早めの昼食を食べ終え、三人は昨日と同じ森の入り口に立っていた。
まだ乾ききっていない土を踏み踏み、カインは改めて水流の威力に感心する。
「グラシェスが水路を作ったところ、かなり地面がえぐれてるね……凄いな」
生きたゴブリンの姿は、周辺に一匹もない。
「センパイ。あれ、昨日の!」
唯一ピジムの目に留まったゴブリンは、木の根元でぐったりとしていた。近づいてみると通常の個体よりやや大柄で、果たして昨日カイン達を追撃してきた内の一匹であった。
後頭部が大きく膨らみ、どす黒い内出血のシミが文様のように広がっている。水流によって木に叩きつけられ、頭を強く打ったのだろう。毒々しい紫色の体はあちこち傷だらけだが、特に腹部の損傷が激しい。ごっそりと両の脇腹から肉が削げていた。
グラシェスが目を手で覆いつつも、気になった点を挙げる。
「こ、これ、噛み跡ですか?」
「好き好んで魔物の肉を食べる生き物は、聞いたことないけど……ゴブリンが増えたせいで、食糧不足ってことなのかな」
魔物の肉は臭くて不味く、食べられたものではない。が、余程空腹ならばありえなくもないかもしれない。
水流の跡を追って森の中に入ると、徐々に水の痕跡が細くなっていく。さらに、大きな足跡が千鳥足で森の奥へと続いているのも確認できた。
カインは地面から目線を上げ、大きく頷く。
「この分だと、冠持ちにもかなりのダメージを負わせたみたいだ」
「い、いくら魔物でも。こ、こんなフラフラ歩くような傷は、すぐに治らないはずです」
「大体、人間の三倍くらい自然回復が早いって話も聞くよね。本当にお手柄だよ、グラシェス」
一応人間も、きちんとした幻導士の医者にかかるなら、この三倍という差を詰めることはできる。
まずもって医者が狩場にいることがないので、無意味な仮定ではあるが。
「で。この足跡、追いかける?」
「うーん……」
ピジムの積極策に、カインは悩む。足跡は確実に冠持ち達のものだ。群れの頭を叩きに行くなら、これを追うのが最も早いと言って良い。
が、知らない道を行くというのは大きなリスクでもある。最悪の場合、森から帰れない。
「──いや、やめておこう。知らないルートで、何が起こるか分からないから」
十秒ほど考えた末、カインはリスクを冒さず、昨日と同じルートで進むことにした。
ここで足跡を追っていれば、三人はもっと早く理解したかもしれない。水流を受けた冠持ちが、その後何をしたかを。
そして、自分達の読みが外れていたことを。
「今日は、ゴブリンもいないみたいだね」
三人は、昨日引き返した地点に到着していた。地面には、破壊された舟の残骸がそのままになっている。
道中も至って平和で、想定より早いペースで進めた。カイン達の強襲を警戒し、ゴブリン側も引っ込んでいるのかもしれない。
「じゃ、じゃあ……い、いよいよですね」
グラシェスが樹上を見上げ、大きく深呼吸をする。今から実行する作戦は、人間同士でやれば確実に「外道」と評される。
「うん。適当にゴブリンを捕まえて、痛めつける。それを冠持ちに見せつけて、挑発するよ。そして、突っ込んできた冠持ちを罠に嵌めて叩く」
カイン発案のアジト攻略とは、捕虜を痛めつけて士気を挫くというもの。
ただのゴブリンなら我が身可愛さに逃げ出すだろう。高い知能と戦闘力、そしてプライドを持った冠持ちだからこそ、釣られる可能性がある。
その後は森を利用した罠で冠持ちを拘束し、トドメを刺す。
「この森に、ゴブリンが数十匹も籠城できるような場所はない。何匹かは見張りに出されているはずだ」
「……どのみちゴブリンなら、殺さなきゃいけないもんね」
「そういうこと。だから、グラシェス。分かるね?」
「も、もちろんです。か、可哀想でも……み、皆の命が懸かってますから」
グラシェスとて、十分に理解している。
ゴブリンを見逃すなどという選択肢は最初からありえない。そのうえ、三人がゴブリンを駆除できるかに集落の存亡が懸かっているのだ。手段を選ぶ方が間違っている。
乗り気はしない作戦ではあるが、それで目的を見失うほどグラシェスも甘っちょろくはない。
「じゃあ、行こうか」
三人は、森のさらに奥へと分け入っていく。
ふと、覚えのある悪臭が鼻を突いた。さらにゴブリンのものと思しき悲鳴も響いてくる。
「誰かが、ゴブリンと戦ってるの?」
「分からない。けど、向こうが混乱してるのは確かみたいだ。急ごう」
足を速めると、徐々に前方が明るくなる。探していたゴブリンの拠点が、木々の間から見えてきた。喧騒が収まるのを待ってさらに近づくと、その詳細が見えてきた。
「こ、これ……ま、まるで砦です!」
「材料も、木だけじゃない。壁は獣の皮だよ。うわー、釘代わりに牙や爪を……良い工夫だ」
「ねえセンパイ? 感心してる場合じゃないよ?」
ゴブリン式の建築術に思わず感嘆の声を漏らしてしまったカイン。ピジムに咎められ、頭を掻く。
「ごめん。でも、すごいなって……」
「まあ、すごいけど……しっかりしてよ。今がチャンスでしょ!」
ピジムは周囲を警戒しつつ、拳を握ってアピールする。これだけアジトに近づいたのに、未だ襲ってこない。さらに先ほど聞こえてきた音から、状況は察せる。
今のゴブリン達に、三人の接近に気を回すだけの余裕はない。
「小屋を見るのは、全部終わってからにしよう。行くよ!」
何者かは分からないが、ゴブリンに先制攻撃を仕掛けてくれたのはありがたい。三人は、一気に残りの距離を駆け抜ける。
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