「やっと戻ってきた! みんな、心配してたんだよ」
すっかり暗くなった頃、三人はようやく集落へ戻ることができた。入り口に、カイン達が出発する前にはなかった薄い木の板が何枚か立っており、急ごしらえのバリケードになっている。 元は、過去に取り壊した家の外壁だろうか。ゴブリンの軍勢を防ぎきれるようなものではないが、威嚇にもなるし、ないよりはずっとマシである。
真っ先に駆け寄ってきたドゥムニが、大声で村長を呼ぶ。
「父ちゃん! 幻導士さん達、帰って来たよ!」
「あぁ良かった! もう少し遅かったら、ギルドへ使いを出そうかと思ってたところです。……ご無事とは、言い難いようですけれど」
半分閉じたカインの目を見て、村長の顔が曇る。
「ご心配をおかけして、申し訳ありません。ゴブリンのアジトですが――」
「話は、落ち着いて座れる場所で。気休めかもしれませんが、薬の用意もありますから」
カインの報告を、村長は優しく遮った。
「……ありがとう、ございます」
消耗しきった三人は、黙って村長の家へとついて行く。クォーレルの葉を煎じたお茶を飲むと、患部の感覚が少しだけ良くなったような気がした。
薬っぽい息を一つ吐き、カインは村長に森で起きた出来事を報告する。
「ゴブリンのアジトと、どうやって村へ来ているかは判明しました。ただ、冠持ちが想定より厄介な存在でして……」
「はーん、舟で川を渡ってきた……橋がなくなっても、来るんですねえ」
「橋?」
村長がいっそ感心したように天井を見る。記憶の糸を手繰り寄せ、カインのこぼした疑問に答える。
「あの川には一時、橋がかかっていたそうなんです。ところが魔物や獣が頻繁に渡ってくるもので、すぐに取り壊された……。そう父から聞いたことがあります」
さらには人の入る場所も、川を渡らずに済む街道より西側の森に限定された。それ以降は人間と野生の棲み分けがある程度成立し、危ない目に遭う者も少なくなった。と、村長は集落の歴史を三人に語ってくれた。
興味深げに聞き入る三人だが、村長は今に視点を戻して溜め息をつく。
「皮肉なものです。安全のために森と距離をとったはずが……森に人目がなくなったせいで、ゴブリンが繁栄してしまうとはね」
当時の判断が間違っていたとは思わない。自然はままならないものだ、仕方がない。頭ではそう分かっていても、ついつい弱音が出てしまう。
「……そのために」
少し間をおいて、カインが口を開いた。
「そのために、僕たち幻導士が来た。そうでしたよね」
「……これは失礼」
村長が恥ずかしそうに頭を掻く。負傷した若者三人を見て、無意識に不安が勝ってしまっていた。
しかし、彼らの村のために戦う意志は全く萎えていなかった。十歳以上も年長の者が弱音を吐いている場合ではない。
カインの報告を聞き、村長は言葉を選ぶ。
「向こうも、親玉が大怪我をした。舟も壊した。ゴブリンについては詳しくないですが、すぐに大挙して押し寄せてくるようなことはない?」
「恐らくですが。しかし冠持ちの怪我が治るまで待つ余裕はありません」
「そうですよね……ジリ貧になってしまう」
魔物であるゴブリンに比べ、人間の回復速度はずっと遅い。カイン達が完治するまでに、ゴブリンは完璧に態勢を立て直せてしまうだろう。
万全の冠持ちに対し、手負いの幻導士という構図になったら本当に詰みだ。
カイン達は自身の体と相談し、どの程度で動けるようになるか推察する。
「僕は今から休めば、明日の昼過ぎからなら動けそうかな。二人はどう?」
「どう? じゃないよ。アタシとグラシェスは殆ど疲れただけだから、寝れば平気」
背中にクォーレルの葉を貼り付けたピジムが、闘志満々に拳を虚空に突き出す。
「カ、カインさんが一番重傷なんですから。そ、そこに合わせて動かないと」
「それは、うん。そうだったね……」
カインは思わず苦笑する。自身こそが最も動けるか怪しい容態だった。
未だ疼く右瞼のせいで上手く笑えないが、カインの意図は伝わったらしい。場の雰囲気が和らぐ。
「では、今夜こそ寝床でごゆっくり。村の男衆が見張りに立ち、何かあったらお知らせします」
「そんな危険な……」
「危険と言えば、ゴブリンと隣り合わせの時点で危険です。幻導士さん達が少しでも万全に近い形で戦えるようにするのが、今の最善でしょう」
「……分かりました。申し訳ありません」
「カインさん達に来ていただけなかったら、この村は昨日の晩になくなってますから。ほんの恩返しです」
「では、一つだけ。冠持ち――異常に大きなゴブリンを見たら、何もせず逃げてください」
「皆にも伝えておきましょう」
話し合いは解散となった。カイン達は、疲れた体を引きずるようにして寝床へと直行する。最初こそ反射的に断ってしまったが……村長の申し出は本当にありがたかった。
「明日の行動だけど……起きてからで良いかい?」
カインの意識は、既に朦朧としている。多大な幻素の消耗と、肉体的損傷のダブルパンチが生み出した睡魔に抗うのはもはや限界だった。
「どうせ、夜襲が来れば起きて応戦。来なかったら昼まで休んで森で決戦でしょ? おやすみ、センパイ」
「わ、分かりやすいですから。だ……ふぁいおうふです」
ピジムは真っ先に布団に潜り込んで寝る体勢。グラシェスの声にも、欠伸が混じっていた。この状態で話し合いなどしても頭に残るまい。
「そうだね……おやすみ、二人とも」
左の瞼も閉じると、他二人の様子を探る間もなくカインの意識は闇へと溶けていった。
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