今日も夕食を終えて、テーブルで沙羅姉と一緒に食後の緑茶をすする。よくよく考えたら、この時間が一番一日が終わったことを実感できる気がする。でも、今日からは昨日までとは少し違う。
昨日の宣言通り、沙羅姉は既に私物を俺の母の寝室に持ち込んでいて、瞬く間に沙羅姉の部屋が完成してしまっていた。いやはや、沙羅姉は一度決めたら行動がとにかく早い、俺は呆気に取られる他ないよ。
さて、いつもはこの後、沙羅姉は自分の家に帰っていたけど、これからは私生活を沙羅姉と共にするという、ちょっと嬉しくもあるけど、それ以上に気苦労が絶えない毎日が始まるというわけだ。
「そうだ、海人。早速だが、今日、来栖と話をしてきたぞ」
「ぐほっ!」
いきなりの沙羅姉からの報告に、俺は思わずお茶を吹き出しそうになってしまった。これだから沙羅姉は……
「なあ、沙羅姉。沙羅姉の性格はそれなりに知ってるつもりだけどさ。いくらなんでもちょっと早くない?」
俺からの問いに、沙羅姉は涼しい顔でお茶をすすりながら答える。
「いやいや、こういったことはさっさと済ませるに限る。時間は有限だ、出来ることはその日のうちにやるべきだ」
「まぁ、それはそうなんだけどさ……」
「それよりも、海人。来栖のことだが、いやはや、存外いい娘じゃないか。少しそそっかしいところもありそうだが、なにより仕草がかわいらしい。件のランキングで一位になるのも頷ける」
「全く、俺とはどう考えても釣り合うとは思わないんだけどね……」
何の気なしに言った俺の謙遜に、沙羅姉はちょっとムッとしながら反応する。
「それは違うぞ、海人。お前は自分が思っているよりずっといい男だ、それは私が保証する。だから、そう自分を見下げたようなことを言うんじゃない。それこそ、お前の価値が下がるというものだ」
「ご、ごめん、沙羅姉。そんなつもりじゃなかったんだ。ただ、やっぱり来栖さんは沙羅姉の言う通りすごく可愛いからさ……」
「確かに、来栖は外見も内面もとても好感が持てる。人は見た目ではないとは言うが、やはり人間が得る情報の大半は視覚に依るものだ。しかしながら、内面もそれと同じくらい重要であることもまた事実だ」
沙羅姉は、よくも悪くもお世辞やおべっかというものを言わない人間だ。そのせいで、トラブルに巻き込まれることはしょっちゅうだけど、大抵沙羅姉の理詰めの応酬によって言いくるめられるのが常だ。
だから、沙羅姉が言うことに嘘はない。いや、沙羅姉は滅多なことでは嘘がつけない、ハードモードの人生を送っているんだ。それが沙羅姉の芯の強さの源なんじゃないかと俺は思う。
「そう言えばさ、沙羅姉。今日は来栖さんとどんな話をしたんだ?」
俺からの問いに、沙羅姉はすまし顔でサラッと答えた(クソうまギャグ)。
「なに、そんなに難しい話じゃないさ。ただ、来栖が何故、海人を好きになったのかを聞いただけだ。それ以外は何も聞いていないよ」
「そ、そうですか……」
まぁ、ある程度予想はしていたけど、これはまた単刀直入だなぁ。でも、あんまり色々と妙なことは聞いてはいないみたいだから、そこは安心できそうだ。
さて、それはそれとして、これから俺と沙羅姉がひとつ屋根の下で暮らすってのは、やっぱり色々とまずい気がするよな。俺は改めて沙羅姉に聞いてみたり
「なあ、沙羅姉。今更だけどさ、本当に今日からこの家で暮らすのか? そうなると、色々考えていかないといけないこともたくさんあるわけだし……」
「何を言うか。海人が考えないといけないのは、これからどうやって来栖を幸せにしてやるかだけだ。それ以外は『全て』私に任せておけばいいのだ」
「いや、そういうことじゃなくってさ……」
察しているのかいないのか、沙羅姉の言い分は昨日と全く変わらない。さて、このことを、沙羅姉にどう言ったものか。
「沙羅姉、ちょっと提案なんだけどさ。家同士も近いわけだし、一旦色々と沙羅姉は自分の家で済ませてから、俺の家で寝るってのはどうかな? それなら、朝も起こしてもらえるしさ……」
俺からの提案を聞いた沙羅姉は、不思議そうな顔をしながら、逆に俺に質問をしてきた。
「どうした? 海人。お前はなんの心配をしているんだ? 解らん、私には全く解らんぞ。なにをそんなに顔を赤くしているんだ?」
この様子だと、沙羅姉は俺の思惑を本気で解っていないみたいだ。仕方ない、恥ずかしいけど、俺の口から言うしかないか。
「いや、だってさ…… 風呂とか、トイレとか、あるじゃないか、そういう、アレがさ……」
うつ向きながら、声をなんとか絞り出す俺を、沙羅姉はキョトンとしながら見つめ、やがて大きな声で笑い飛ばした。
「アッハッハッ! な~にを言うのかと思ったらそんなことかっ! なにを無用な心配をしているんだ、海人。そんなことを今更気にする間柄ではないと昨日言ったばかりじゃないか」
「でもさ、沙羅姉は、その、嫌じゃないのか? 俺に沙羅姉の私生活を四六時中見られるのがさ」
「そのような感情は全くないな。むしろ、なんだったら、私の『す・べ・て』を海人に余すことなく見て欲しいとさえ思っているぞ、私は」
冗談なのか、本気なのか、沙羅姉は身を前に乗り出して、顔を近づけながら蠱惑的な怪しい笑みを浮かべている。そんな沙羅姉に、いくら幼馴染とはいえ、俺はドキドキしてしまう。
「ちょっ! 沙羅姉! 近い! 近いって!」
「なにをそんなに慌てているんだ。さてはお前、私のあまりの魅力に欲情したな? 私はいつでも構わんぞ? なんだったら今夜、私と一緒に寝るか?」
沙羅姉、なにを言っているんだ? 一緒に寝るだって? そんな昔みたい感覚で言われても。俺はそう思っていた。でも、沙羅姉はそんなつもりじゃなかったみたいだった。
「そうだ、今晩、来栖との予行練習として、私を抱いてみないか? 海人」
「沙羅姉、なに言って……!」
沙羅姉の表情が、蠱惑的な笑みから、少しずつ真剣なものへと変わっていく。俺はそんな沙羅姉から目を離せないでいた。息が荒くなる、心臓の鼓動が急速に高鳴りはじめる。
そんな俺を見つめる沙羅姉の顔が、いきなりイタズラっぽい笑みに変わる。そして、沙羅姉は俺から顔を放して、豪快に笑った。
「ダッハッハッ! アホか、海人! 冗談に決まっているだろうがっ! お前の童貞は来栖のものだ、私が頂いてしまうわけにはいかんだろう! 私を抱けなくて残念だったな、か・い・とっ!」
「沙羅姉っ! 思春期の男の子を弄ぶとは鬼畜なっ! そんなこと言うなら、今晩本当に襲いにいくぞっ! チクショウッ!」
「ハハハッ! やってみろ海人っ! 返り討ちにしてくれるわっ!」
「プッ! フフッ……! ハッハッハッ……!」
「アッハッハッ……!」
よかった、冗談で。いくらなんでも、沙羅姉にそんなことさせられるわけがないじゃないか。ああ、昔はこんな風に冗談を言い合って笑っていたよな。なんだか、少し昔に戻ったみたいで、懐かしいな。
俺と沙羅姉はしばらく二人して笑いあい、昔話に華を咲かせた。一緒に公園で遊んだこと、駄菓子屋で買い食いをしたこと、遅くに帰って、二人して叱られたこと。ああ、全てが懐かしい。
こうして、俺と沙羅姉の同居生活の一日目が更けていく。でも、この一日目が終わるまでに、俺には更なる災難、もとい、試練が訪れることになる。俺が沙羅姉に振り回される日々は、まだ始まったばかりだった。
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