その日は美琴の葬儀の日の夜だった。
凛斗の屋敷で起こったKerの事件から約二か月後、美琴は慶を殺したという罪の重さに耐えきれず命を絶った。
自室にある浴槽に左手を浸し、手首を切ったのだ。
見つけた時には手遅れだった。
凛斗は自室にあるテラスにいた。
凛斗はテラスの手すりに組んだ両手をのせて寄りかかり、夜空を見上げていた。
喪服のジャケットを脱ぎ、ネクタイを外し、白いワイシャツの首の一番上のボタンを外し、少しだけ楽な格好でいた。
その夜は皮肉にも空には雲一つない星空の綺麗な夜だった。
やけに明るい満月に少しだけ癒されるような気がした。
「凛斗」
花音が凛斗の部屋からテラスに出てくる。
「ごめん。勝手に入って。ノックしたけど返事がなくて」
「…うん」
凛斗は心ここにあらずというように、生返事をした。
花音は凛斗の隣で凛斗と同じように手すりにもたれて、空を見上げた。
「月を見てたの?」
「変に綺麗なんだよな」
「本当ね。柔らかい色で綺麗ね」
「こんな日なのに…」
凛斗は視線を落とし、月明かりに照らされた屋敷の庭を見つめる。
綺麗に整えられた庭が月明かりによって、幻想的に見える。
それはモノクロの夢の中のように見えた。
まるで命など存在しない死の世界の夢を見ているようだった。
「やっぱり、人の命を奪って生きるのは辛いよな」
花音は答える代わりに凛斗の腕に自分の腕を絡ませ、凛斗の腕に頭をもたれるようにして寄りかかる。
「花音…。どうした?」
「凛斗は死んだりしないよね?」
「しないよ」
「本当に?絶対だよ!凛斗は美琴を守っただけだから、死んじゃ駄目だからね!」
そう言うと凛斗の腕に絡ませた花音の腕に力が入るのが伝わってくる。
花音は凛斗が自分の父親を殺したことを苦にして、美琴のように自殺するかもしれないと心配しているようだった。
「わかってる。わかってるよ。花音を置いて死んだりしないから」
言いながら、凛斗は花音の頭を撫でた。
花音はホッとしたのか腕の力を緩めた。
そうだ。俺がいなくなったら、花音は…。
花音が泣く顔も死ぬ姿も見たくない。
だから…。
「花音…。ずっと、一緒にいよう」
「ずっと…?」
花音は凛斗の顔を見上げる。
「そう。花音が傍にいてくれれば、俺は生きていけそうだから」
「本当に?」
「本当に」
凛斗は穏やかな笑顔で言った。
「じゃあ、凛斗の傍にいる」
花音は笑顔で言った。
「ありがとう。花音」
その言葉に、ホッとした花音は嬉しそうに笑った。
その笑顔が愛おしくてたまらなく見えた。
凛斗は思わず花音の顎を引き上げ、そっと口づけする。
絡んでいる花音の腕に微かに力が入るのを感じる。
しかし、花音は抵抗することはなかった。
両親も妹も失った。
でも、俺にはまだ花音がいる。
誰よりも心配してくれる花音が…。
だから、俺は花音を守るために生きたい…。
美琴の葬儀から三年の月日が経った、ある日のことだった。
いつものように時間に都合をつけた凛斗は神代の屋敷に来ていた。
そして、いつもの林で花音を待っていた。
今日は花音は神祓いに出かけていて、帰って来るまで林で待つことにしたのだった。
慶の死後、神祓いの力は花音に受け継がれ、その力を持つ花音は本人の意志に関わらず神代家の当主になるしかなかった。
神祓いの力を持つ者が当主となることが、神代家の定めだった。
凛斗はそんな花音を心配していたが、花音は日々成長し、今では当主として冷静さと落ち着きを兼ね備えていた。
しかし、夕方になっても、花音は来ない。
そんなに手こずっているのか…。
しかたなく帰ろうと立ち上がった時、梓が歩いてくるのが見えた。
その表情は曇っていた。
よくない事が起こったのは間違いなかった。
「花音様は忙しくなって来れないの。せっかく待ってくれていたのに。ごめんと伝えてほしいと」
「何があった?」
その問いを投げかけながら、凛斗の中の不安が増していく。
「花音に何かあったのか?」
「いいえ。花音様は無事よ。ただ…」
「ただ…?」
「祓子で一番若い少年が死んだの」
梓は辛そうに言った。
「祓子が…」
「今は祓子の頭の唯人様と、その対応に追われているの」
「花音は大丈夫なのか?祓子は花音を守るためにいるんだろう?その少年は花音を守って死んだんじゃないのか?」
「…その通りよ。花音様を守って死んだの」
「それなら、花音は相当ショックを受けているだろうな…」
「ええ。一族の手前、冷静に対処しているけど…。精神的に堪えているように見える」
「そうか…。今、花音の傍にいたいといったら…」
「そうしてほしいけど。一族の手前、こんな時に恋人といるなんて…そんな姿は見せられない。花音様は一族の当主としての責任を果たさなくてはいけない。今は少年の家族のことを一番に考えなくては…。可哀相だけど」
「そう…だよな」
凛斗は哀しそうに笑った。
「それなら、花音に伝えてくれ。会えるようになったら連絡してくれ。すぐに会いに行くからって」
「わかったわ。伝えておく」
「ありがとう」
笑顔で言った後に、梓の顔を見る。
「こんなことを頼んで、ごめんな」
「美琴が慶を殺したことを気にしてるの?」
「だって、梓は慶の許婚だったから」
「神代の一族なら、こんなことだってある。そう思って覚悟してたんだけどね」
そう言った梓の目が涙で滲む。
「でも、美琴のことは恨んでない。すべてはKerが存在するから起こることよ。それはわかってるから」
梓は笑った。
「梓…」
「それじゃあ、花音様には伝えておくから」
そう言い残すと梓は屋敷に向って行った。
その後ろ姿はどこか寂しそうに見えた。
花音に会えなかった夜、凛斗はマンションのテラスに一人でいた。
椅子に座り、テラスから見える満月を見上げていた。
美琴の葬儀の日の夜と同じ、明るい満月だった。
月を見ていると、あの日の夜のことを思い出す。
花音のとのことを…。
「花音…。大丈夫かな…」
頭に浮かぶのは花音のことばかりだった。
「花音…」
そう言ってため息をついた時だった。
楽空がテラスに出てきた。
「凛斗!」
「楽空…。どうした?」
珍しく楽空が慌てているのを見て、ただ事じゃないと凛斗は椅子から立ちあがった。
「花音ちゃんがエントランスに来てるぞ」
「花音が!?」
そう言うと楽空を置いたまま、凛斗は玄関に向かった。
「あ!おい!凛斗!」
楽空を残したまま凛斗は玄関から出て、エレベーターに乗った。
いつも乗っているエレベーターなのに、いつもより一階に着くのが遅く感じた。
落ち着かない様子でエレベーターのインジケーターを見ていた。
インジケーターに表示された階数が次第に一階に近づいて行く。
そして、一階に着くとエレベーターのドアが開くと同時に飛び出す。
エントランスに置いてあるソファーに花音と梓がいるのを見つけると、花音に向かって走り出す。
「花音…!」
凛斗に気づいた花音が立ち上がる。
そして、駆け寄った凛斗が花音を抱きしめる。
「花音!大丈夫か!」
「凛斗…」
花音の声は涙声になる。
それでも泣いてはいけないと、踏みとどまるように、それ以上何も言わなかった。
「頭の唯人様より、花音様を凛斗に会わせてほしいと。ただ、夜が明ける前には神代の屋敷に戻らなくていけません。それまでの間なら、唯人様が花音様がいなくてもなんとかすると…。きっと、今のままの花音様を見ていられなかったんでしょう」
「そうか…。唯人に礼を言っておいてくれ」
「はい。お伝えします」
「それで花音を夜が明ける前に神代の屋敷に連れて行けばいいんだな?」
「はい」
「わかった。必ず連れて行く」
「それでは、失礼します」
梓は頭を下げるとエントランスから出て行く。
それを見送ると、抱きしめていた腕を緩め花音の顔を見る。
「花音。歩けるか?」
「うん…」
花音は、そう言う答えるのがやっとのようだった。
凛斗は花音の腰に手を回す。
「行こう」
凛斗は花音と一緒にエレベーターに向かった。
そして、エレベーターに乗って凛斗の部屋のある階に着くと、凛斗と花音はエレベーターから降りて部屋に向かった。
部屋に入ると、リビングで楽空が待っていた。
「花音ちゃん!大丈夫?」
楽空は心配そうな顔で言った。
「悪いけど、今はそっとしておいてくれないか」
うつむいたままの花音の姿を見た楽空は凛斗の言葉の意味を察した。
「わかったよ」
「花音。俺の部屋で話を聞こうか」
そう言うと、凛斗は花音を連れて自室につれていく。
花音も黙ってついていく。
凛斗は自室に入ると、ソファーに花音と座る。
「花音。少しは落ち着いたか?」
「うん」
そう答えた花音の顔色は悪かった。
「何か飲み物を持ってくる」
凛斗が立ち上がろうとすると、花音は凛斗の腕を掴んだ。
その花音の顔を見ると、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「一緒にいて。一人になりたくない…」
「わかった」
凛斗は座ると、花音を抱き寄せた。
そして、子供をあやすように頭を撫でる。
「話は聞いてる。大変だったよな」
「うん」
俯いた花音の膝にポタリと涙が零れ落ちたのが見えた。
「辛かったな。花音。今は好きなだけ泣いたらいいよ。俺の前では俺の知ってる花音なんだから」
「う…ん」
花音は俯いたまま、体を震わせて泣いた。
凛斗は、そんな花音を抱きしめていた。
それから、しばらく花音は凛斗の胸に顔をうずめて泣いていた。
やがて、泣き止んだが、しばらく花音は黙ったまま凛斗の胸に顔をうずめていた。
そして、不意に話し出した。
「凛斗…」
「うん」
「祓子になったばかりの子が死んだの。あたしを庇って…。だからって眷属は身も心も化け物だけど、中身は人間だから殺せるわけない…」
「うん」
「それでも神祓いで眷属を人間に戻せるのは、あたしだけだから、あたしは生き残らなくちゃいけない。それは、わかってる。だから、祓子に守られるしかないのはわかってる。でも…」
「割り切れなかったんだろ?」
「うん」
「人が一人死んだんだ。割り切れるはずがない。一人の人間の命がそんなに軽いわけがない。だから、それでいいんだ」
穏やかな表情で言った凛斗を花音は思わず見上げた。
思ってもみなかった言葉をもらったように。
「花音。神代の一族の前では当主として平然としているしかなくても、俺の前では割り切らなくていい。花音が辛いなら、その気持ちを受け止めるから」
「凛斗…」
花音は涙ぐんだ。
「ずっと、一緒にいようって言っておきながら、仕事が忙しくて中々会いに行けなくて、ごめん。こんな時にも堂々と一緒にいることだってできない」
「それはしかたないよ。あたしは神代の当主だし。凛斗は皇の後継者だし。それぞれ、責任があるから」
凛斗を安心させようと笑った、その花音の笑顔はどこか寂しそうだった。
「それでも、俺は、どんな時も花音の傍にいたい。花音に何かあったら、支えていきたい。だから…」
そう言って凛斗は一呼吸置いて、次の言葉を言った。
「結婚しよう。花音」
「…」
花音は驚いて声が出なかった。
「今…、結婚って言った…?」
「言ったよ。難しいのはわかってる。お互いに当主と跡取りで、好きなように結婚できる立場じゃない。でも、お互いに家族や神代一族を説得しよう。どんなに時間がかかっても。説得できるように俺も頑張るから…」
「嬉しい…!」
花音は凛斗の胸に再び顔をうずめた。
「花音…」
「本当に本当?」
「嘘でこんなこと言う訳ないだろ?」
「これから先、ずっと凛斗と一緒にいれるってことだよね」
花音は顔を上げると嬉しそうに笑った。
「そうだよ。ずっと一緒だ」
花音の満面の笑みを見た凛斗は嬉しそうに笑う。
「結婚してくれるよな?」
「もちろん」
凛斗は笑顔の花音を見ていると、とても胸の中が温かくなるのを感じた。
抱きしめている花音がとても愛おしくて、大切で、離したくなくて、何があっても守りいと思えた。
「ありがとう。花音」
そう言うと、凛斗は花音に口づけした。
花音は静かに瞼を閉じる。
凛斗は花音に口づけしたまま、花音をソファーに押し倒す。
そして、二人の体は絡み合い、お互いの存在を感じながら一つになっていく。
もう、何があっても離れたくないと…。
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