複数の足音が草を踏みしめる音、そして夜空を劈く狼王の咆哮。
ジェヴォーダンの配下――レッサーガルムの群れを蹴散らしていたテレザは、本格的な魔物の攻勢を感じ取った。テレザの背後から、マーブルウルフが四頭。足音はますます大きく、若い女の匂いに興奮した息遣いが聞こえるまでに距離が縮まる。
「シェラ!」
対多数ならば、先手が肝心。テレザがシェラの名を叫ぶ。
「はいっ! ――『閃光』!」
打てば響く答えと同時、強烈な閃光がテレザの周囲を染めた。『閃光』の光はテレザの予想より随分明るく、閉じた瞼の裏に白が残りるほど。目を瞑ったテレザでさえこうだ、モロに浴びた狼どもは軽いショック状態に陥り、悲鳴と唸り声を草地へ落としていた。
「好機逸すべからず、ね!」
テレザは正面にいたレッサーガルムの顔を半分を拳で吹き飛ばす。半死半生でもんどりうったそいつの前足を、がっしりと掴んだ。
「っ、ぉおりゃあ――っ!」
そのまま、ハンマー投げのようにぐるんぐるんと振り回し始める。今はジェヴォーダンの能力により、下っ端の魔物も侮れない耐久力を持っている。それを逆手に取り、凶器として使わせてもらう。大規模な炎での攻撃は消耗も大きく、出来る限り避けなくてはならない。
武器となったレッサーガルムが凶悪な遠心力に晒されて不吉な音を立てるが、テレザはお構いなしに周囲の狼どもを巻き込んでいく。旋風さながら、テレザの勢いは収まることを知らず、肉で肉を叩き続ける。
臓器の潰れる湿った音や骨を叩き折る鈍い音、甲高い断末魔が連続した。
「これっ、で――ラストっ!」
高速回転にも一切軸をぶれさすことなく、テレザは投擲に入る。毛皮は剥げて肉も抉れ、文字通りぼろ雑巾になったレッサーガルムを、思いっきりマーブルウルフの一頭へと叩きつけた。顔に血まみれの同胞を被されたマーブルウルフは草地を転がり、頭を振るって立ち上がる。
「残りは……」
テレザが周囲を見ると、ズタボロになった狼が死屍累々。生き残った者もテレザに怯えるように遠巻きに、弱々しく唸っているのが殆どだ。実力差は歴然、それでも逃げ出さないのはジェヴォーダンへの忠誠か、あるいは恐怖か。
が、マーブルウルフは流石に頑丈だった。投擲を喰らった奴も含めて三頭とも健在で牙を剥き出し、テレザを狙っている。ここからは、真っ向きって――
「まずい!」
見えるマーブルウルフが一頭足りない。反射的にシェラを振り向くと、闇に紛れた一頭が今まさにシェラへ飛びかかるところだった。
「きゃぁあっ!」
悲鳴を上げつつも、シェラは地面を転がってその牙を逃れた。素早く膝立ちになりながら、唱える。
「貴き光よ。照りて駆け抜け、邪を貫きたまえ――『輝槍』!」
杖の先端から眩い穂先がマーブルウルフの脇腹めがけて伸びた。が、剛毛の密集した毛皮に阻まれた光は、それ以上進むことなく砕け散ってしまった。
「そ、んな……」
淡く光を放ちながら消えていく術式の残滓を、シェラは呆然と見るでもなく見つめる。
強大化した魔物の装甲を貫くには、補助術式を重点的に鍛えてきたシェラはあまりにも非力。失望に沈むシェラに舌なめずりし、再度噛みつこうとするマーブルウルフ。
大きく口を開けたその顔が、歪む。
「させるかぁっ――!」
横合いから爪先をねじ込まれ、マーブルウルフが声もなく吹っ飛ぶ。代わりにその場所に立ったのは、誰あろうテレザ。本気で焦っていたらしく、息を切らしている。
「シェラ、無事? ……迂闊だったわ」
「い、いえ! ありがとうございます」
「早めにカタを付けないと、まずいわね」
目の利かない夜の戦闘、テレザと言えどミスが増える。体力的にも精神的にも、早めに終わらせてジェヴォーダンを引き付ける二人の援護に回りたい。が……草地に血を垂らしながらもマーブルウルフは立ってきた。
「どんだけタフなのよ……!」
テレザの苛立ちを隠しきれない声が風に紛れる。残るはマーブルウルフが四頭。ジェヴォーダンによる強化を受けた彼らから、シェラを守りながら戦うとなると……。
「シェラ、集落の中へ逃げて」
「へ? でも、そうしたら」
「大丈夫、集落への被害は出させない。情けないけど……ここにいるより安全だから」
自尊心の高いテレザからすれば業腹極まりない話だが、今この状況において、シェラはテレザの近くにいない方が安全だと言わざるを得ない。奥歯を噛みしめたテレザの表情でその気持ちを察し、シェラは頷く。
「分かりました……勝ってくださいね。絶対、絶対ですよ」
「言われるまでもないわ」
シェラはソロソロと後退り、集落へと逃げ込む。それを追うようにマーブルウルフが走り出そうとして――凍り付くような殺意と、反比例するように熱く滾る拳を前に立ち竦んだ。
「……ほんっと、ムカつくことの多い日ね」
テレザは独りごちる。色々と酷い日だった。後先考えず突っかかるわ、後輩を危ない目に遭わせるわ……散々だったと言って良い。
だから、
「せめて最後はきっちり締めさせてもらうわよ」
マーブルウルフはまずテレザを倒してから、シェラに向かうことにしたらしい。軽やかな足取りでテレザを囲み始める。それを突き破らんと繰り出されるテレザの拳が、再三にわたってマーブルウルフを捉える。が、一撃でのせたレッサーガルムとは格が違う。しぶとく起き上がり、テレザの隙を狙い続ける。先ほどまで尻込みしていたレッサーウルフ達も息を吹き返し、
「くっ、この!」
テレザが押される場面が増え始める。夜目の利く魔物が有利な状況の上、テレザは日没直後から戦い通しだ。消耗は激しい。いかに炎を節約しているとはいえ、肉体への付加術で幻素は使わざるを得ない。
首筋を狙った牙を籠手で受け、勢いよく地面を転がる。かぶりつかれた左腕を大きく振って引きはがし、立ち上がると同時に右拳で殴りつけ――られない。既に右手側から迫っていた爪を握りしめた裏拳で弾くと、背後に気配。右足を軸に左足で半円を描く。反転すると、案の定唾液を纏った牙が月に光る。
「はぁっ!」
裂帛の気合いと共に、テレザの左フックが会心のカウンターとなる。ぼこっと穴を空けたような感触が伝わり、マーブルウルフは地面に頽れて痙攣し始める。おそらく頭蓋骨が陥没し、脳にもダメージが行ったのだろう。
「残り、三……!」
ようやく一体倒した、と安堵する。
そんな暇、なかったはずなのに。
「しまっ――」
またも背後から危機が迫る。今度は、気づくのが遅すぎた。振り返った時にはもう、視界一杯に真っ赤な咢が広がっている。
テレザに出来たのは、顔を不格好に庇うくらい。牙が籠手にぶち当たり、地面へと押し倒された。先ほどのように自分から転がったのとはわけが違う、完全に相手有利な姿勢で抑え込まれる。残った二頭もようやくテレザを仕留められる、と喜び勇んで彼女の足にかぶりついた。
「ひっ……」
悲鳴をかみ殺した。辛うじて、鎧の上を噛ませることに成功はする。だが、不機嫌そうな唸り声と共に今度は脇腹に爪が振り下ろされる。革鎧と言えど付加術で強化したためある程度は強いが、魔物相手にいつまでも持つものではない。少しずつ壊されていく鎧の呻きで、テレザの寿命のカウントダウンを始まる。獣に集られもがくテレザは、今や完全に食われる側となっていた。
死神の足音が、月夜に木霊する。
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