折良く、坂の下から小さく変化が起きた。恐らくドゥムニの言っていた足音の主だろう。
「あれは……灯りか?」
カインが目をすがめる。小さめの松明だろう、淡い橙色が怯えたように揺れ動いていた。
ゴブリンは灯りを作る知能など持ち合わせない。仮に作れたとして、元々夜目が利く彼らには必要ない。
また経験豊富な狩人や幻導士も、灯りを点けて外を歩くようなことはあまりしない。手がふさがるし、夜行性の外敵に見つかるリスクが上がるからだ。
カインの今見ている灯りは、素人の持ち物である可能性が高い。
「こっちから迎えに行ってあげた方が良いかな」
カインはバリケードから離れ、坂を下る。シルエットがおぼろげに見える距離まで近づくと、向こうもカインの存在に気付いた。灯りを放り出して草むらへ駆け込んだ人影に、努めて優しく声をかける。
「安心してください、この集落に来た幻導士です。カインと申します」
「へっへぇ!? 幻導士?」
震えながら地面にうつぶせて頭を抱えていたのは、カインと同年代に見える若い男。
麻ズボンから覗く足は逞しいが、砂や泥にまみれている。恐らくロクな休息をとっていないのだろう。カインの言葉を飲み込むのにも、少々時間を要していた。
「こんな夜中に、どうされたんです? 集落の方でもないようですが」
「俺は、ここの出身なんだ。普段は行商なんだが、母ちゃん達から手紙を貰ってな……色々買い込んで、帰って来たんだ」
確かに男の脇には、大きな包みが置いてある。中身を検めると包帯や薬草等の医薬品を主として、新品の鎌、鋸といった武器まで入っていた。
「この大荷物、歩いて運んできたんですか? いくら行商人だからって、危なすぎます」
「幻導士さんならそうだけどよぉ……。俺の懐事情で馬まで使ったら、肝心の荷物が空になっちまうぜ」
この荷物を買うだけでも本当は苦しいんだ――と、素直な心情を吐露する男。カインはそれ以上、何も言えなかった。
何だかんだで錬鉄Ⅱ級として仕事を回してもらえるカインの感覚は、既に世間一般より裕福な者のそれになりつつある。
「……まずは村まで。立てますか?」
「あぁ。やっと帰ってこれ、た」
カインの支えを受け、男はフラフラと立ち上がる。しかし一歩踏み出した途端に躓き、再び地面に転がってしまった。
「大丈夫ですか!?」
「幻導士を見たら、何だか安心しちまった……来てくれて、ありがとよぉ」
「っ。お礼は、村を救った時に改めてお願いします」
カインは包みを背負い、男に肩を貸して坂を上る。ひとまずは自らの寝床に男を寝かせた。
その拍子に起こしてしまった後輩二人と、交代で外を見張ることにする。
「あの人、凄いね。幻導士じゃないんでしょ?」
「な、並大抵の勇気じゃないね……」
ピジムとグラシェスも、男の気概と行動には称賛を惜しまなかった。
「必ず、この集落を守り切るよ」
カインが力強く言い切ると、二人とも笑顔で頷いた。
幸いカインが男と出会った以上の波乱はなく、夜は平穏に更けていった。
早朝。少々の睡眠不足は否めないものの、三人はゴブリンとの最終決戦に備えていた。
男の持ってきた物資からも医薬品を融通してもらい、少しでも回復に努める。
薬草を浸した水に右手を突っ込んでいるカインの顔を、ピジムが不安げに見上げた。
「センパイ。どう?」
「……思ったよりは良い、って感じかな。折れてなくて良かった」
ちゃぷちゃぷと水をかき回すカインの表情は、時折歪む。
正直、全快には程遠い。長時間の戦闘には耐えられないだろう、というのは一晩経っても変わらなかった。
「動くのに、支障はないよ」
「そっか……。じゃあ、さっさと勝てるように作戦を考えないとね!」
それでも幻導士として、弱気を表に出すわけにはいかない。戦えないほどの傷ではないのだから。
まだ太陽も寝ぼけているような時間帯。今の内から方針を固め、速攻でケリをつける。
「じゃあまずは……向こうのアジトの位置から」
カインは木の枝で、地面に線を引き始める。
自分達の今いる星見の丘。南へはギルド方面への街道が伸びる。丘の西には川が流れ、その川の向こうに問題の森は広がっている。三人は記憶を辿り、森の情報を地面の地図へと落とし込む。
手下達の撤退から冠持ちの咆哮までの時間差、さらにこの集落を狙っていることを考えると、アジトの間近までは進めていたはずだ。
「あれ以上奥地に拠点を構えたら、集落に出てくるまでが大変になる。アジトは、咆哮を聞いた場所に近いだろう。その場所まで一気に進み、アジトに攻め入る。ルートがはっきりしている分、昨日よりスムーズに進めるはずだ」
「で、でも。か、川の向こうで待ち伏せされていたりしないでしょうか? ぼ、僕が冠持ちならそうする、と思います……」
昨日の追撃を思い出し、グラシェスがカインに待ったをかけた。川を渡っている間は反撃もしづらく、最も危険な時間帯となる。
「いや、それは大丈夫だと思う」
しかしカインは、グラシェスを指差して笑った。そして川から森へ向け、波打った線を描く。
「何たって、グラシェスの大技を喰らった直後だからね」
グラシェスの放った「『堤壊流』」は、冠持ち含に大きな爪痕を残しているはず。
冠持ちは、わざわざ自分がやられた場所に陣を敷くことは避けるだろう。カインはそう読んでいた。
「で、アジトを見つけたら? 大勢相手にぐちゃぐちゃの乱戦は怖いけど……センパイなら何かあるんでしょ?」
ピジムが籠手の指関節を掃除しつつ、肝心要のアジト攻略について聞く。丸投げにも聞こえる言葉、カインは信頼の裏返しと受け取った。
「冠持ちは強い。そして、ゴブリンとは思えないほど賢い。二人とも分かってるよね」
二人が頷くのを待ち、カインは続ける。
「だけど体格からして、逃げたり潜んだりする戦いは苦手。最後には必ず、居心地の良いアジトで待ち受ける。そしてこれまでの戦いで、冠持ちは戦力を小分けにしているのも分かった。そこを突く」
偵察に出る雑兵、舟を作る者、見張りをする者、川岸で見た少し大柄な親衛隊。冠持ちは手下の持ち場を決め、仕事をさせている。ゴブリンにあるまじき組織づくりは、ひょっとしたら人間の生活から学んだのかもしれない。
が、そのやり方はゴブリン最大の武器を損なってしまう可能性が高い。
「突く、って……」
「ゴブリンの武器は、とにもかくにも数だ。それをわざわざ分散させてくれるなら、勝てる」
敵の戦力が散らばっているなら、各個撃破してやれば良い。一度に五〇匹を相手取るよりも、一〇匹を五度相手にする方が勝率は格段に高まる。
そう主張したうえで、カインはゴブリンの気性も考慮した具体的な策を提案する。
「加えて、堪え性の無さ。こればかりは冠持ちでもただのゴブリンと変わらない。アジトへ近づいたら――」
「えぇ……?」
グラシェスが、露骨に引いた声を出した。
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