冠持ちの撃退後、村の中から足音が。
闇に消えていった冠持ちを呆然と見送った三人の耳に、村の中から複数の足音が聞こえてきた。
「まさかっ」
ぎょっとしたカインだが、駆け出す前に足音の主が判明する。ドゥムニと村長夫妻が、村の入り口を示す柵の影から顔を出したところだった。
「村長さん達でしたか……良かった」
「おかげさまで。外が騒がしいとドゥムニに起こされたんですが、何事もなくて良かった。さあドゥムニ、父さんは幻導士さんと少し話をするから、先に帰って寝ていなさい」
「え、でも」
「でも、じゃない。まだ暗いし、お前が起きているには危ない時間だ。夜が明けるまでは家で大人しくすること、いいね?」
村長はドゥムニを家へと帰らせ、カイン達と
「ドゥムニの手前何事もなくと言いましたが……ゴブリンですね?」
「はい。群れの全てではなかったようですが、親玉も姿を見せました」
「親玉が。そうですか……」
カインの報告に村長が顎を撫で、唸る。
「奴らめ、幻導士さんがいてもお構いなしとは」
「そのようです。残った時間は、思ったよりも少ないかもしれません」
「……分かりました。もう少し、詳しい話をしても? ここから村長が寝なおすわけにもいきませんから」
「僕も賛成です。二人とも、話し合いには出られる?」
カインがピジムとグラシェスを振り返ると、戦闘の余韻のせいか若干眠そうな顔だが、しっかりと頷いてくれた。
「……大丈夫そうです」
「お疲れのところを、すみませんね。もう、幻導士さんに頼るしかないもので」
村長の言葉で、二人の表情が途端に引き締まる。自分たちが村にとって最後の命綱であるということを改めて認識したようだ。
「じゃ、村長さんの家に急がないとね!」
「待ってよ、ピジム。ドゥムニ君を起こしちゃまずい」
ピジムが眠気を吹き飛ばすように拳を握り、村の中へと戻っていく。それを頼もしそうに見つつ、カインも村長と連れ立って歩き出した。
「……ゴブリンは群れなければ大したことができない。そう思っていました。冠持ち、ですか。」
村の中心部にあるちょっとした広場で、打ち合せは再開された。 本来ならここは村の者で一斉に食事を楽しむための空間なのだが、その雰囲気は重い。
「僕も、この目で見たのは初めてです」
未明の戦闘について一通り報告を受けた村長の述懐に、カインが同調する。
「でも、何故あんな恐ろしい魔物がこの丘に?」
「冠持ちは、長生きしたゴブリンです。星見の丘で生まれ、ここまで成長したと考えるのが自然だと思います。この辺りは人の開発が進んで猛獣も少ない、ゴブリンが生き残るための環境が整っていたんでしょう」
「まあ。私達の生活が、ということですか……」
話に入ってきた村長の妻が、悲しげに目を伏せる。
「で、でも。ひ、人が生きるために森を切り開くのは仕方のないことじゃないですか。ひ、人もゴブリンも、生きているのは同じで――、えっと」
その後に続く言葉を上手く紡げないグラシェスを、カインが引き継ぐ。
「人は、生きるために村を作る。ゴブリンは、生きるためにその村を襲う。そこに善悪はありません。必要以上に自分を責めることはしないでください」
冠持ちが出たから村が襲われるわけではない。村を襲うゴブリンの群れの長が偶然にも冠持ちだったというだけ。村長はカインの言葉にうんうんと頷き、妻の肩を優しく抱いて宥める。
「カインさんの言う通りだ。誰が悪いわけでもない。強いて言えば、めぐり合わせが悪かったのさ」
「めぐり合わせ……自然に向かって怒っても、仕方ないということでしょうか」
「そうだ。それに、めぐり合わせは悪いだけじゃないぞ。依頼を出して、すぐに幻導士が来てくれた。これ以上の幸運はない!」
そう言い切り、村長は夜明け間近の空を見上げる。
村の朝は日の出と同時だ。皆が起きるまでに、今後の動きを決めておきたい。
「昨夜にも言った通り、村の人間では見張りが精一杯。侵入を防ぐ柵も作れていない。そこでカインさん達には、ゴブリンへ直接の対処をお願いしたいのです」
「僕らがゴブリンをけん制し、その間に村の防備を固めるということですね」
「そうです。柵を作る材料は……何とかしましょう」
最悪、今住んでいる家を解体したっていい。村長は真剣そのものでそう付け加えた。カインもその決意に応え、頷く。
「出来るかぎり早く、ゴブリンたちのアジトを見つけ出します。どうか、皆さんは無理をしないように」
「朝になったら村の皆を集め、情報を共有しましょう。お疲れのところ申し訳ないが、カインさん達にも参加していただきたい」
「もちろんです。村の皆さんを少しでも安心させたいですし」
「助かります」
「幻導士が外を警戒し、村人は村の防備に集中する」という方針というが周知された後。カインたちはゴブリン達の情報を探るべく、村の外に出て調査に当たった。
撤退していった冠持ちの足跡を辿っていくと、丘の脇を流れる川へ突き当たる。この川は星見の丘にある集落を潤す、文字通り命の水である。
川岸に沿ってさらに調べると、草むらが上から何かに押しつぶされた場所が見つかった。
「こ、これって……冠持ちの?」
よく見ればその周囲にはコゲ茶色の毛が落ち、刃物が突き立ったような細長い溝が走っている。グラシェスの発した疑問を、カインが確信をもって肯定する。
「そうだね。ここに腰を下ろして、追撃が来ていないか確認したんだろう」
「草も土も、まだ湿ってる……。センパイ、立ち去ってからそんなに経ってないよ!」
「と、なると。ここで休み、人間が起きる日の出直前に川を渡り、アジトへ戻った……?」
さらにピジムの、加わる。カインは冠持ちの行動を推測する。
目の前を流れる川は、人間が溺れるには十分な流量を持っている。しかし冠持ちの身体能力ならば、この程度の流れ渡れても不思議ではない。
「で、でも。こ、子分達は、どうやってこの川を?」
「確かに。そうだね……」
グラシェスの疑問に、カインは腕を組みなおす。泳ぎの達者なフォレストウルフはともかく、ただのゴブリンが冠持ちと同じことをすれば溺れてしまうだろう。
冠持ちがこの川からアジトに戻ったのだとして、十を超えるゴブリン達がどこから来たのかという説明はつかない。
「子分たちの足跡を辿ってみよう。違うことが分かるかもしれない」
三人は一度集落へと続く街道に引き返し、そこから小さな足跡を追いかける。冠持ちの統率力の賜物か、途中で道草を食うこともなく、集落目掛けてまっすぐ歩いてきたようだ。
「何か、ゴブリンとは思えないね……」
「お、大きな群れを作ったら、調子に乗りそうなのに」
ピジムの呟きに、グラシェスも同調する。その足跡の付き方は、一般に知られるゴブリン像とはあまりにもかけ離れていた。
「少し、下流の方から来たみたいだね」
カインの言う通り、小さな足跡は冠持ちの作った痕跡よりも下流から伸びてきていた。子分が川を渡れた理由も、その辺りにあるかもしれない。
足跡の群れは、もちろん川で途切れることになるのだが……
「え」
三人は予想外の「道具」を目の当たりにし、綺麗に揃って驚きの声を上げた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!