梓は午後になると、屋敷の中を見回っていた。
屋敷の中を見回り、一族の者の様子を把握するのも祓子の頭の大事な仕事なのだ。
当主を守り、一族をまとめる。
それが祓子の頭に求められるものだった。
言わば、神代の一族で当主の次に責任の重い役割を持つ。
今は唯人がいて、実質の頭兼当主代理の役割を行っているが、もし唯人がいなくなれば梓が全て、祓子の頭としての責任を背負うことになる。
「梓様!」
元気な声で目の前に現れたのは、一族の一人である少女だった。
十八歳になる可乃子という少女で十三歳になってから、家族から離れ、神代の屋敷に入った。
「見回りですか?」
可乃子は人懐っこく、いつも笑顔で梓に話しかける。
「そうよ。何か変わったことはない?」
梓も思わず笑顔になる。
「いいえ。梓様がいつも気にかけてくれるから、あたしはこの屋敷にいられるんです」
満面の笑みで言った。
その顔には梓が大好きだと書いてあるように見える。
梓も、また妹のようで可乃子が可愛かった。
「そう。何かあったら、ちゃんと言うのよ」
梓は可乃子の頭を撫でた。
「はーい!」
可乃子は嬉しそうに返事する。
そんな素直な可乃子が可愛かった。
「じゃあ、また夕食の時にでも話しましょうね」
「はい!」
梓は可乃子の頭から手を離すと、歩き出す。
可乃子を見ていると、昔の自分を思い出す。
梓にも、あんな時期があった。
そして、梓にとって十八歳という歳は忘れられない歳だった。
その日の夜は皇家の警護をする夜だった。
皇家の娘である美琴の誕生パーティーの日の夜だった。
それが無事終わり、慶と祓子達、当時祓子の一人だった梓は神代の屋敷に車で戻る途中だった。
「今日の誕生パーティーは豪華でしたね。まるで、結婚式のように」
そう言ったのは、唯人だった。
「結婚式か…」
そう言いながら、慶は十八歳になって間もない梓を見た。
「後二年ですね。二年後に梓が二十歳になれば、許婚である慶様と結婚できますね」
唯人は穏やかな笑顔で言った。
「そうだな」
慶は笑った。
「え…。結婚…」
慶の隣に座っていた梓は顔を赤らめた。
「幸せそうで羨ましいな」
唯人が楽しそうに言った直後、慶がガックリうなだれた。
「慶…?慶!」
気づいた梓は慶の体を揺すった。
慶の髪は白銀の長髪に変わる。
そして、顔を上げた慶の瞳の色は碧く変わっていた。
「慶!?」
梓は思わず、慶から手を離す。
「暁月様ですね。Kerが現れたんですね」
唯人の顔からは穏やかな表情が消え、冷静な眼差しで慶を見ていた。
「暁月様…。あの?」
梓は慶を見た。
髪と瞳を除けば、いつもの慶と何ら変わりない姿だった。
「皇の屋敷へ戻れ。Kerと眷属が現れた。眷属から皇の人間の命を守れ」
そう言うと、慶は再びうなだれた。
そして、意識を取り戻すと、すぐに顔を上げる。
「みんな、聞いたか?すぐに皇の屋敷へ!」
そう言って、梓を見た。
少し怯えているように見えた。
梓は払子としての能力は申し分ないが、まだKerや眷属の人間離れした姿に慣れていなかった。
未だに眷属やKerを目の前にして、足がすくむことがある。
慶としては梓を祓子にはしたくなかったが、梓がどうしても祓子になりたいと聞かなかった。
梓は少しでも慶の力になりたくて、祓子になる意志を曲げなかった。
健気としか言いようがないが、慶はそんな梓が心配でしかたなかった。
慶は梓の肩に手を回す。
「慶…」
「大丈夫。俺がついてる。梓は後ろの方からついてこい」
「でも。祓子は当主を守るもの…」
「梓は俺の嫁になるんだ。死なれたら困る」
慶はそう言って笑った。
「慶…」
梓は顔を少し赤らめて慶を見た。
「梓。当主の命令だから、守るようにね」
二人を見ていた唯人も微笑みながら、そう言った。
「…わかりました」
梓は更に顔を真っ赤にしてうつむいた。
肩に触れる慶の手が温かった。
その温かさが嬉しくて、心の中まで温かくなっていくようだった。
慶がいれば、きっと大丈夫。
そう思えた。
それから、皇の屋敷に着くと、二階のとある部屋の前に梓達はいた。
いつもなら、頭である唯人が先頭に立つのだが、今日に限って慶が先頭に立った。
それは、すでに眷属が殺されていることを知っていたからだった。
屋敷に着く直前に、また慶に暁月が憑依して、そのことを伝えたのだ。
Kerだけなら、襲って来ることない。
Kerは死人の血しか好まないからだ。
ただ、心配なのは家族同然の付き合いをしてたい皇家の人間の状態だった。
誰も死んでいなければいいが…と、心配で慶が先頭に立っていたのだ。
慶の妹の花音も慶のすぐ後ろにいた。
梓は唯人と一緒にその後ろにいる。
勢いよく扉を開けると、慶は中に入って行く。
「凛斗!美琴!」
そう叫んで、目の前に倒れている凛斗を見つける。
凛斗の背中には眷属に引き裂かれた深い傷があった。
「凛斗!大丈夫か!」
慶が倒れている凛斗に駆け寄り、傷の具合を見ようとした、その時。
「いやー!いやよ!お兄ちゃんは殺させない!」
恐怖に取り憑かれた美琴が刀を振りかざし、慶を背中から切った。
その瞬間、慶は振り返り美琴を見た。
「美琴…。無事だったか…」
そう言って笑うと、慶は倒れた。
「え…。慶…?なんで…!化け物じゃない…?」
美琴は自分の握っている刀を見た。
刃は慶の血で染まっている。
美琴の刀を持つ手が震えていた。
震える手からは力が抜け、刀は床に落ちた。
「うそ…。あたし…慶を…」
その光景を見ていた花音が意識を失い倒れた。
唯人は祓子の一人に花音を任せて、倒れている慶の元へ行き傷の状態をみる。
傷は思いのほか深く、慶が助かる見込みは薄かった。
「唯人か…?」
「慶様。僕がわかるのですか?」
「ああ。梓を呼んでくれ」
「はい」
唯人は動くこともできずに茫然と立っている梓を見つける。
「梓!!すぐに、こっちへ!慶様が呼んでる」
「あ…。慶!」
梓は慶の傍まで行くと、座り込んだ。
倒れている慶の傷を唯人が布で覆って隠してはいたが、すぐに血に染まっていくのが見えた。
「慶…」
梓は目に涙を溜めていた。
「梓。泣くな」
慶は笑顔で言うと、梓に手を伸ばした。
梓が慶の手を取ると、慶は梓の手を握る。
「梓。俺は死ぬ。わかるんだ…」
「そんなのいや…」
「俺だって嫌だ。梓と離れるなんて…」
慶は哀しそうに笑った。
「でもな。梓には生きてほしい。だから、俺がいなくても生きてくれ。俺の後なんて追うな。おまえが死ぬなんて想像しただけで、俺は辛くて辛くて…」
「慶…」
梓は堅く瞼を閉じる。
その瞼からは涙が溢れ出す。
「梓。おまえは本当に可愛いな。俺のために泣いて。おまえが許婚で良かった」
慶は笑顔で言った。
「あたしも…慶が許婚で良かった」
梓は涙声で言った。
「そうか…。嬉しいこと言うな。でも、俺がいなくても幸せになれ。おまえの泣く顔は見たくないんだ」
「でも…」
「梓を笑顔にしてくれる人間を探せ。そして、幸せになるって約束してくれ。梓のことが心配なんだ」
祈るような眼差しで、慶は言った。
「う…ん。約束する」
梓は、そんなことは望んでいなかった。
それでも、慶の最後の望みを今は聞いてあげたかった。
「そうか…。良かった。これで安心して死ねる」
慶は満面の笑みで言った。
心からの、その笑顔が梓の胸に突き刺さる。
もうすぐ、この笑顔は失われるのだ…と。
「梓。俺がいなくなっても幸せにな…」
そう言って、梓に笑いかけたと同時に、梓の手を握っていた慶の手から力が抜けていく。
「慶!」
梓は力の抜けた慶の手を強く握りしめて泣いていた。
唯人が慶の首に手をあて脈をみる。
そして、静かに頭を横に振った。
「いやー!!」
梓は慶の胸に顔をうずめて泣いた。
慶の瞳は見開かれたままだったが、その瞳は間違いなく愛しい人を見つめる穏やかな眼差しだった。
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