「澄み切った清流よ」
グラシェスの声に応じ、川面がうねる。かざした両の手の平から注ぎ込まれる水属性幻素が盛大な飛沫を生み、向こう岸にまで降りかかった。
慌てて森の入口へと戻り、木片での攻撃に切り替えようとするゴブリン達。危険から一目散に逃げる理性よりも、目の前の人間に追い打ちをかけたい欲望が勝る辺りが実に魔物らしい。
肝心の舟は派手に揺れたものの、カインによる付加術の甲斐あってどうにか持ちこたえてくれている。仲間まで流されないよう、水属性幻素を配置して流れの穏やかな場所も確保してやる。
「時に怒涛の試練となり、我らを戒めたまえ――」
使う術式は、昨夜と同じ。違うのは術者の覚悟と、元々水の多い川という場所。
自然界に存在する幻素の量は、人間の生み出せる量とは比較にならない。自然物に自らの術式を乗せれば、より簡単に大規模な術式を行使できる。
舟より後ろの水面だけが、一気に盛り上がった。
「『堤壊流』!!」
術式の影響下に置かれた大量の川水が、渾身の叫びと共に対岸へ向けて解き放たれる。必要以上に氾濫しないよう、側面に水属性幻素を配置して流路を集約、ゴブリン目掛けて一直線に走らせる。
その様子は、さながら超巨大な用水路。グラシェス一人では到底実現できない流量は、冠持ちにも一切の抵抗を許さない。三匹の子分もまとめて森へと叩き返した。
「ぐ、っうぅ……!」
ひとしきり暴れ狂った水流にブレーキを掛けようとして、グラシェスの顔が苦悶に歪んだ。手先が激しい痛みを発し、さらに意志とは無関係に震えていた。震えは徐々に全身に広まり、自重を支えることすら困難になってくる。
自然由来の膨大な水量を制御下に置き続けた反動は大きい。未熟な幻導士の体は、二十秒に満たない術式の行使で限界を迎えてしまった。
「グラシェスー!!」
飛びついたのはピジム。荒れた川を何とか漕ぎ切り、カインと共に岸へ上がっていた。彼女は満面の笑みを浮かべ、崩れ落ちそうになるグラシェスを支えてくれる。
「すごいじゃん、カンペキカンペキ!」
答える余裕は、グラシェスにはない。ただ、どうしようもなかった体の震えが収まっていく。
「ありがとう、グラシェス。本当に、信じてよかった」
「……じ、自分でも。び、びっくりです……」
危機に直面した彼が見せたのは、自分でも把握していなかった高い潜在能力の片鱗。嘘偽りない本音がグラシェスから出る。凄まじい疲労感と、芽生えた幻導士としての自信、危機を脱した安堵感が胸中でないまぜになっていた。
「集落へ戻ろうか。舟の破壊は明日、改めて」
カインが、付加術の解けて元の粗末な丸木舟に戻った三艘を見やる。本当は今ここで壊しておきたいが、時間的にも肉体的にも出来ない相談だった。
それに、ゴブリン側にも大きな損害が出ている。冠持ちへ前回以上の痛撃をお見舞いしたのは特に大きい。死なずとも、軽傷では済んでいないだろう。
「敵の頭を叩けたのは収穫だよ。今夜中に舟が再利用されることはない、と思う」
「じゃあ、はやくしないとね。……坂道かあ」
ピジムが言うのは、集落へと続く街道の緩やかな登り坂のこと。平時であれば何でもないのだが、疲弊した今は崖にすら思える。
「あんまり遅いと、集落の方に心配されちゃうからね……グラシェス、歩けるかい?」
「だっ……だ、大丈夫です!」
「なら、良かった。あと少しだけ頑張ろう」
心配させまいと大きく声を張ったグラシェスに、カインは頷きと励ましを返す。文字通りの弾避けとなり、カイン自身もあちこち痛みを抱えている。半分は自身に言い聞かせ、先頭を歩きだした。
エレメンターズ豆知識
『自然物の活用』
自然現象を、生き物が使える形にしたのが幻素である。そのため、自然物を利用することで人間1人では実現できない規模の術式を展開することができる。
川での戦闘で、水属性幻素の使い手が猛威を奮った今回はその典型例。また、地中に埋まった植物の種を利用するカインのような例もある。
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