遇のお陰だなんて思わないでよ?」
他ならぬテレザだった。その指使いは繊細で、失礼な話だが思っていたよりずっと女性的だ。だが彼女はシェラに対して思うところがあるらしい。発する言葉が深く鋭く、シェラの心に滑り込んでくる。
「別に、悲惨な目に遭いたかったわけじゃないわ。シェラは、そういう経験してみたい?」
「っ。いや……です」
そう問われて、シェラは恥ずべき思い違いを悟った。誰しも国や家族を失うなど御免なのだ。不遇を乗り越えて生きてきたからと言って、それは決して本人の望んだことではない。
彼らが勝ち取った現在を、シェラは悲惨な境遇に晒されたゆえの特別なものと思い込んでいた。実際には、本人の弛まぬ努力の結晶だというのに。
「小せえ頃の過酷な経験なんて、性格歪ませるだけだぜ。なあ?」
「……何でそこで私を見るわけ?」
「見られたって自覚があるならそうなんだろ」
「はぁ? 純粋な乙女を陥れる奴に歪んでるなんて言われたくないわ」
謝罪と、自分なりの答えを伝えしようと顔を上げると、ナガラジャとテレザがいつの間にか口喧嘩を始めていた。テレザはナガラジャとの応酬に夢中なようで、どうしたものかと首をすくめていると、ノエルがシェラの前に屈み、目線を合わせて自らの過去を明かす。
「その思い違い、シェラさんだけではありませんよ。何なら私、高位の森妖人として何不自由なく育ってきましたから」
その発言に、ナガラジャがいち早く反応する。
「あー、お前はそうだったな。エイグドラッセルと言えば、『針の森』を預かる森妖人の名門。そこの御曹司様だ」
「えぇ!?」
テレザが跳びあがらんばかりに驚く。シェラも、その森の名前だけは聞いたことがある。
王都より北へ、山をいくつもいくつも越えた先。そこには深い雪と森が広がり、妖精の血族が太古の昔から棲まうと言われている。正体は森妖人なのだろうと思ってはいたが、実際にその血族を目の当たりにすれば当然驚く。
しかしノエルはその血筋を誇示するでも卑下するでもなく、先ほどまでと全く変わらない態度でシェラに向き合う。
「ええ、世間一般に照らせばやんごとなき生まれです。でも、私はここに住むことを選んだ。無論周りからは色々言われましたよ。しかし私が納得できる道ならば、それで良いんです。幸い私は次男でしたから、森のことは兄に任せることができましたし」
「自分の納得できる道を進め、ってのは私も同意だけどね……」
予想外の事実にテレザが苦笑いを浮かべる。シェラも一つの大きな疑問を抱き、投げかけた。
「そんな人が、何で鉄血都市に……?」
「そうよ。森で暮らしてれば、それに振り回されることもなかったでしょ?」
「それってお前」
「皆さん、必ず理由を聞かれるんです。やっぱり気になりますかね?」
ナガラジャの苦情を受け流し、ノエルがテレザを見た。
「当たり前でしょ」
「話せば長くなりますよ。何せ、一五〇年前まで遡るんですから」
「あなた森妖人だもの、そのくらいじゃ驚かないわ」
「ノエルさんって、おいくつなんですか……?」
「大体、二〇〇歳と思っていただければ。棟梁とほぼ同い年です」
「にひゃっ……」
「でも、森妖人としてはかなり若い方でしょ?」
「そうですね。今まで普通の人間として生活していれば驚くのも無理はないですが」
森妖人の歴史は他の種族よりも古く、その血筋はより神に近いものと言われている。非常に長命で、特に青年期が長い。人間の寿命が約七〇年、鉱妖人や竜人で五〇〇年程度と言われる中、彼らは優に千年、さらに由緒ある血統ならば二千年以上を生きる。人間の感覚では二十代後半に見える執務長は、あと1000年ほどこの美貌を保ったまま生きていくのだろう。
「嫌になるぜ。俺はどんどん老けてくのに、こいつはピチピチのままでよ」
「確かに、棟梁も最近は肩こりやら眼精疲労やらで悩むようになりましたね。そう言った悩みが無いのは良いことかもしれません」
ナガラジャが愚痴る。近くで全く老けない彼をずっと見ているから、一層自らの老いを実感するのだろう。だがシェラは、その寿命の長さには常に思うことがあった。
「でも……良いことばかりじゃないですよね」
知り合った人たちに、どんどん先立たれるんですから。と続けたかったが、言えなかった。だが何となく伝わったらしい。ノエルは小さく頷く。
「……ええ。多くの森妖人が人付き合いを避けて森に籠った理由が、正にそれなんです。不老長寿の我々が他の種族と懇意になっても、必ず相手が先に逝ってしまう。そんな悲しみを繰り返し味わうくらいなら、いっそ付き合うことなどやめてしまえば良いと」
「あなたは、それを覆す何かに出会ったってこと?」
「はい。黎明期の鉄血都市で棟梁を務めていた、ベラ・ガレルフォンという人間の女性でしてね。彼女は鉄血都市の発展のため、わざわざ我々が住む森に赴いたんです」
「ここから針の森まで? どんだけあると思ってんのよ」
「すごい根性ですね……」
「本当に驚きましたよ。探検家が偶然迷い込むことはあっても、わざわざ森妖人を訪ねて来る人間なんて殆どいませんでしたから。とはいえ、敵意はなかったので私は彼女を客人として迎えました。そしたら、彼女は私にこう言ったんです」
軽く目を閉じる。ノエルは当時を懐かしく思い出しているのか、どこか嬉しそうに当時ベラに言われた言葉を紡いだ。
「『私と一緒に鉄血都市を運営してくれる、頭の良い奴を探してる』って」
「……そのために、あの森まで行ったってこと?」
「はい。森妖人だから賢いだろうと、それだけの考えだったみたいです」
「呆れた。何て返事したの?」
「勿論、即答でノーでしたよ。人と付き合うつもりはない、とね」
「それは、そうですよね……」
「だが彼女はめげなかった。絶対に諦めないと、しつこく私に頼み込んできたんです。これは自慢になりますが、私は一族の中でも特に才覚に恵まれていました。いずれは針の森を背負う――皆がそう期待していたし、私もそう思っていた。しかし彼女と話すうち、それをどこか窮屈に思っていた私を、無視できなくなったんです。同時に『皆が望む私』は、『私が望む私』なのか? と、疑問に思うようにもなった」
一族の者がベラを遠巻きにする中、ノエルだけは彼女の話を親身に聞いた。どんな方面の知識が欲しいのか、そもそも鉄血都市をどんな場所にしたいのか。ベラ本人にもそれは手探りだったが、執務長に自らの夢を話す中で、目指す都市の形が出来上がっていったようだ。
「彼女の話を聞いたところ当時の鉄血都市は、野蛮という概念の上に工房を立てたような、到底都市とは言えない場所でした。あれと比べれば、現在は規律正しい軍隊と言っても過言ではありません」
「もうそれ、人間が住める環境じゃないわよね」
「ごもっとも。彼女は、それをどうにか変えたいと思っていたようです。荒くれ者と犯罪者は違う、最低限のルールは守れる街にしたいと、そう言っていました。そのためには腕っぷしの他に、言葉で、知識で、人をまとめられる者が欲しいと。……あとは、右腕にするなら二枚目が良いと言われまして」
最後は珍しく照れくさそうなはにかみが混じった。ナガラジャ(約二〇〇歳・独身)が急に不機嫌になる。
「惚気は良いから、続き喋れよ」
「すみませんね。……そんなこと、一族の者に言われたことはなかった。若くして多くの知識と術式を修めているから、針の森の長に相応しい? しかしいつかは、誰だって私と同じことができるんです」
何故なら森妖人は長命であるからして。才覚は時間で補える。長がノエルという個人でなければいけない理由は、特になかった。一族はノエルの能力に期待していたが、ノエルが本当に向いていることは何かなど、気にもしていなかった。
対してベラは、本当にノエルを見て必要だと言ってくれた。それが、しがらみを解くきっかけ。彼は周囲の反対を押し切り、駆け落ち同然に森を抜けた。
「一族の期待を裏切ることへの葛藤は、無かったと言えば嘘になります。しかしいざ決断すれば、迷いはありませんでしたよ」
「鉄血都市に行った後も、壮絶な人生が待っていそうです……」
「ねー。むしろ、森を捨ててからの方が大変だったんじゃない?」
話を区切るとシェラがそう漏らし、テレザが追従した。その穏やかに肯定し、ノエルは総括に入る。
「自分がいかに森の中でぬくぬくと育っていたか実感しました。シェラさんと同じような思い違いもしていましてね。彼女から本気でビンタされたこと、今でも覚えています」
しかし、ノエルに森を出たことへの後悔はない。努力の甲斐あって無法地帯は少しずつ、ベラの望み通りに街らしくなっていったのだから。
そしてベラと出会って二十年が経過した頃、ナガラジャが都市にやって来る。その腕っぷしとカリスマをベラに認められ、ナガラジャは二代目棟梁に指名された。ノエルは病を患ったベラを看病しつつ、執務長として彼の補佐に当たることになった。
「彼女が亡くなった時にはこれまで感謝と、鉄血都市の未来を託してもらいました。以来私は棟梁と共に、都市の発展のため尽くしてきたつもりです」
「良かった……ベラさんは、幸せな最期だったんですね」
「きっと。随分長くなりましたが、要は生まれなんて気にすることはない、全ては自分の努力次第ということです。なりたいと思ったら目指せば良い。幸いシェラさんは、良い先達を見つけたようですからね」
「私のこと?」
「幻導士として高みを目指すなら、あなたほどの適任はいないと思いますが――おっと、昔話はおしまいです。始まりますよ」
ノエルが闘技台に視線を移した。いつの間にやら次の試合の準備が整っていたらしく、両選手の姿を通路に確認すると、溜め込んだエネルギーを発散するように観客席から歓声が爆ぜる。ナガラジャが犬歯を覗かせて聞いた。
「ぶっちゃけ、どっちが決勝に来てほしい?」
「どっちかと言えばオーガスタスね。不完全燃焼だもの」
「選考会でやりあったんだったな。お前さんはどうだ?」
「わ、私ですか? ……複雑です。オーガスタスさんにも負けてほしくないですけど、決勝で知ってる人同士が戦うと、どっちも応援しづらいというか」
「なるほどねえ。本当、何でこんな良い奴をここに連れてきたんだお前」
「私は悪くないって散々言ってるでしょ」
話す間にも会場のボルテージは上がり続け、隣からの話し声すら聞き取りづらくなり始めた。いい加減慣れてはきたものの、野太い雄たけびの大合唱にシェラは顔をしかめる。
「よしよし、大丈夫だからね?」
「もうっ、やめてください」
「だって、可愛いんだもの。私が言うのも何だけど、しっかり見ときなさいよ」
再びワシワシと頭を撫でられ、抵抗するとテレザの明るい声がはっきりと届いた。緊張を和らげようとしてくれたらしい。確かに幻導士として、見逃せない一戦だ。気持ちを切り替えて闘技台を見つめる。
眼下では、今まさにオーガスタスとクラレンスが拳を合わせ、開始位置に分かれていくところだった。細かい様子は少女の目ではよく見えないが、周囲三人の期待感溢れる表情から、両者とも調子は良いのだろう。
二人がゆっくりと武器を構え、いよいよ舞台が整った。ぱたりと止んだ歓声が不気味なほどの静寂で、この後の嵐を予感させる。
「いざ尋常に――」
両者を仕切るように、審判の右手が前に差し出される。
「――始め!」
前口上が終わり、後々まで語り草になる大活劇が幕を開けた。
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