時はやや遡り、カイン達がほうほうの体で森から撤退した後。
「ギ、ジェェ……」
濁流に流されてどのくらい経ったか、意識を取り戻した冠持ちは武器を頼りに立とうとし……左足に体重が乗った瞬間、痛みに思わずひっくり返って悶絶する。真っ暗闇の中で足をよく見ると、つま先が足首ごと九十度外側を向いていた。
「……ッッ」
意を決して足の甲を掴み、正しい位置に戻す。先に倍する痛みが襲い掛かり叫びそうになるが、今何者かに襲われたらひとたまりもない。鋼鉄の意志で噛み殺す。
どうにか一本足で立ち上がり、ケンケンで移動しながら状況を把握していく。その途中で、弱々しく助けを求める声が耳に届いた。
「ジャ……ジャグ、ゲジェ」
木の根元に、親衛隊の一匹が転がっていた。僅かに息はあるものの、その目はもう焦点が合わなくなってきている。冠持ちは躊躇いなくそいつの頭を掴み、木の幹へ叩きつける。最早断末魔を上げる力すら残っていなかった元部下は、彼にとってただのエサである。
骸の腹に食らいつき、血肉と臓物、さらに胃の内容物を啜る。消耗しきった体には、臭く不味い同族の肉でも極上の馳走だ。が、まだ回復には程遠い。
落ち着いてみると、足首以外に脇腹の痛みが増していることに気づく。集落での戦闘で負傷した箇所を石で抉られ、さらに真水に浸かったことで出血も酷くなっていた。頭もどんよりと重く、ともすれば地面に伏せて眠ってしまいそうになる。
何でも良い、もっと肉を口に入れなければ。
「GrraA……!」
喉を震わせ、まだ生きている親衛隊を呼び寄せる。しばらく待つと三匹の生き残りが、めいめいに体を引きずりながら姿を現した。
「ビョギ、ガエギョ」
冠持ちは、部下の遅参を咎めることなく森の奥を指差す。大変だったな、アジトへ帰ろうと。部下たちを先へ促し、自身は殿を務める。ボスに守られながら安心して進む部下を見て、冠持ちもまた安堵する。彼らが歩ける体で良かった。
死んでいたら、持ち運びが面倒だ。
「ギヒャーッ!」
程よく森も深くなってきた頃。冠持ちは唐突に、目の前にいた一匹の頭を斧でカチ割った。何事かと驚く残りの二匹が何かする前に、斧を投げつけて二匹目を殺害。さらに死骸を投げ、転ばせる。
右足一本とは思えぬ跳躍力で最後の一匹の元へ跳び、全体重をそいつの顔に乗せる。メキョッという音と、骨の砕ける感触が心地良い。
動く者のいなくなった森で、冠持ちはじっくりと食事を楽しんだ。
そして、現在。
仲間すら食い散らかしてきた冠持ちの悪運も、いよいよ尽きようとしていた。
「かかった!」
ピジムが息を切らしつつも、快哉を叫ぶ。冠持ちが落とし穴を踏み抜き、盛大に水飛沫を上げて転落した。深さは約三メートル、加えて半分ほどの高さまで水が満たされている。
「凍れぇえええ!!」
グラシェスの叫びと共に、冠持ちの足元が俄かに冷たくなる。水属性幻素の強い干渉を受け、穴の中の水が凍りつき始めた。大慌てで穴のへりに手をかけようとするも、一手遅い。自然に生えるものより数段太い蔓が冠持ちの両腕を雁字搦めにし、頭上で手首を合わせるように固定した。
「逞しき神樹よ。そのしなやかさを以て我が敵を阻みたまえ──『拘束蔓』」
カインが、地面に撒いた幻素から術式を起動していた。本当はさらに多数の蔓を使い、首を絞める予定だったのだが……体のダメージが大きすぎて腕を封じるのが精一杯。
「ガッ……! ギィィイイ!!」
どうにかこうにか体を氷の中から引っ張り上げようと体を捩り、必死の抵抗を見せる冠持ち。しかし鳩尾辺りまで氷漬けになった今、逃れる術はない。
「センパイ、グラシェス! もうちょっと頑張って!」
三人の方も、トドメを刺す力はピジムにしか残っていない。彼女は右足を大きく引き、右拳を腰だめに構える。左手で右手首を握りしめ、拳の先端に扱える限りの幻素を集約していく。
「ビャ、ビャッジェ。ビャッジェ……!」
冠持ちが突如、首を振り振り泣き出した。か細い声で命乞いをする。人間の言葉でなくとも、待って、どうか命だけは……という意思が大粒の涙と共に流れ落ちる。
「っ。ピ、ピジム?」
「もう……何て顔してるのよ」
グラシェスの上ずった声に反応し、ピジムは笑う。彼女の顔には、目の前の強敵を確実に葬るという強い決意が浮かんでいた。
慈悲や憐憫が一切湧かないわけではない。しかし鎌首をもたげた感情に惑わされず、生き残るための選択をする。事をそれに限れば、ピジムは三人の中で最も幻導士らしい考えを持っていた。
「アタシは平気。氷解かしちゃダメだよ?」
「わ、分かってる! お、同じ失敗は、しないから」
止まっていた凍結が、再びゆっくりと再開される。命乞いにも失敗した冠持ちは、先ほどまでの涙を引っ込め、口角泡を飛ばしながら三人にあらん限りの罵声をぶつける。
ある意味清々しいまでの生き汚さ。これが、彼がゴブリンの王となるまで生き長らえた理由なのかもしれない。
「地に巡れる命の父よ。川をも埋める土石の奔流、立ち塞がる門を破りたまえ──『破城槌』!」
ピジムは、いたって静かに詠唱を終えた。カインに教わった破城槌を右手に携え、狙うは爛々と光る大きな眼。
腰を低く落とし、地面を蹴った。突き出した拳の先で土属性幻素が輝きを増す。握り込まれた拳が、悪口雑言を突き破る。
「ジィ、グッギョォオ──ッ!!」
冠持ちの顔に大穴が空き、それでも勢いは収まらず太い首が真後ろへ折れ曲がる。
鈍い衝突音と壮絶な断末魔が、森を駆け抜けた。
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