第7夜
Tさんがある夏の日に、滋賀の田舎に旅行に行った時のこと。
温泉に入ってしまえば部屋にいても特にすることもないので、Tさんは夜中に散歩に出かけることにした。
ブラブラと旅館の周りを歩いていると、少し行ったところで橋に差し掛かった。随分と古い木の橋で、歩くと微かにミシミシと軋む音がする。
なんだか嫌な感じがしたが、ここを渡らないと引き返すしかないので、Tさんは気にせず渡ることにした。
ミシミシ、ミシミシと歩き続け、やがて橋の真ん中に差し掛かった。すると突然、ボチャン! という、水の跳ねる大きな音がした。
Tさんは驚いて、橋の下を覗き込んだ。
魚が跳ねる音にしては大きかった。川で夜釣りをしていた釣り人が誤って川に落ちたのかもしれない、と心配したのだ。
そうやって水面をじっと覗き込んでいると、後ろからトントン、と肩を叩かれた。
Tさんが振り返ると、地元の人だろうか、サンダルを履いたおじさんがそこに立っていた。
「あんまり深く覗き込むと、落ちますよ」
どうやらTさんが川に落ちないか心配してくれたらしい。
Tさんが事情を説明すると、おじさんは音の正体について教えてくれた。
「夜中に大きな水の音がするのは、あれは河童のイタズラですよ。ああやって橋を通る人をからかっているんです」
ここら辺の人はもう引っかかりませんから、あなたに仕掛けたんでしょう、と。
河童とは水辺に住む妖怪の類だったはず。河童の存在についてTさんは少し怖かったが、同じくらい興味をそそられた。
Tさんはおじさんにお礼を言って、旅館へと帰った。
翌朝、もしも本当に河童がいるのなら、是非一度見てみたいと思い、河童について旅館の女将さんに聞いてみた。
「このあたりには河童がいると聞いたんですが、本当ですか?」と。
すると、女将さんはふふふ、と口を押さえて笑い始めた。
Tさんが呆気にとられていると、女将さんは、失礼、と前置きをして
「橋のところで聞いたんでしょう? あれはこの辺りの人の冗談なんですよ。本当はウシガエルが水に飛び込む音なんですが、こんな田舎で特に夜中だとそれがやけに響きますから、河童だと言って橋を通る人を驚かせるんです」
と教えてくれた。
Tさんは昨日、河童ではなくあのおじさんにからかわれたのだ。
Tさんは女将さんに恥をかいたにが少し悔しかっだが、確かに面白い冗談だと感心した。そしてもしできることなら、自分も誰かに同じ冗談を仕掛けたいとも思った。
そこでTさんは、もう一度あの橋に赴くことにした。
その日の晩。Tさんがミシミシ、ミシミシ、橋を渡っていると、川を覗き込んでいる人を見つけた。
もしや、と思い肩を叩き、Tさんは尋ねる。
「どうしたんですか?」
するとその人は川を覗き込んだまま答えた。
「橋を渡っていると大きな水音がしたので、誰か飛び込んだのかと思って」
と。
しめた、とTさんは思った。
地元の人かと思ったが自分と同じ旅行客のようだ。
Tさんは得意になって昨日教えてもらった冗談を披露することにした。
「あれは河童のイタズラですよ。大きな水音を立てて橋を通る人をからかっているんです」と。
すると、川面を覗き込んでいた人が顔を上げ、Tさんは思わず声をあげた。
その人の目は、闇夜でもわかるぐらい黄色く光り輝き、肌は緑色の鱗でビッシリと覆われていたからだ。
「獲物を逃しているのはお前か?」
それは先ほど聞いた声とは似ても似つかないほど低いものだった。まるで深い水の底から響いてくるかのような。
Tさんは叫び声を上げると元来た道を一目散に駆け戻った。そのまま旅館の部屋に飛び込み、鍵をかけ、布団に包まるとブルブルと震えながら朝を待った。やがて一番鶏が夜明けを告げる鳴き声が聞こえると、荷物をまとめて旅館をチェックアウトした。
それ以来、Tさんは夜中に橋を渡る時、必ず耳を塞ぐのだという。
こんばんエイト〜! 私です!
何がホントで何が嘘か。その境界線が1番曖昧になるもの、それが怪談だと思っております。
誰かが考えた作り話が、別の何処かでは本当に起きているこ
とだったり、なんてこともあるかもしれません。
それでは、明日もまたこの時間にお会いできれば!
読み終わったら、ポイントを付けましょう!