「『冠持ち』っ、もう目の前だ!」
カインの鋭い声と同時に、闇の住人がその姿を月夜に晒す。
「なっ……」
二の句を継げないピジムが何よりもその異様を、威容を雄弁に物語っている。
ゴブリンは人間の七歳程度の体格だが、目の前のこいつは一七七センチのカインよりも明らかに縦横ともにでかい。手足の太さも、夕方に見た連中のを四本束ねたほどある。首から胸にかけては獣の毛皮が巻き付き、防具の役目を果たしている。
何よりの特徴は角。不格好な王冠のように太く大きな角が額から生えており、「冠持ち」と呼ばれる所以をまざまざと見せつけている。元は大層な巨漢が振るっていたであろう大きな斧を腰の後ろに吊るすその雄姿たるや、一般のゴブリンからは到底想像しえない迫力である。
「ギャッ」
いたのは「冠持ち」だけではない。後ろからはコブに近いような小さな角を持った部下のゴブリンが、そして飼いならされたフォレストウルフが、総勢で十匹あまり。群れの全員ではなっさそうだが、村に入れば悲劇が起こることは容易に想像できる。
「部下も結構引き連れてるけど、勝てない数じゃない。ここで食い止める!」
先手必勝。カインが準備していた蔓を、取り巻きに向け一斉に伸ばす。まずは相手の数を減らし、「冠持ち」に集中したい。
「ギャーッ!」
「ギャギョッ」
ゴブリンは次々と手足を絡め取られ、暴れる間もなく取り押さえられる。それに苛立ったのか、「冠持ち」足を踏み鳴らした。術式の元がカインと見破ったのか、ここだけはゴブリンらしいギョロギョロとした大きな目が怒りを湛える。それに応え、俊敏な狼が蔓をかいくぐってカインへと迫る。
「頼むよ!」
「任せて、センパイ!」
が、敏捷性なら幻導士側にもピジムがいる。彼女はカインの前に躍り出ると、狼の前に土の柱を生やし、あるいは拳を繰り出して怯ませる。
「澄みきった清流よ。時に怒涛の試練となり、我らを戒めたまえ――『堤壊流』!」
動きの止まった一瞬を突いて、グラシェスの足元から奔流が坂を駆け下った。広範囲を押し流す術式は時に味方をも巻き込むが、ピジムはカインが生やした木に登り難を逃れている。互いの術式を編むスピード、発動のタイミングまで知り尽くした仲ならではの連携で、
「……ビクともしないとはね」
取り巻きは水流による衝撃と窒息で死に体だが、「冠持ち」はやや後退しただけで未だ健在。斧を抜き放ち、元気よく三人に向かって喚き散らす。
「ゴバエラ、ゴゾズ!」
「何か、喋ってる……?」
「お、『お前ら、殺す』って言ってるのかな?」
「とにかく、あとは奴だけだ。僕とピジムで前を支える。グラシェスは隙を見て重い一撃を」
カインは木剣を両手で構え、じりじりと間合いを詰める。夜目の利くゴブリンの方が有利な時間帯ではあるが、煌々と照らす星明かりのお陰で人間の目でも一対一ならばそこまでの支障はない。まずは、「冠持ち」の戦闘力がどの程度かを確かめる。
「ゴルルル……」
低くドスの利いた唸りを上げ、カインの歩みに合わせるようにゆっくりと右手に持った斧を頭上へセットする冠持ち。これだけでもう、ただ武器で殴りかかるだけのゴブリンとは一線を画す。その巨体も相まって、威圧感は先日相手にしたエーデウスを凌ぐ。身を低くし、側面に回り込むピジムの動きもしっかり捕捉されている。
五年以上もの間常に命を狙われ続け、その全てに打ち勝った者だけが冠持ちと呼ばれる。戦いの経験値で言えば、目の前の怪物はカインたちを大きく上回るだろう。何なら犠牲者の中に、今のカインたちのような若手幻導士が含まれているかもしれない。
が、長年幻導士を見続けるイザベラができるはずと言ってくれたのだ。彼女に何もできず逃げ帰ってきました、とは言えない。
「手強いだろうけど――行くよ!」
上体を伏せて仕掛ける――と見せて、カインは単にその場にしゃがんだ。その手元が閃き、澄み切った空気に細長い艶が走る。足元にあった草に付加術を施した、十八番の草刃投擲。
突進に合わせて斧を振り下ろそうとした冠持ちが一瞬硬直し、その空白に刃が滑り込む。
が、顔をしかめたのはカインの方。
「……硬いね」
膝を狙った投擲はあやまたず命中、しかして刺さることなく地面へ落ちた。薄い鎧なら貫通できるはずだが、どうにも奴の素肌はその辺の鎧より頑丈なようだ。
「ギィィイイイ!!」
奇襲に激昂した冠持ちは今度こそ、その斧をカインに向ける。目玉を剥き、上り坂を駆け上がって迫るその姿はまさしく悪鬼。本能的な恐怖に竦みかける足を叱咤し、カインは横っ飛びに転がった。背後からのくぐもった音で、斧が地面に深々と食い込んだのを察する。
「隙ありっ、――土杭!」
カインの声よりなお先に、ピジムが土で練った杭を撃ち出す。彼女の役目は隙を突いた遊撃。しかし顔を狙った杭は逸れ、毛皮に覆われた右肩を直撃した。
「あ、もうっ!」
「十分だ! グラシェス、追撃を!」
外したことにピジムが口惜しく声を上げる。
高位の幻導士であれば術式を籠手に纏わせ、直接相手に叩きつけられるが……そんな離れ業を経験の浅いピジムができるわけもない。重いかわりに形を固めやすい土属性幻素といえど、術式の形を保持したまま術者が動き回るというのは簡単ではない。咄嗟に撃ち出し、敵の姿勢を崩しただけでもカインに言わせれば上出来だ。
「澄みきった清流よ。止め処なく寄り、堅き岩をも穿ちたまえ――『雫杭』!」
左手を突いてこらえた冠持ちに、グラシェスが畳みかける。しっかりと腰を据えた詠唱から生み出された大質量の水が、その頭上から容赦なくなだれ落ちた。
「逞しき神樹よ。乾きを耐え、水を、陽を求め芽吹きたまえ――」
上からの落水で地面へと押し付け、さらなるダメ押し。地中で眠っていた種子が、カインの幻素を受けて急成長。地中で束ねられ、矛となって突き出された。
「『浄種』!」
カイン渾身の一撃で冠持ちの上体が跳ね上げられるが、致命傷には程遠い。毒々しい赤紫の線が、左の腰から脇腹にかけて刻まれるに終わった。
「くそっ。テレザの拳が恋しいね」
せんなき事とは思いつつも、カインは少し年下の凄腕幻導士を思い返してしまう。彼女ならばダボついた分厚い皮膚ごと、どてっ腹に大穴を空けているはずだ。三人だけでは、最後の一押しにどうしても欠ける。
「……フーッ、フーッ」
怒り心頭という様子の冠持ち。しかしカイン達の攻撃がひと段落したと見るやクルリと背を向け、一目散に坂を駆け下りていった。辺りに残ったのは、取り巻きの上げる末期の呻きだけ。三人は呆然と坂の先を見つめ、次に互いを見合った。
「に、逃げた……?」
「みたい?」
グラシェスとピジムの呆けた声が土に吸い込まれる。と、村の中から恐る恐るといった感じの足音が聞こえてきた。
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