沙羅姉は、家に帰ってくるなりササッとシャワーを浴びて、朝食の準備に取りかかった。俺も沙羅姉の後にシャワーで汗を流す。それにしても、昨日の沙羅姉からのテストと称した誘惑には本当に参ったよ。
昨日、沙羅姉の後に風呂に入ったとき悶々としながら己の分身を鎮めるのに苦労したもんだ。今だって、朝からとんでもない夢を見たもんだから、俺の分身が元気になりつつある。こんなんで、俺はこれからやっていけるのだろうか。
それでも、最後に冷たいシャワーを浴びると俺の火照った体は一気にクールダウンされる。そして、俺はそのまま制服に着替えて沙羅姉が待つキッチンへと向かう。
「おっ、あがったか、海人。ちょうどパンが焼きあがったところだぞ。それでは、朝御飯を頂くとしよう! さ、座れ座れっ!」
ベーコンの焼ける香ばしい匂いが漂うキッチンには、いつもと同じ様に、エプロンを制服の上から着た沙羅姉がいた。昨日は気づかなかったけど、朝御飯を作ってくれるのならもちろんエプロンも着るよな。これからもそんな沙羅姉が見られるのは、素直に嬉しい。
そんなことを考えている間に、沙羅姉はテキパキとテーブルの上に朝御飯を並べていく。メニューは、卵を二個使ったベーコンエッグに、こんがり焼けたトースト、それに、レタスとトマトに和風ドレッシングがかかったサラダと牛乳。これぞ朝食って感じだな。
朝御飯を並べ終わった沙羅姉は、エプロンを脱いで、先に座って待っていた俺の対面に座り、目を閉じて手を合わせる。
「さあ、それでは、この世の全ての命に感謝と敬意を込めて、いただきますっ!」
「い、いただきます」
こうして、俺と沙羅姉の、本当に久しぶりの二人での朝御飯が始まった。沙羅姉の言う通り、運動後のちゃんとした朝食は格別だった。いつもは朝はブロック型の固形食品を牛乳で流し込むだけだったから尚更だ。
普段とは違う、ゆったりとした時間。ギリギリまで寝ているのもいいけれど、こんな時間を沙羅姉と一緒に過ごすってのも、いいもんだな。そんなことを考えながら、優雅に朝御飯を食べる沙羅姉に見とれつつ、沙羅姉と同居して最初の朝は過ぎていった。
…………
「ご馳走さまでした」
「うむっ、お粗末様でした」
朝御飯を終えて、ふと時計を見てみると、午前七時よりちょっと早いくらいだった。校門が閉まるのは八時だから、まだ少し余裕があるな。こんなに余裕があるのは、もしかしたら初めてかもしれないな。
そんなことを考えていると、食器を片付け終わった沙羅姉が、俺に向けて含みのある笑みを浮かべる。そして、沙羅姉はそのままの顔で、俺を指差しながら言った。
「さ~て、海人。今日、お前を早くに叩き起こしたのはランニングに誘うためだけではないのだっ! 題してっ! 『海人と来栖の距離を一気に縮める秘策パート1』だっ!」
「な、なんだよ、沙羅姉。急に張りきっちゃってさ……」
なんだ、沙羅姉。ま~た朝からの妙なことを言い出したぞ? また何かやらかすつもりなのか? 俺は沙羅姉からどんな突拍子のない発言が飛び出すのかと、つい身構えてしまう。
「おいおい、そう身構えなくてもいいじゃないか。安心しろ、そんなに大それたことをしようというわけではないのだから。まずは私の話を黙って聞けっ!」
「あ、は、はいっ!」
沙羅姉は俺をひとまず黙らせてから、したり顔で俺に沙羅姉の『秘策』とやらを語り、俺はそれに耳を傾ける。
「実はな、昨日来栖を呼び出した後、一年C組の連中に、来栖が何時頃、どのコースで登校しているのかをリサーチしたのだ! それによると、七時二十分頃に、この家からすぐそこの三叉路で友人と待ち合わせてから登校するとのことだ。このチャンス、見逃すわけにはいくまいっ!」
いや、沙羅姉、そんなところにまで手を回していたのか。俺としては、ありがたいやら、恥ずかしいやら、色んな感情が頭のなかを駆け巡る。それでも、ひとまず確認しないといけないことがあるよな。
「あのさ、沙羅姉。その心遣いは、まあ、嬉しいんだけどさ。その、『友人と待ち合わせて』っていうのについて、聞いてもいいかな?」
「ああ、それなら、どうやら来栖には仲のいい友達が二人いるらしくてな。大体いつもその二人と行動を共にしているとの情報をキャッチした。なんでも、その三人は、『一年C組のお花ちゃん達』と呼ばれているらしい。全く、可愛らしいことだ」
「いや、それじゃあ、俺が行ったとしても、来栖さんと二人で登校するのは無理なんじゃないかな?」
俺からの当然の疑問に、沙羅姉は目を細めて、ニヤリと怪しい笑いを浮かべながら答えた。
「それがなあ、確かな筋の話によると、十中八九、来栖が待ち合わせ場所に早めに来て、後の二人を待ってから一緒に登校するらしいのだ」
「な、なんだい沙羅姉。それがどうしたっていうのさ」
「ああっ! これだけ言って解らんとは、お前、本当に察しが悪いなっ! 仕方ない、私の口から言ってやるとしよう」
そう言って、沙羅姉は俺の顔の目の前まで顔を寄せて、何だが小悪魔じみた笑みを浮かべながら、言った。
「拐うぞ、来栖を」
「はあっ!? そんなことしたら、後で俺がどうなるか解ったもんじゃないじゃないかっ! それに、二人して来栖さんと登校するってのは、ちょっと……」
そんな俺の様子に、沙羅姉は、少しキョトンとしながら、あきれたような口振りで、俺の肩をポンと叩きながら答えた。
「何を言っている。私はやらんぞ? やるのは海人、お前だけだ。まあ、万が一失敗したなら骨だけは拾ってやるから、頑張れよっ! か・い・とっ!」
そんな無茶な。もし失敗したら、俺は完全に往来での晒し者じゃないか。全く、沙羅姉の思い付きはいつもどこか抜けてるんだ。それに付き合わされる俺はたまったもんじゃない。
「そんなっ! いや、確かに、俺だって来栖さんと一緒に登校したいけどさっ! なにもそこまでしなくたって……!」
泡を食いながらうろたえている俺に、沙羅姉は少し真面目な顔をしながら、ピシャリと言った。
「海人、そう言ってお前はダラダラと来栖との関係を先送りにするのか? 時間は有限だ、そんな風に手をこまねいていたら、いつか横から来栖を拐われてしまうぞ? 拐われる前に拐えっ! 大丈夫! お前ならやれるさっ!」
なんだか、沙羅姉にそう言われたらそうな気がする。来栖さん、押しに弱そうだし、俺なんかよりふさわしい男子はいくらでもいるわけで。そう考えたら、沙羅姉の言っていることは正しい。うん、正しいな。
「そうだ、そうだよな……! 解ったよ、沙羅姉! 俺、やってみるよっ!」
俺の決意に、沙羅姉の表情はパッと明るくなり、満面の笑みで肩をバンバンと叩きながら俺に言った。
「よく言ったっ! 海人っ! それでこそ私が大好きな幼馴染だっ! そうと決まったら、早速準備だっ! とはいえ、やることは友達を待っている来栖を言いくるめて連れていくだけなのだがな」
「まあ、確かにちょっと大袈裟な気もするけどさ。それはそうと、俺が来栖さんと一緒に登校することが出来たとして、沙羅姉はどうするのさ」
俺からの質問に、沙羅姉は俺の目をしっかりと見ながら答えた。
「そうだな、私はお前が来栖を拐った後のアフターケアでもしておくよ。さすがに、友達二人をその場で待たせるわけにはいかんからな。だから、安心してお前は来栖を拐えばいい。後の事は私に任せておけっ!」
沙羅姉は目一杯の爽やかな笑顔を浮かべながら、俺に向けてサムズアップをする。そうだ、俺にはこの無敵の幼馴染の沙羅姉がついているんだ! そう考えたら、なんだかこの作戦も成功しそうな気がしてきた。
こうして、沙羅姉の提案により、来栖さん誘拐計画、もとい、俺と来栖さんで一緒に登校するという、他の人から見たら小さいことかもだけど、俺にとっては一世一代の計画がスタートした。
俺と沙羅姉は、来栖さんを拐う大まかな流れを確認しつつ、自分達の登校の準備を済ませてから、七時を少し過ぎたタイミングで二人一緒に家を出た。
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