二、鑑定係・刀剣改番
文久二年――。
桜が散り、桃色を緑が侵食し始めた頃。
江戸の下町にある、小さな店。
『都喜鑑定屋』と書かれた小さな札は今にも扉から落ちそうな程に古ぼけており、扉の上の小さな鈴は寂れた音しかしない。
「それで、どうかな?」
開口一番。
上等な羽織を着た、青年――本日のお客さんが問うた。
身につけている物からして、確かな家柄な人だと分かる。
(あまり見られると、やりにくいな)
僕――鎬 サダメは、お客さんの期待を持った瞳から逃れるように、視線を逸らした。
「あの、えっと……」
僕は言葉を濁しながらお客さんを見上げた。その時、お客さんの後ろの壁にかかっている鏡の中の自分と目が合った。
少し自信のなさそうな少年。小柄で大人しそうな少年には不釣り合いの、臙脂色の見事な羽織。
(師匠に留守を任せられたんだ)
(ここで臆しちゃ、師匠の弟子は名乗れない)
羽織が、僕が何者かを訴えかけ、僕はようやく顔を上げた。
「お客さん、鑑定結果を申します」
「はい」
「こちらの短刀ですが……」
「どうかなぁ? つい最近、蔵の奥から発見されたんだけど、僕の見解だと、【粟田口吉光】の作品だと思うんだが」
「粟田口吉光、ですか……」
吉光とは、今日の短刀造りで有名な<粟田口>派の刀匠・吉光の事である。
〝天下三名工〟の一つにも数えられる名門中の名門。
刀が斬る事を目的ではなく、愛でる事を目的になった戦国時代末期。
豊臣秀吉が〝天下三名工〟として選んだ三つの刀工の内の一つが〝粟田口吉光〟であり、かなーり有名である。
特に、粟田口一派の中では、吉光は、とある逸話をきっかけに、「吉兆の刀」として求める人が多い。
「まあ、吉光とまではいかなくても、同時期に造られた古刀じゃないかなって。結構、歴史ありそうだし……そうだろう?」
「えっと……」
(ここまで期待されると、すっご言いにくいけど)
(真実を突きつけるのが、僕の役目。だから、ごめんなさい!)
「吉光じゃないです」
「え?」
「だから、吉光じゃないです。造られたのも、つい最近のものかと」
「そ、そんな筈ないだろ。よく見てくれよ」
「見た結果です。そもそも、これは……」
「もういい!」
「!」
僕の言葉は彼の怒鳴り声にかき消され――、乱暴に短刀を奪われた。
「あ……」
「評判を聞いて、来てみたら、所詮はガキだな。物の価値なぞ知りもしない」
お客さんは立ち上がって、真上から僕を見下ろす。
「これが、幕府お抱えの『鑑定係』とは、笑わせてくれる。我ら武家社会にとって、お前達の出す鑑定結果がどれほど重視されるか、知らないのか?」
「勿論、存じております。我ら『鑑定係』が出す結果は、絶対で、覆せないものだって……師匠から、ずっと言われてきましたから」
『鑑定係』とは、その名の通り鑑定を職業にしている者達を指す。
分類は様々であり、茶器から絵画、武具類――と、ありとあらゆる依頼人の品物の価値を正確に示す事が『鑑定係』の仕事である。
鑑定内容は様々であり、職人の作った物品だけではなく、庭や領地までもが鑑定対象であり、『鑑定係』に鑑定出来ないものはない。
『鑑定係』は将軍様より「特定の鑑定を行い、その価値を正確に示す事」を許可されており、『鑑定係』が一度決断した最終判断は覆す事が出来ず、鑑定結果は絶対である。
鑑定結果は「鑑定書」として鑑定した本人の名前入りの正式な書類として必ず保管されるため、その後の書類の改ざんなどが一切出来ない。
それゆえ慎重な判断と確かな知識が必要とされる。
特に、武士が活発なこの時代では、『鑑定係』の『刀剣改番』の存在は、重視される。
『鑑定係』は、それぞれの専門によって、所属先が異なる。
主に茶道界で活躍する茶器や食器類は『器類改番』が、華道界で活躍する花や庭は『植物改番』が――といった具合に、業界ごとに分類分けされている。
そして、僕が所属する『刀剣改番』は、今もっとも活躍している『鑑定係』であり――武家の人がこうやって刀の鑑定に来る。
「ほう……しっかし、その大切な鑑定を店番のガキにやらせるとは、『鑑定係』も落ちたものよ」
こういう反応は慣れている。
(なんて言っても、怒らせちゃうよな。こういう時……)
「あら、何も間違った事なんて言っていないでしょう」
幼さの残った凜とした声と共に、花の香りが舞った。
「うちのサダメが言った事は本当ですよ、お客さん」
赤と黄を基調とした着物に、アヤメの花の絵柄。同じく、頭にも自身を象徴するようにアヤメの花の髪飾りが光る。
「アヤメお姉ちゃん」
部屋の奥から現れた僕の双子の姉――アヤメは、僕を見て微笑んだ後、お客さんを睨みつけるように見上げた。
「サダメの鑑定結果は、本物です。偽物は、あなたの目だったって事」
「何!?」
案の定、お客さんは顔を真っ赤にして起こるが――対するお姉ちゃんは冷静だった。
「サダメ」
「は、はい!」
「説明してあげなさい」
「え……」
(この状況で!?)
おそるおそるお客さんを見上げると、最初に見せた温厚な青年の面影はなく、侮辱されて怒ったこわーいお兄さんがいるだけだった。
「大丈夫よ」
と、お姉ちゃんが僕の手を握った。
「あなたなら、出来る。だって、私がついているもの」
「!」
「ね?」
こういう時のお姉ちゃんは言い出したらキリがない。そもそも口で勝てる気がしない。この間も、偉い武家のおじさんと口論して勝っていたし。
「何なんだ、お前は。さっきから偉そうに」
「何って、勿論……『鑑定係・刀剣改番』ですけど?」
と、お姉ちゃんはさり気なく、羽織に刻まれた文字を見せる。
お姉ちゃんの背中には、大きく「鑑」の文字が刻まれていた。
「おい、その羽織、おかしくないか? 『鑑定係』の羽織は、鑑定の二文字が刻まれているんじゃ……」
「もう鈍い人ですね。だーかーらー」
お姉ちゃんは僕の椅子を回して、僕の背中をお客さんに見せる。
僕の背中には、お姉ちゃんと同じように真ん中に大きな文字が刻まれている。
「定」という文字が。
「鑑と定? 何で分かれているんだ? お前ら、本当に『鑑定係』か?」
「もう! 分からない人ですね。だから、私達は、二人で一つなんですってば」
「二人で一つ?」
(普通、そういう反応になるよね)
(一応、僕ら二人とも『鑑定係』の資格は持っているし、師匠から店を任せられている。だけど、お姉ちゃんが”私達は二人で一つなの”って、羽織から文字を一つずつ消しちゃったんだよな)
(今更だけど、結構大胆な事するな)
「要様の第一の弟子、鎬アヤメと……弟のサダメ。私達は、二人で一つなんです」
横からお姉ちゃんが僕に肩を回して、強引に腕を組んできた。ちなみに、こうやって隣同士になると、「鑑」「定」の文字が並ぶ。左右を間違えると意味の分からない単語になるから、要注意である。
「はっ、つまりは半人前って事だろ?」
お客さんが鼻で笑った。
「まったく、とんだ詐欺師だな。うちの刀の価値を見極めぬとは」
「あら、確かに、私達は二人で一つですけど、半人前とは言ってませんよ。むしろ、一人前同士。本職が二人もついて来るんです。お得でしょう?」
「お前、何いってんだ?」
(僕もそう思う)
「特に、うちのサダメは、そこらのおっさん鑑定係なんかじゃ、足下に及ばないんですからね」
(やめて)
「うちのサダメの鑑定眼にかかれば、見極められない物なんてなし! 師匠ですら、十人に一人の逸材だって、近所の人達に触れ回っていた程で」
(本当にやめて!)
「うちのサダメは、本当にすっごいんですからー」
(やめてったら!)
僕が頭を抱えていると、お客さんが少しだけ同情したような視線を送ってきた。
「というわけで、サダメ。見せておあげなさい」
「もう、分かったよ……」
しぶしぶ僕はお客さんに向き直る。その時、彼が持つ短刀が鈍く光った。
(あの刀、やっぱり……)
昼間なのに、周囲を照らす銀色の鈍い輝き。こんな事が出来るって事は、やっぱり、あの刀は、そういう事なのだろう。
「すみません、もう一度、短刀をお見せください」
僕は姿勢を正して、お客さんに頭を下げる。
「え?」
「まだ鑑定結果を申していません」
「鑑定結果って……」
「師匠が言ってました。鑑定は、ただ真贋だけを申すだけではダメだって。どうして、そういう結果になったか、そこまで全部説明し、お客さんに納得してもらって、初めて仕事が完了するって……だから、僕の仕事はまだ終わっていません。どうか、お願いします」
僕が丁寧にお辞儀すると、お客さんは怪訝そうな顔だったが、やがて根負けしたように、短刀を渡してくれた。
「それでは、失礼します」
僕は一礼してから、目の前に置かれた短刀に手を伸ばし――鞘から刀を抜いた。
短刀に多い白鞘の質素な見た目とは裏腹に、引き抜いた刀身は鋭い光を放つ。
「長さ一七・八。反りは、〝無反り〟」
反りとは、棟区と呼ばれる茎(通常柄に収められている部分)と上身の境界線で、棟側(刃の逆側の刀の背の部分)の下端部を指す。
「無反り」は短刀に多い造りであり、反りが全くない造りのものを言う。この短刀はまさにそれであり、造りだけは近年の短刀に多い型を取っている。
(確かに、ここまでは、吉光に多い特徴だけど)
僕は二枚の懐紙で両先端を支え、空中で刀身を立てる。この方がよく見えるからだ。僕だけじゃなくて、お客さんにも。
「よく見てください。古刀にしては、刀身が若すぎるんです」
「若い?」
「えっと、粟田口吉光っていいますと、鎌倉中期に活躍した刀工さんです。でも、この刀身から見るに、製作されたのは、江戸に入ってから」
「そ、そんなの、手入れが行き届いていたから、そう見えるだけで……」
「あーら、お客さん。さっき、最近蔵から発見されたって言ってませんでしたっけか?」
お姉ちゃんが挑発するように言った。少し黙っていて欲しかった。というか、奥で聞いていたのか。
「刀っていうのは、あなたが思っている以上に繊細なの。それこそ、定期的に手入れしないと、すぐ刀身がダメになっちゃう程にね。その分だと、ろくに手入れもされいないようだし……保存状態がいいっていうのは、言い訳にもならないんじゃない?」
本当に、少し黙っていてほしい。
「あ、あの!」
お客さんが激怒してしまう前に、僕は声をかける。
「刀を鍛える時、刀工さんは、何度も折り返し刃鉄……鉄の塊ですね。これを何度も何度も鍛え直すんです。その時の混じりあった鉄の層というものが、どうしても残ってしまいます」
そして、その刃鉄が日本刀の美しさを引き立て、魅力の一つでもある。
「つまり、これは、手入れでどうにかなる問題ではなく、刀の層や、鉄の若さが、自分の生まれが最近だと訴えてくるんです」
もっと極端な例だと、火を吹く技術がある前のものとない時代のものなど――その時代の技術で判断する事が可能だ。ゆえに、古刀ほど、分かりやすい特徴があるが――その分、贋作や似せた作品も量産できる。
「なので、パッと見た感じは、確かに粟田口吉光の刀に似せていますが、これは似せているだけで、全くの別物です。おそらく、生まれたのも、つい最近のものかと」
「だが……」
大雑把だが一応一通りの説明はした。その説明に対して反論してこないという事は、彼は言葉とは裏腹に、僕の言葉に納得し始めているようだ。
「だけど……いい刀だって思います」
「え?」
「確かに、刀身に錆びがありますが、修正出来ない程じゃないですし……造りは単純ですが、作り手の刀工としての歴史を重んじる真面目さを感じます。僕は好感が持てます」
「……そっか」
お客さんは素っ気なかったけど、さっきと比べると、声が優しく感じた。
「吉光じゃなかった、か。残念だ……だけど、何だろうな。坊やにいい刀だって言われたら、そういうの、どうでもよくなってきたよ。おかしいよな、私ら武家にとっちゃ、名刀だけが全てなのにな」
「ごめんなさい」
「謝らないでくれよ。でも、おかげで、吹っ切れたよ」
「あの、もしかして、お客さんのお家にはもう……」
「それ以上は言うな」
お客さんはどこか諦めたような笑みを零した。
「江戸の町には、双子の姉弟が切り盛りしている「鑑定屋」があるって聞いてな。どこかで、ガキ相手なら上手くやり込めるかもって思っていた。悪かったな、坊や」
「お客さん……」
「はあ、あの人の紹介で手に入れたブツだったから、名刀と踏んでいたんだが……やっぱり、ちゃんとした所で仕入れないとダメだな」
「え?」
よく聞き取れず、僕が身を乗り出すと、彼は悔しそうな顔を無理やり余裕のある笑みに変えた。僕に気を遣ってくれたのだろう。大人って、大変だな。
「何でもないよ。それより、私が武士を名乗れる最後の日に会えたのが、お前で良かったよ……」
お客さんは残念そうに肩を落して去ろうとするが――
「お待ちください」
お姉ちゃんが彼の行く手を阻んだ。
「お客さん、まだ終わっていませんよ」
「え? 終わっていないって……」
お客さんは淡い期待を持つようにお姉ちゃんを見るが、それは早とちりだ。
「今回の鑑定代がまだです」
「……」
お客さんは、今度こそ燃え尽きたように目から生気が抜けていった。
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