山中。
「それにしても摩訶不思議な術だな。夜にも関わらず月より輝き光を放つとは」
「これは凄いズラ……」
ヘッドライトを煌々と照らし続ける白いスカイラインの前で胡坐を掻いた三匹の鬼たち。
まるでマンガ肉を喰らうかのように人間の手足を片手に持って、豪快な仕草でかぶり付いていた。
鋭い牙で人肉を引き千切る。
皮が破け、筋が千切れ、肉が裂ける音が暗夜の虫の音に重なり合う。
人を食らう鬼の姿は極々と残忍な光景だった。
血生臭さが辺りに充満して車の光と死臭に誘われた蟲が多く舞う。
鬼の数が二匹少なかった。
ここに居るのは、赤鬼、青鬼、緑鬼の三匹だけだ。
黒く巨大な鬼と、紫色の鬼女の姿が見当たらない。
三匹の鬼は自分たちに分配された人肉を美味しそうに食べながら数百年ぶりの自由を和んでいた。
「龍鬼の兄貴。これで随分と妖力も回復しましたね」
「いいや、まだ足りね~な~」
「そうズラ。オラは蛇鬼のように細くないから、これじゃあぜんぜん足りないズラ」
「本当に鈍鬼は食いしん坊ですな。しかし妖力が全快になった訳ではありませんからね。鈍鬼の言葉も一理あります。これでは足りません」
長髪に青い肌の鬼は、そう言いながら優雅な動きでスカイラインのボンネットの上に腰を下ろすと、赤い口を腕で拭う。
赤鬼の龍鬼と緑鬼の鈍鬼は、口元を真っ赤に染めながら未だ人の残骸を食らっていた。
大柄な鈍鬼のほうは、肉をすべて食べ終わり、骨に付いた粕を名残惜しそうにしゃぶっている。
まだ味が楽しめる様子だった。
「とにかく黒雲馬の術が使える程度に妖力が回復しなければ移動もままならねえ。今は町を目指した蘭鬼と鉱鬼が帰るのを待とうや」
そう言いながら蛇鬼の横を過ぎ、スカイラインの天井へ登る龍鬼。
そのまま大の字になって寝そべる。
龍鬼の太く厚い筋肉の重みで白い天井が窪み、車体とタイヤが更に沈む。
筋肉とは脂肪に比べて重い肉だと言われているが、この赤鬼の体は殆どが筋肉だった。
その赤身の密度は豪く引き締まり、普通人の筋肉よりも重みを増している様子だ。
ローンを残したまま主人を失った白いスカイラインが、赤鬼の重みに悲鳴を歪むスプリング音に代えて鳴らしていた。
鬼たちが動く僅かな動きに限界が近いことを、金属疲労の泣き声でアピールしている。
その悲鳴の意味を鬼たちが悟り、気を使うことは有り得なかった。
心霊スポットとして雑誌によく載る霊界トンネルの前。
そこは車がUターン出来る程度の広さは有る。
何台かの車がUターンしたタイヤの痕跡も残っていた。
しかし余り広くはない。
右は草木が多い茂る藪の斜面が壁と化している。
左は逆に急斜面だ。
ガードレールが無いので、万一車で来た人物がタイヤを踏み外せば面倒なことに成りかねない場所であった。
タイヤに因って踏み固められた二本のラインが緩やかなカーブを描き山肌に隠れていく。
「ん~……」
虫の音を聴きながら車の天井で寝て居た龍鬼が、喉を唸らせながら立ち上がる。
直立不動だ。
車体に踵をめり込ませながら龍鬼は、鋭い豪傑の眼差しを夜空へと向けた。
鬼の厚顔が真剣さを研ぎ澄まし睨みを利かせる。
「兄貴、どうしたズラ」
「……」
いきなり立ち上がった兄貴分に鈍鬼が訊く。
しかし龍鬼は何も答えない。空を睨むように見たままだ。
鈍鬼も緑の顔を夜空に向けたが目に映るのは、鮮やかに散らばる無数の星々のみ。
とても綺麗な星の数々が、新星の気鋭に煌いている。
しかし、それ以外、気になる物は見えなかった。
鈍鬼が何を見ているのだろうかと首を傾げる。
「龍鬼兄貴……これは……」
蛇鬼の言葉に見上げた視線を彼に向ける鈍鬼だが、一人事情を理解していない。
青い鬼は俯きながらも長髪の隙間から氷のような眼差しで、暗い道の向こうを睨んでいた。
龍鬼と蛇鬼は、何かに感付いている。
三匹の鬼が視線を向ける暗闇の先は、緩いカーブだ。
鬼である鈍鬼にとって闇が視力の障害にはならない。
カーブの先まではっきりと見えていた。
だが、誰も居ない。何もない。
「どうしたズラ、兄貴も蛇鬼も……」
「……来るぞ! 蛇鬼!!」
「はい!」
「え!?」
赤鬼が声を掛けたのは青鬼のほうだけだった。
緑鬼は無視されている。
理由は不明。
「不知火 ザ・ファイアーボルト!」
幼い少女の声がカーブの先から聞こえて来た。
その直後である。
カーブの陰から熱風を唸らせて炎の弾丸が飛び迫る。
道の角度に合わせて滑空する火炎の軌道は、そのままスカイラインを後方から直撃する。
火炎弾丸はトランクを貫き車内に飛び込んだ。
そして更に貫通してエンジン部分に炸裂する。
「何ズラ!?」
奇襲の火炎弾はエンジンを破壊してガソリンに引火する。
するとバズーカ並みの威力に車は炎を噴出し爆発した。
爆音が轟き爆熱が波打つ。
スカイラインの体内を潤滑するエネルギー源が、更なる大爆発を起こすと、二つ目の爆破に車体から炎を舞い上げながら跳ね上げる。
燃え盛る車体が1メートルほど跳ねていた。
辺りの景色が赤く照らされる。
真っ赤に――。
赤鬼と青鬼は逃げたが、緑鬼はその爆炎に巻き込まれ大きな体躯が炎に包まれた。
炎を上げながら舞った車体がワンバウンドしながら地に落ちる。
鉄の軋む音と炎が燃え盛る音が、騒々しく辺りに轟く。
すると回避していた二匹の鬼が上空から着地した。
「何者でい!?」
龍鬼が大声で問う。
その形相は怒りの鬼その物だ。
隣で蛇鬼が、いつの間にか長身の合口を手にしていた。
刀身と瞳が蛇の鱗のように冷たく輝く。
冷酷に――。
曲がり角の藪に隠れた場所から姿を現したのは三人の退魔師であり探偵事務所の面々だった。
ヴァルハラの社員だ。
フランケンシュタインが作り出した怪物を連想させる体躯の化け物は軽々両肩に男と少女を背負っていた。
そして継ぎ接ぎだらけのショルダーソファーに腰を下ろす少女が述べる。
「私の不意打ちを避けるなんて、生意気だわ」
イゴールの左肩に乗る憑き姫は巫女の成りでカードファイルを開き、カードを投げたままの構えを決めていた。
今攻撃を加えたのは、私だと主張するが様に――。
不意打ち行為に悪びれた様子はない。
卑劣への罪悪感を欠片も抱いていない相貌だった。
その隣でイゴールの右肩に乗っている軒太郎も黒衣に変身している。
黒いテンガロンハットに黒いロングコート。
下に着る上下のスーツもカウボーイブーツも黒かった。
漆黒から悪意が滲んでいる。
唯一色が異なるのは首に掛けられた白いマフラーのみ。
その白いマフラーが熱風に煽られ揺れていた。
「鬼が三匹か……」
怪しい声色で言う軒太郎がイゴールの肩から前へと飛び降りる。
それに憑き姫も続いた。
黒いコートと赤い袴が、ふわりと空気を孕む。
「数が合いませんよ、五匹とか言ってませんでしたか?」
「ああ、そうなんだが――」
鋭い眼光で二匹の鬼を睨む軒太郎が、後ろのイゴールに答えた。
闇に混ざりかけた黒衣の軒太郎は、鋭い視線だけを左右に走らせ辺りを探る。
残りの二匹が何処かに潜んで居ないかを警戒していた。
「んん?」
右の斜面に生い茂る藪の中、何かが走る音と波打つ草木が揺れていた。
何かが軒太郎たち三人に向かって突き進んでくる。
憑き姫が行なった挨拶への仕返しだろうか、手洗い歓迎が予想できた。
何かが迫る。
「イゴール。それはお前にくれてやる」
「わーいです」
素直に喜ぶイゴールは右の斜面から草木に隠れて攻めてくる者に身構える。
構えるといっても両拳を握り締めながら軽く腰を落としただけの物だった。
本格的な格闘技の構えと、程遠い素人のポーズだ。
素晴らしい程の体躯を有しているイゴールだが、武術の心得は零の様子だ。
そして、藪の中を走っていた者が飛び出すと、怒鳴り声を上げる。
「よくもやってくれたズラ!」
飛び出して来たのは先程爆炎に包まれた筈の緑鬼の鈍鬼だった。
衣類は焼け焦げボロボロだったが、巨漢の皮膚に火傷の痕一つ無い。
無傷であった。
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