2人が鉄血都市に来てから一ヶ月半。
「組み合わせが出たよ! さあ、賭けた賭けた!」
威勢の良い掛け声に人々が群がっている。六回目の選考が終わり、血剣宴開催を二週間後に控えたこの日。ついにトーナメント表が発表されたのだ。
出場者は総勢六四名。今回からは一人一人に運営が評価をつけ、その評価が高い者ほど勝ち残りやすい組み合わせとなっているらしい。
ちなみに去年まではもっと選考の門戸が広く、二五六人で頂点を争っていた。
観衆はトーナメント表から優勝者などを予想して、賭け金を支払って配当券を買う。予想が当たれば、その競技者にかけられた倍率に応じて配当金がもらえるシステムだ。
「おいどけよ!」
「こっちが先だったろうが!」
「いや俺が一番乗りだった!」
我先にと配当券を買い求める人で、メインストリートはいつも以上に混沌としていた。
その喧騒を密かに見つめる者がいる。
「おーやってるやってる……」
「売れ行きは、どうでしょうか」
テレザとシェラである。二人は棟梁のナガラジャに依頼された八百長捜査のため、メインストリートに軒を連ねる武具屋の屋根によじ登っていた。普通の街ならどう見ても不審者だが、元からこの都市は不審者だらけ、しかも誰もが血剣宴の開催を目前に沸き立っている。二人の行動を気に留める者は皆無であった。
注意すべきは配当券の買われ方だ。実力に比較して、不自然に人気だったり不人気だったりしないか。テレザはじっと遠眼鏡を覗き込んだ。
「んー、と。招待選手なのに、選考上がりより人気のない奴がいるわね」
「はい。……あ、テレザさんとオーガスタスさんの売れ方、すごいことになってますよ」
「まーあんだけ立ち回ればね……。現時点で怪しいのは四人かしら?」
「選考上がりの人と、招待選手で二人ずつですね」
「よし。とりあえず買いの流れは掴めたし、戻りましょう」
竜の巣に戻ってきたテレザとシェラ。二人から、誰がどの程度買われていたか報告を受けた森妖人の執務長・ノエルは、無精髭の一本もない綺麗な顎を撫でて思案する。
「ふむ……この招待選手ですが。一昨年と昨年、下馬評を覆してベスト8に進出しています。にも関わらずこの不人気。やはり、普段の評判は大したことないのでしょう」
「しかも買っていく奴は自信満々に鉄火の大枚叩いてくのよ。まるで勝つって知ってるみたい」
「相当怪しいですね。これらの配当券を買った人物もこちらで洗います。ご協力、ありがとうございました」
細かい捜査はノエルに任せて、二人は自分たちの部屋で配当券の買われ方を振り返る。八百長云々は抜きにして、誰が強者と目されているのかは知っておいた方が良い。
まず優勝の一番人気。これはテレザとオーガスタスが頭一つ抜けてデッドヒートを繰り広げている。その後ろに選考担当者の四人が団子状態で続く。この辺りは実力をその目で見、そして敗れていった挑戦者達の票が多く入っているのだろう。
あとは大きく水を開けられながらもその他の招待選手がちらほら。一回戦は招待選手対選考上がりで競われるため、彼らは二回戦までは勝ち上がるだろうと全般に手堅く買いが入っていた。
「オーガスタスと選考担当者以外には、負ける気がしないわね。準決勝までは楽勝なんじゃない?」
テレザ、いきなりこの発言である。
「だ、ダメですよそんな」
「仕方ないでしょ、あとの連中が私の炎を凌ぐイメージが湧いてこないんだもの」
思わずツッコんだシェラにしれっと言い返す。闘技場での対人戦において、自分はかなり有利だとテレザは踏んでいる。燃やすとまずい物がなければ、広範囲大火力の炎を存分に振るえる。生半可な奴には負けるほうが難しい。
「む、むぅ……」
シェラも反論の材料には乏しいらしく、可愛らしくむくれただけで何も言わなかった。テレザは拗ねた家猫のご機嫌を取るようにその頭を優しく撫でてやる。
「でもまあ、あなたにお世話かけるつもりはないから。戦うときは気は抜かないわ」
「そこは頼りにしてるって言ってください」
「まだだーめ」
結局、上位五人の選考会での戦いぶりを重点的に思い出し、それに対する対策を練っていくことにした。
「……クソッ。今年から急に選考厳しくしやがって。四人じゃ大して稼げねえ」
「今更グダグダ言っても仕方ない。あの倍率の選考を二人通れたんだ、まだマシだと思おうぜ」
「それだけじゃねえ。俺ら二人とも、一回戦勝ったらあの化け物どもだぞ」
「ありゃあ、神様を呪ったねえ」
酒場でボソボソと囁き合っているのは、ノエルも怪しんだ二人の招待選手。過去の血剣宴の実績から本戦へ直接参加を許されたものの、その本質はやはり八百長だった。しかも何の因果か彼らの二回戦は外部出身の幻導士――テレザとオーガスタスである。両方とも八百長の通じそうな相手ではなく、今回の血剣宴の儲けは昨年よりかなり少なくなりそうだ。
「よお、招待選手様じゃねえか」
「景気の悪い顔しくさってどうした?」
呑み仲間に声をかけられた。彼らもまた八百長の片棒を担ごうとしたのだが、あえなく選考で落選している。最初に愚痴ったバンダナの男がイラっと視線をぶつけた。
「アんだよ、分かってんだろ?」
「まあまあ、そう怒んなって。逆に気が楽だろ、やることは一回戦だけだ」
「あー。そういう考えも、なくはねえなあ……」
「ササっと一回戦勝って、二回戦は棄権。そんで大会中は俺らの儲けでパーっとやろうや」
今回二人の一回戦勝利の配当倍率は、選考上がりの対戦相手よりかなり高い。それだけ普段の評価が低いということだが、今回もそれを利用して稼がせてもらう。
それに、選考上がりの仲間が対戦する相手にも既に話は通してある。例年より少ないとはいえ、しばらく遊べるだけの金は稼げる。
「……やはり、そうか」
皮算用を始めた彼らは後ろで一人、会話をじっと窺っていた者がいることに気づくことはなかった。
いよいよ、血剣宴開催当日。開会式の会場である中央闘技場に競技者達が入場し整列、客席から割れんばかりの大歓声が起こっている。
この大会で実況を務める男が声を張り上げる。風属性幻素によって空気を振動させ、自らの声帯以上の音量を生み出しているらしい。
『さあ選手も出揃ったところで、棟梁による開幕の挨拶を!』
壇上にナガラジャが上がり、用意してもらったらしい挨拶文を読み上げる。
「あー……本年は天き、いや天候にも恵まれ、血剣宴に絶好のひ、ん? 日和……?」
テレザは列の中、必死に吹き出すのをこらえる。あいつの敬体ほど違和感のあるものもそうはあるまい。そして読めない熟語があるらしい。
「さっさと始めろー!」
「噛み噛みじゃねーか! 練習しろボケ!」
客席からヤジとブーイングがまあ乱れ飛ぶわ乱れ飛ぶわ。待ちに待った祭りの開始がこれでは非難も当然ではあろう。
「前もって練習しろって言ったのに、どうして……」
原稿作成者のノエルは、貴賓席で一人悲しく目を伏せていた。
「あーもううるせえな、特に言うことなんかねえだろ! 今年も、一番強い奴を決める時期が来た! それだけだ!」
一斉に浴びせられるブーイングを、ナガラジャは大声で跳ね返す。
「競技者ども、お前らがここの主役だ。お飾りの言葉なんかいらねえ。お前らの血潮こそ血剣宴の象徴だ! 思う存分戦え、以上!」
挨拶文は役に立たなかったが、闘争心を煽るにはこれ以上ない挨拶だった。ブーイングに倍する喚声が沸き起こり、いやが応にも競技者を闘争へと駆り立てる。
『さあ開会の挨拶も済んで……いよいよ血剣宴、スタートだ! 一回戦は第一闘技場で三〇分後、第二闘技場は一時間後に開始されるぞ! 見逃すなよ!!』
実況の声で競技者も観衆も、各試合の行われる第一闘技場と第ニ闘技場に移動していく。準々決勝まではこの二つ、準決勝と決勝は中央闘技場のみが使われることとなっている。
今日試合のないテレザは、第ニ闘技場に移動してオーガスタスに声をかけていた。
「出番、いつだっけ?」
「俺は今日の第二試合だ。お前は明日か?」
「そ。まあ大丈夫でしょ」
「そう言って、足元すくわれるなよ。お前と本戦でやれると思ってたから、俺はあのとき引いたんだ」
「分かってる。当たるとしたら決勝ね、楽しみ――」
「本日試合のある競技者は、指定の待機場所までお願いします」
大会スタッフの声で、二人は会話を打ち切る。
「おっと、すぐ行くぜ。それじゃあな、テレザ」
「頑張ってね、応援するから」
血剣宴は順調に試合を消化し、二回戦へと入っていく。招待選手を破った選考上がりは、オーガスタスと投げ斧の女傭兵、そして八百長疑惑のかかる二人。オーガスタスは招待選手と同等と考えると、番狂わせはあまり起こっていない。
良く言えば順当、悪く言えば少々盛り上がりに欠ける序盤であった。
しかし当然八百長で勝ち上がった四人、そしてその仲間の心はお祭り騒ぎである。高配当を得て、しばらくは飲んだくれるつもりだった。
「よし、あとは二回戦でさっさと棄権して終わりだな。……お、ちょっと良いな」
八百長の発案者であるバンダナの男がそう言って、丁度近くを通りかかった大会スタッフに声をかける。風邪気味なのか知らないが、口元を布で隠している彼の声はくぐもっていた。
「はい、何でしょう」
「次の相手はいくら何でも分が悪すぎる、怪我する前に棄権させてくれ」
「俺もだ。あんな化け物なんざ相手にできるか」
「かしこまりました。……そちらのお二人も?」
「ああ、これ以上は勝ち進むのは無理そうだ」
「実は一回戦で怪我しててよ」
適当なことを言って、他の仲間たちも相次いで棄権を申し入れる。するとスタッフは、四人を別の部屋へと案内した。
「それでは、こちらへどうぞ」
「何だ? 俺たちはもう棄権するんだぜ?」
「何てことはありません。今回からのルールです。棄権の理由も書類に残したい、と執務長から」
血剣宴のルールだ、と言われれば面倒でも従うしかない。四人は部屋へと入り……同時に血の気を失った。
「おう、来たな。大会ご苦労さん」
目の前に、臨海寸前の怒りを湛えた棟梁、ナガラジャ・ファンヴネルが仁王立ちしていたから。とっさに背を向けて逃げようとしたが、部屋の扉はスタッフによって既にぴったりと閉められ、男たちに冷徹な視線が向けられていた。
殴り倒してでも逃げ出そうと思った瞬間、スタッフは帽子と布を取り、隠していた美貌を露わにする。その顔に、鉄血都市の住人ならば当然覚えがある。そして、彼を倒して逃げることなど到底できないことも分かる。
「お、お前……執務長!?」
「いかにも。さて、捕まえましたよ」
まさに前門の虎、後門の狼。恐怖のあまり顔が強張りすぎ、口も開けられない四人にナガラジャが唸った。
「安心しろ、お前らの希望通り、大会は棄権ってことにしてやる。……だから、俺が非競技者である犯罪者をどうしようと俺のルールだ」
「棟梁。彼らの誘いに乗った人間の捜査もありますから、ほどほどに」
「ああ。口が利けりゃいいんだろ、分かってる」
密室に、四人の声にならない悲鳴が木霊した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!