風の杭が夜風に溶け、マーブルウルフの死骸がベシャッと地にへばりつく。地面にへたり込んでいたテレザは、押し寄せる安堵感に身を任せつつ、ゆっくりと深く呼吸する。
ここまでへばったのは、もう何年も前まで遡る。
サイラスはそんなテレザに気遣いの言葉も、ついでに足音もなく近づいた。屈みこみ、彼女に肩を貸す。
不意に、しかも割と乱暴に体を引っ張られたテレザだが、もはや驚く元気もない。鍛えた筋肉の分、彼女の体重は一般よりやや重いのだが……枯れ木のような外見に反し、彼の体は一切ブレなかった。シェラの近くに降ろされる。
「ありがと。意外と力あるのね」
「……」
テレザの礼にサイラスはやはり答えず、集落の中を指差す。「大人しくしていろ」とでも言いたいのだろうか。実際問題、幻素を使い果たした今のテレザは、一般人に毛が生えたかも怪しい。闇の向こうへと参戦するのは、無理がある。
「行くわよ、シェラ。立てる?」
「はい、何とか」
シェラと連れ立ち、ふらつきながら集落の中へと避難するテレザ。それを見届け、サイラスはジェヴォーダンと向き合う三人の元へ戻った。
「戻ったかサイラス! 二人はどうだった?」
ジェヴォーダンの隙を窺いつつ、オーガスタスが二人の安否を確認した。サイラスは質問に頷きだけを返し、ゆったりと杖を構える。それで言いたいことは、全て伝わる。
「そうか、何よりだ。……本当なら、先輩の勇姿を見せつけてやりたいところだがな」
「おいオーガスタスっ、気を抜くなよ!」
その軽口を、クラレンスが咎める。彼は姉と連携し、ジェヴォーダンの攻撃を凌ぎ続けている。檄で持ち直したとはいえ、決して体力に余裕があるわけではない。さっさと決めるべくパーティリーダーはサイラスに指示を出した。
「サイラス、奴の毛皮は分厚い。手数はいらねえ、急所をきっちり狙って撃ち込め!」
ジェヴォーダンが再び動く。爪を振り下ろし、頭突きをかまし、二枚の盾を壊そうと暴れる。が、カミラとクラレンスは一つ一つの攻撃を丁寧に捌き、決して隙を見せない。どころか、小さく鋭く反撃を試みる。
烈火のごとく攻め立てる狼王に翻弄されているように見えて、戦況は一進一退のまま推移していく。
正面突破は不利と判断したか、ジェヴォーダンが不機嫌に唸る。そして、巨体からは考えられない速度で四人の側面へと回り込んだ。爛々とした紅い瞳の中心に据えられたのは、手痛い一撃を見舞ってきたオーガスタス。
「っ、させるか!」
狙いを察したカミラの叫びに、クラレンスが合わせた。二人がかりの防御はどうにか間に合い、狼王の咢と押し合う。
「――」
目の前で仲間が危機に晒されても、サイラスの様子は普段と何ら変わらない。彼の戦いには気合いも焦りも必要ない。
「……『風棘』」
ただ小さな詠唱があれば足りる。
地面に踏ん張ろうとした狼王の足裏に、太く短い風の先端が食い込んだ。仮に狼王が術者に意識を向けていれば、もしくは攻撃が顔付近に来れば躱せただろう。が、目の前に集中していた今、足元は完全にお留守。ダメージは無いが、一瞬体が竦む。
「――ぉおっしゃあっ!」
その空白に、サイラスとは対照的な裂帛の気合いが滑り込んだ。サイラスが術式を放つより前に駆けだしていたオーガスタスの戦鎚が、狼王を直撃する。狙ったのは尋常ならざる嗅覚を実現する鼻。そこだけは、分厚い毛皮で覆うわけにもいかない。この戦いで初めて咆哮でも唸り声でもない、狼王の悲鳴が上がる。
「全員、ありったけぶち込め!」
「「了解!」」
オーガスタスの号令に姉弟の声が重なる。ようやく傾けた勝敗の天秤、この優位を渡さず決め切る。
「押し流せッ『轟砲水』!」
カミラが大きくのけ反った狼王の喉元に怒涛を放ち、その前肢を完全に地面から引きはがす。クラレンスが風を纏って大地を蹴り、中空に踊り出る。
「『風牙穿』!」
詠唱と共に急降下し、金髪が闇に尾を引く。天を仰ぐ狼王の眉間に、不遜な穂先が突き立った。
さらなる絶叫を上げて開かれた狼王の口の中に、
「……『風杭』」
さらに風の杭が三本。立て続けに打ち込まれる。サイラスの容赦ない追撃は、断末魔すら途中でかき消した。一瞬時が止まったように緊張した巨体が、力を失って地面へと崩れ落ちる。それに先んじて華麗に地面に飛び降りたクラレンスは、喀血をモロに浴びて赤黒く染まった鎧に風を纏わせて顔をしかめた。
「サイラス。止めを刺してくれるはいいが……」
もう少し綺麗に頼む。……という言葉を、クラレンスは汚れと共に風に流した。今は討伐を喜ぶべきだと思い直し、礼を言う。
「――いや、助かった」
「……強く、なったな。クラレンス」
「っ。ああ、おかげでな……、?」
カミラの唐突かつぎこちない褒め言葉に、思わず狼狽えてしまうクラレンス。
「その辺でな。ひとまず、テレザ達と合流……ん?」
オーガスタスが二人を微笑ましく見ながらそう言いかけ――違和感から後ろを振り返る。そこには急速に朽ち果て、塵となっていくジェヴォーダンの死体があった。野生動物も魔物も、死体がこれほど急速に消えることは通常ない。
「何だ、こりゃ……?」
呆然と呟いたオーガスタスに、答えられる者はいなかった。ただ、あのジェヴォーダンは通常の魔獣――魔獣の時点で通常ではないか――とにかく、これまでの魔獣とは違う性質を持っているということだけは分かる。
「魔竜の影響、としか今は言えねえか……。行こうぜ。可愛い後輩が待ってる」
自らの中でとりあえずの答えを出し、オーガスタスは気持ちを切り替える。四人はテレザとシェラ達の待つ集落の中へと向かった。
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