「いや~ 今日はどっと疲れたな~ 赤西の奴め、今に見てろよ…… イテテッ!」
今日も放課後の部活動を終え、痛む節々を引きずりながら帰路につく。部活動での疲労とクラスメイトからの袋叩きのダメージが尾を引いているようで、足取りがなんだか重たいな。
それにしても、俺は何でまた空手部なんかに入ったんだろうな。やる気なし、根性なし、実力なしの三拍子、もうただ惰性で続けているようなもんだな、本当に。
なんとか体を奮い起たせながら、俺はいつもより少し遅めに沙羅姉が待っている自宅へと辿り着いた。俺は鍵を開けてから、まだそれなりに痛む右手をドアノブに掛ける。
「た~だいまぁ~」
今日は遅かったこともあって、沙羅姉が玄関で待ち構えていることはなかった。それでも、俺の声をしっかり捉えて、奥のキッチンから沙羅姉が俺を出迎えにやってきた。
「帰ったか、海人。今日は遅かったじゃ……! ぬうっ!?」
沙羅姉は、ヨロヨロと崩れた俺の成りを見て吠えた。そして、沙羅姉はスリッパのまま俺に駆け寄って、俺の両肩に手を置いて前後に揺する。その顔は険しく、思わず気圧されてしまう。
「どうしたっ! 海人っ! その怪我、誰にやられたあっ! 教えろ、私が直々に原型が無くなるまでぶん殴ってきてやるっ!」
いや、いくらなんでも大袈裟な。沙羅姉は昔からこうだ、何かにつけて俺をまるで弟のように扱うんだ。いい加減、俺達も高校生なんだからそろそろこの扱いは勘弁してほしいもんよ。
「ちょっ、止めてくれよ、沙羅姉。これは部活でちょっとやり過ぎただけだからさ」
もし袋叩きの件を話したらクラスメイトの命が危ない。心苦しいけど、俺は沙羅姉に嘘をついた。そんな俺の返事を聞き、沙羅姉は俺を揺するのを止める。
「そうか、それならいいんだが。いや、よくないな。こんなになるまで私の大事な海人を痛め付けるとは。これは部長の佐伯を絞めねばなるまいな!」
「いやっ! 佐伯さんは関係ないって! これは事故だったんだよ、うん。だから、沙羅姉は何もしないでくれよ、頼むから!」
俺はそう言って沙羅姉が暴走しないように釘を刺す。沙羅姉ならうちの部長さえノーダメージで討伐しかねない。
「そうか…… 海人がそこまで言うならそうしようじゃないか。ま、それは置いておいて、夕食の準備出来てるからさっさと着替えてこい。今日はビーフシチューだぞ」
「ああ、ちょっと遅くなるかもだけど、すぐに着替えてくるよ……」
それにしても、参った。今日も沙羅姉はいつも通りだ。俺に彼女が出来たからといって俺に世話をやくのを止める気はなさそうだ。
仕方ない、それとなく俺からそういったニュアンスで話をしてみるか。俺はフラフラと自室に戻り、頑張って部屋着に着替え、体を引きずりながらキッチンへと向かった。
…………
二人で夕食を食べ終え、沙羅姉の食器の片付けが済み、いつものように食後の緑茶となった。さて、沙羅姉に俺の今後の処遇について話を振ってみる。
「沙羅姉、ちょっといいかな? 実は相談があるんだけどさ……」
「何だ? 今日も何かいいニュースでもあるのか、海人」
沙羅姉はいつもと同じ様に優雅に緑茶をすすっている。さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
「いや、その、俺にもはれて彼女が出来た訳だし、こうして毎日食事を作ってくれるっていうのも悪いっていうか、俺ももう立派な男な訳だし、沙羅姉におんぶにだっこってのもみっともないんじゃないか、なんてさ……」
俺はほぼ沙羅姉によるいつもの食事を作ってくれるのを止めてもらうていで話し、沙羅姉の反応をうかがう。でも、沙羅姉の答えは、まぁ、ある程度予想通りの答えだった。
「海人に彼女が出来たことと、私が食事を作るのを止めるのと何の関係があるのだ? それに、私は好きでやっているんだ。それをみっともないなどと言ってはいかんぞ、海人」
やっぱりそうなるか。俺の淡い期待は完全に打ち砕かれてしまった。しかし、その後、沙羅姉が続けた言葉に、俺の脳内は更に混乱してしまう。
「というより、海人に彼女が出来たからこそだ。海人の青春を家事なんて無駄な時間に費やさせる訳ないだろう? 安心しろ、海人。これからは私が何から何まで『全て』世話をしてやるぞ?」
「ちょっ! 沙羅姉、なに言って……!」
困惑する俺をよそに、沙羅姉は少し呼吸を置いて、満面の笑みを浮かべ、手をパチンと叩きながら、俺に超ド級の危険度を有する一言を放った。
「そうだっ! この際、私もこの家に住めばいいじゃないかっ! それなら、四六時中海人の世話をしてやれるじゃないかあっ!」
「はぁ!? 何言ってんだ、沙羅姉! 冗談だろっ?」
俺からの問いに、沙羅姉は軽くため息をついてから、やれやれとジェスチャーをしながら答える。
「冗談なもんか、な~に、昔からお互いの家でのお泊まり会なんてしょっちゅうだったじゃないか、今更、何の問題があるというのだ!」
草も生えない、いつの話をしてるんだ沙羅姉は。お泊まり会っていったら小学生の時の話だろうが。思春期真っ只中の男女同士が一つ屋根の下、無茶苦茶だ。
この展開、色んな意味でマズイ。ここはありったけの理論展開で沙羅姉のある意味犯罪的な提案を退けなくては!
「いやっ! そんなの沙羅姉の両親が許さないだろ!? だってほら、俺達だって男と女なわけだしさ!」
俺は至極当然の、いや、本来は確認するまでもないことを沙羅姉に確認する。しかし、俺の一言は沙羅姉に見事に一蹴される。
「何を言うか、私と海人、今更そんなことを気にする仲じゃなかろうが。それに、十中八九、私の両親は大手を振ってこの私の考えを許可してくれるぞ?」
「それは、そうか、確かに、そうだろうな、残念ながら……」
確かに、俺の両親と沙羅姉の両親の関係はすこぶる良好だ。下手したら、今すぐ俺と沙羅姉が結婚すると言っても賛成しかねない。
「諦めろ、海人っ! 私は本気だっ! 大丈夫、お前が彼女とイチャつくときには家に帰ってやるさ! 知っているだろう? 私は……」
「『やるといったらやる女だ』だろ?」
「解っているなら話は早い! さ~て、それじゃあ、私の家から少しずつ荷物を持ってこねばならんなあ、ハーッハッハッ……!」
ああ、何てこったい。結局沙羅姉に押しきられちまった。ま、俺の力ではこんなもんか。やれやれ、俺の当初の思惑は、外れるどころかとんでもない方向に悪化してしまった。
これじゃあ、いっそのこと、俺と沙羅姉とつき合っていた方がまだマシだったんじゃないか? 全く、俺が沙羅姉の手から離れられる日は来るんだろうか。
俺が今後の生活に頭を悩ませていると、沙羅姉はテーブルに手を付き、身を乗り出しながら俺に更なる質問をしてきた。
「ま、それはそれとしてだな。聞かせてくれよ! 海人!」
「え? 何を? 沙羅姉」
「勿体ぶるなよ、海人~ それで、お前は誰と付き合うことにしたんだあ~? なあ~ 海人お~!」
沙羅姉はなんだか不気味な猫なで声で迫りながら、目を爛々《らんらん》とさせて俺を見つめる。俺は少し仰け反りながら反論する。
「いやっ! それを聞いてどうするんだよっ! 沙羅姉っ!」
「決まっているだろうが! 会って、膝を突き合わせて、じっくりと話すのさっ! 海人の彼女がどんな娘なのかを私は知りたいんだよっ!」
「いや、止めてくれよ、恥ずかしいからさ……」
「な~に、遅かれ早かれ解ることだ、今、海人の口から聞いても何の問題も無かろうが。なぁ、海人よ」
確かに、既に俺が来栖さんの告白を受けたことは、とんでもない早さで学校中を駆け巡っているらしい。沙羅姉は偶然知らなかったようだけど、まぁ、時間の問題なのは間違いないな。
ちなみに、それと同時に沙羅姉がフリーになったことも伝わっているらしく、沙羅姉を巡る群雄割拠の時代が到来したらしいけど、俺には関係のない話だ。
「解ったよ、言えばいいんだろっ! 一年C組の来栖 桃花さんだよっ!」
俺は諦めて、頭を抱えながらはんばヤケクソ気味に沙羅姉からの質問に答えた。すると、沙羅姉は少しの間考えてから、左の掌を右こぶしでポンと叩く。
「来栖…… 来栖…… ああっ! 『新聞部主催! 守ってあげたくなる女子ランキング1位』の来栖のことかっ! それはまた素晴らしい! やるじゃないか、海人! さすがは私の幼馴染だあ!」
「いや、俺も実は何でそうなったか自分でもよく解らないんだけどさ。それと、沙羅姉もそのなんとかっていう企画、知ってたんだな……」
脱力とむなしさで、力ない反応しか出来ない俺に対して、沙羅姉はでかい声で笑いながら言った。
「知ってるも何も、最終承認の判を押したのは私だからなっ! 賛否はあったが、面白い企画だったろうが!」
「いいのかよ、そんな企画通して。なんかあったら責任取るのは沙羅姉なんだろ? 全く……」
「いいじゃないかっ! 学生のうちにこういった馬鹿げたことで馬鹿をやるのもまた一興だ! 後は二の次、楽しめ楽しめっ! ハーッハッハッ……!」
いや、沙羅姉は時々誰も考えない、いや、考えてもやらないような滅茶苦茶なことをやりだすからな。でも、それが沙羅姉の人気を押し上げているのも事実だ。
それにしても、まさか沙羅姉と同居するハメになるとは。しかも、来栖さんと沙羅姉の接触もほぼ確定してしまった。本当に、これからの俺の学校生活に私生活、悩みの種は尽きないよな。
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