怒り、苛立ち、憎悪……負の感情そのものでぶっ叩くような咆哮だった。姿が見える距離で聞いていたら、足が竦んでしまったかもしれない。
「冠持ちか……!? 急ぐよ!」
三人は来た道を駆けだす。叫び声はおぞましかったが、まだ遠かった。逃げ切れる。
「センパイ。何か、来てない……!?」
「振り向くな! 捕まる前に、何としても森を出る!!」
着実に暗くなってくる森の中を、焦燥を抑えつけて駆け抜ける。
昼休憩を取った朽ち木のある場所で空を確認すると、橙色の輝きが濃くなり始めていた。
「ぜぇ、はっ……」
息せき切って川へと戻った三人は、膝に手をつきつつ後ろを振り返る。足音もしないし
ゴブリンの足は、一般人よりも遅いことが殆ど。全速力で逃げた三人に追いつくことはできなかったようだ。
「に、逃げ切れたんですよね?」
「確証は、ないけどね。追いつかれないうちに対岸へ行こう」
三人は休む間もなく川岸へ着けた舟へ乗り込み、必死に櫂を動かす。しかし疲弊した体では上手く水を捉えられず、舟は中々思うように進んでくれない。
「ぐ、んむ……っ!」
ピジムが、最後の踏ん張りどころと歯を食いしばる。
対岸を目指す三人の元へ、何かが風を切って飛来する細い音が届く。一体何が飛んできた、と考える前にカインが動いた。
「僕らが舟に乗るのを待ってたのか!?」
持っていた櫂を水面から引き抜き、振り向きざま残る力を振り絞って付加術を施す。
木属性幻素を受け、櫂にするため落とされた枝葉が一挙に蘇る。伐採前の逞しさを取り戻した大振りの枝を、盾としてそのまま突き出す。堅い音を立て、飛来した何かが盾にぶち当たった。続けざま、同じような風切り音が舟の横を通り過ぎて水面へ着弾する。
「何!? センパイ、大丈夫!?」
「ピジム、漕ぐのに集中するんだ!」
枝葉の隙間からカインは後方を覗く。
薄闇の中に冠持ちと、通常より大きなゴブリンが三匹。投石具を構えていた。動物の毛束で作られたそれを頭上で一回しし、サイドスローで放ってくる。
今度は手の近くに飛んできたらしく、右の小指に鋭い痛みが走る。チラッと水面を見やると、木の欠片が浮いている。
「なるほどね……!」
舟を作るために木をくり抜き、くり抜いた木を投石具の弾にするとは。正しく一石二鳥の戦略と言わざるを得ない。
対岸までの道のりは、まだ半分を過ぎたばかり。カインが漕ぎ手として働けない以上、ペースは下がる一方である。
ゴブリンどもは、カイン達が反撃しないと見るや攻勢を強める。川岸まで走り寄り、木よりも高威力な石を拾って使うようになった。船体で跳ね上がった弾がカインの右目を襲う。
咄嗟に直撃だけは避けたが、瞼が切れたか。流血で視界が狭くなる。何度も衝撃を受けすぎて、盾を支える手も感覚がなくなってきた。
「せ、先輩! 治療を」
「ダメだグラシェス!! 舟が遅くなったら、余計に攻撃を受ける」
優しい後輩を強い口調で制する。盾が持っているうちに何とかして対岸に辿り着ければ、三人の連携でやりようはある。今はできる限り枝の太い部分で顔を庇い、凌ぐしかない。
「も、もうすぐです!」
永遠にも思えた数分の後、やっと嬉しい報告がもたらされる。後ろを振り返ると、疲労と痛みで霞んできた視界でも対岸の草がはっきりと見える。
「グラシェス、向こう岸へ飛び移るんだ!」
「と、跳び?」
「飛び移って、反撃を頼む」
「え。と、咄嗟の術式は、まだ自信が」
「ごめんね。でも、僕がもう持ちそうにないんだ!」
頼りなく震えるカインの手は、度重なる投石を受けて真っ赤に腫れている。どこか折れているかもしれない。
「グラシェスっ、お願い!」
必死に推進力を生んでいるピジムも流れ弾を一発、背中に受けている。対岸に飛び移ったうえで何かするほどの余力は残っていない。
「や、やってみ……やります!!」
櫂を置き、全身に付加術して助走をつける。決して運動神経良好とは言えないグラシェスだが、跳べない距離ではないはずだ。
船首を目いっぱい蹴って空中に飛び出したのも束の間、すぐに重力に捕まった。
近づいてくるのは対岸だけではない、眼下には水面が広がっている。もし落ちれば……。
「っ……う、ぅぉおおおおお!!」
精一杯伸ばした足先に、固い感触が伝わる。跳ぶことに専念しすぎて着地で盛大に尻を打ったが、石をぶつけられた二人の痛みに比べれば何て事はない。
すぐ立ち上がり、仲間を救うべく術式を紡ぐ。
「澄み切った清流よ──」
舟から見えた彼の表情は魔物に怯えたものでも、吃音に思い悩んだものでもなく。
傷を癒してくれる時に見せる、真剣でありつつも優しい顔だった。
エレメンターズ豆知識
『投石』
拳大の石でも、人間の頭に高速で当たれば昏倒、あるいは即死させることが可能。投石具は簡単に作れるうえ、弓や銃ほどには扱いの習熟も必要ない。
さらに弾を周囲から無限に調達可能なので、数を揃えることで極めて厄介な攻撃となる。
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