凛斗は真夜中に目を覚ましていた。
ベッドに横になったまま、隣で眠る花音の寝顔を見ていた。
その寝顔が愛おしくて、いつまでも見ていたかった。
そっと、眠っている花音の頬に口づけする。
眠っていた花音が目を覚ます。
凛斗の顔を見ると、ニッコリ笑った。
凛斗も答えるようにニッコリ笑う。
そして、花音に口づけする。
その口づけは次第に激しくなっていく。
お互いの存在が愛おしくてたまらなくて、もっとお互いの存在をもっと強く感じていたくて。
凛斗は口を花音の唇から首にはわせていく。
「凛斗…」
花音はトロンとした目で凛斗の名前を呼ぶ。
凛斗は顔を上げ、その顔を見ると愛おしくてたまらくなった。
「花音…」
凛斗は花音の髪を撫でると、再び花音に口づけする。
そんな二人の時間を扉をノックする音が邪魔する。
「凛斗。ちょっと、いいか?」
楽空の声だ。
「急用か?」
凛斗は体を起こして、扉の方を見て言った。
「そうだ。神代家から連絡があった。花音ちゃんにすぐに戻ってきてほしいって」
「…何か、あったのか?」
「花音ちゃんのお母さんが眷属化したらしい」
「花音の!?」
「お母さんが…!?」
凛斗が花音を見ると、花音は青ざめた顔で凛斗を見ていた。
「…わかった。すぐに支度する」
「じゃあ、俺は車の用意してくる」
「ああ、頼む」
楽空がいなくなると、凛斗は花音を抱きしめた。
「花音。大丈夫。俺も行くから」
「う…ん」
花音は凛斗の背中に手を回して、凛斗を抱きしめる。
信じている…というように。
母親の眷属化の話を聞いてから、20分後に凛斗達は神代の屋敷に到着する。
門の中まで車を乗り入れ、敷地内に入って行く。
いつもなら、門の中に車を乗り入れることはなかった。
門の外に停めた車の中で、花音に会いにいった凛斗を待っていた。
それ程までに、神代一族は関係のない人間との接触を嫌っていた。
つまり、今回は車の乗り入れを許す程の緊急事態ということだった。
しかし、楽空は車に残り、凛斗と花音だけが屋敷に入ることになった。
凛斗一人ならまだしも、ピリピリしている一族の前に楽空が現れたら何が起こるかわからなかった。
屋敷の中に入ると、祓子でない一族の者も鉄杖を持っていた。
「花音様!」
花音に気づいた一族の者達が待ちわびたかのように歓声を上げる。
それまで重苦しい表情だった一族の者達の表情が明るくなる。
希望の光を見つけたかのように…。
凛斗は一族の者達の表情を見ながら、花音は一族にとってなくてはならない存在なのだと知る。
一族の表情を見て、花音の表情も引き締まる。
神代家の当主の顔に…。
「母はどこに?」
一族の者に尋ねる。
「はい。寝室に…」
そこまで言って、答えた女は表情を暗くする。
「わかった。ありがとう」
その女の表情から花音は何があったのかを悟った。
それは凛斗も同じだった。
凛斗の両親が死んだ日、眷属化したのは父親だった。
そして、同じ寝室にいた母親は父親に殺されていた。
きっと、花音の父親は殺されている。
凛斗達が花音の両親の寝室に着くと、寝室の扉を囲むようにして鉄杖を持った祓子達がいた。
「花音様!」
花音の名前を呼んだ祓子達の顔がホッとしたように緩む。
「状況は?」
「唯人様と梓が部屋の中にいます。ただ、前当主様は…」
「母に殺されたのね…」
花音は目を細めて言った。
「はい」
花音は込み上げる感情を振り払うように、強く目を閉じる。
そんな花音の手を凛斗は握った。
「凛斗…」
花音は目を開け、凛斗を見る。
「花音。これからくる哀しみも辛い現実も、俺が一緒に受け止める。だから、今は花音がやりたいようにやればいい」
凛斗は穏やかな表情で言った。
「うん。ありがとう」
花音はホッとしたように微笑んだ。
「これから部屋の中に入って、神祓いをする。凛斗。手伝って!」
「わかった!」
花音は生き生きとした表情で扉を開け中に入る。
凛斗も続いて入っていく。
寝室に入って、すぐに凛斗と花音は目の前で起こっていることを理解できなかった。
ベッドの上に死んでいるのか生きているのか唯人が倒れていて、その唯人を庇うように眷属化した母親が立ってる。
その母親の目の前には梓が鉄杖を構えて立っていた。
父親はベッド近くの血に染まったソファーに横たわっていた。
眷属につけられた傷跡と出血の量からして、死んでいるのは間違いなかった。
花音に気づいた母親は唸り声を上げた。
「お母さん…」
「花音様!」
梓が花音に気づいて、ホッと表情を明るくする。
「梓…。もしかして、唯人は…」
「意識を失っているだけです」
「なぜ、唯人は殺されないの?」
「憶測ですが。祓子の少年の死を哀しむご両親を見て、慶様のことを思い出され具合を悪くされました。ですから、それが原因で眷属化したのだと思います。眷属化した原因になった思念は眷属になっても強く残ります。だから…」
「今の母は慶を守っているつもり…なのかもしれないってことね。唯人を慶だと思って」
「そうです」
「それで、唯人が意識を失っているのはどうして?」
「お母様を取り押さえようとして、壁に叩きつけられて…。しかし、唯人様が意識を失ったのは、あたしのせいだと思っているようで…」
「それで、梓を威嚇していたのね」
「はい」
「状況はわかった。これから、神祓いを行う。凛斗と一緒に援護して」
「はい!」
梓が、そう言った時、母親が梓に向かって爪を振り上げてきた。
「梓!」
その爪を凛斗が鉄杖で受け止めた。
「梓。花音を守れ!花音は神祓いを!」
「はい!」
「わかった!」
花音は両手の中に水の塊を作る。
その間も凛斗は眷属化した母親と戦っている。
「凛斗…」
花音は水の塊を母親に向かって投げつけた。
水の塊は母親を包んでいく。
傍にいた凛斗は、その神の力に触れる。
水に触れた瞬間に凛斗はピリピリと微弱電流が走るような痛みを感じる。
何だ…これは…?
だんだん、意識が…。
意識が遠のく中で、視界の中に花音を探した。
「凛斗!」
花音が凛斗に向かって走って来るのが見えた。
花音…。
凛斗は花音に手を伸ばした。
その手を花音が掴むと、凛斗は強く握り返す。
俺の大切な花音…。
そして、凛斗の意識は途切れた。
「オマエの神祓いの力は人を死においやる…。辛いだろ?」
聞き慣れない声に凛斗は目を覚ました。
凛斗は床に座り、ベッドに顔をうずめるようにして眠っていた。
ぼんやりとした意識の中で、失った記憶を夢の中で取り戻したのを実感した。
そして、記憶を整理する。
一番、新しい記憶は意識を失った花音の傍にいたはず。
そして、昔の記憶を思い出そうとしていたら、いつの間にか眠ってしまったのか…。
「うううっ…!」
花音の苦しそうな、うめき声が聞こえた。
まだ、夢の続きのような、ぼんやりした状態のまま凛斗はベッドから顔を上げた。
目の前は花音が眠っているベッドのはずだ。
確かに花音はいた。
しかし、上半身を起こした状態で座っている花音の口からは鋭い牙が生え始め、爪が尖り伸び始めている。
背中には黒い翼が生え始め、体の色は肌色から少しづつ黒っぽくなっていく。
「花音…!」
「眷属になり、自分の命を絶って楽になるといいよ…」
さっき、聞こえた聞き慣れない声が頭上からして、見上げる。
そして、気づく、花音の体の上に浮いているモノに…。
黒い翼と鋭い牙、鋭い爪、そして、血のような真っ赤なローブと仮面のような白い顔、それは紛れもなくKerだった。
「Ker!」
凛斗はKerを睨みつけながら、花音の手を握った。
「花音…」
花音は俯き宙を見つめながら苦しそうに、うめき声を上げていた。
凛斗は見ていられずに、花音を抱きしめた。
「頼む。花音!元に戻ってくれ!」
凛斗の言葉も空しく、花音が人間に戻る気配はない。
それどころか、抱きしめた花音の口から伸びる鋭い牙が凛斗の胸を傷をつける。
「花音!」
テラスから唯人と梓、楽空が入って来る。
「嫌な気配がすると思ったら。やっぱり…Kerか」
そう言った唯人は梓に体を支えられている。
まだ、体力は戻りきっていないようだった。
「唯人さん。花音ちゃんを元に戻せないのか?」
「無理よ。今の唯人様には…」
「…でも、やるしかない」
唯人は一人で立とうとして、梓から離れる。
しかし、その場に力なく膝をつく。
すぐに梓が唯人の体を支える。
「唯人様。今、無理に神祓いをすれば、死んでしまうかもしれない」
「花音を…当主を…眷属にするわけにはいかない!」
「でも…」
そう言いながら、梓は花音と凛斗を見た。
「…唯人様。少しおかしくないですか?」
「何がだ?」
「花音様の眷属化が中々進まないないように見えます」
「言われてみれば…。もう、眷属になっていてもおかしくない」
「もしかして、花音様はKerの力に抗っているのではないでしょうか」
「だから…あんなに苦しそうにしているのかもしれないね」
凛斗に抱きしめられた花音は苦しそうに宙を見つめている。
「なぜだ?」
花音の上に浮いているKerから言葉が零れる。
「なぜ、心の闇に囚われない…?おまえが死にたくなる程の辛い記憶を取り戻してやったのに」
Kerは明らかに動揺しているように見えた。
凛斗はKerを見上げ、すぐに花音を抱きしめる腕に力を入れた。
胸に刺さっている花音の鋭い牙が更に凛斗の胸に突き刺さり、血が流れる。
その傷の痛みよりも、今、花音を離してしまえば、花音を失いそうで怖くてたまらなかった。
「花音。Kerの力に逆らっているのか…?俺の声が聞こえるか?」
変わらず花音は苦しそうにうめき声を上げているだけだった。
「花音が、どんな辛い記憶に苦しんでいるのかわからない。でも、その苦しみも哀しみも俺が一緒に受け止める。だから、戻ってきてほしい。俺のところに」
凛斗の言葉が届いていないのか、花音の様子は変わらない。
このまま花音が眷属になってしまえば、神祓いができない今、花音を殺すしか方法はなかった。
この腕の中にいる花音を失いたくない。
この温かい体が冷たくなることなんて考えたくない。
凛斗の目に涙が滲んだ。
「花音…。おまえがいなければ、俺は…。頼む。俺の前からいなくならいでくれ」
凛斗は強く瞼を閉じると祈るように言った。
その閉じた瞼から涙が零れ、花音の頬に落ちる。
すると、花音のうめき声が止まった。
「凛…斗…」
虚ろな瞳で花音は言った。
凛斗は腕の力を緩め、花音の顔を見た。
花音の虚ろだった瞳に見る見る意識が戻っていく。
それと同時に伸びた鋭い牙が消え、爪と肌の色は元に戻り、背中の黒い翼も霧のように消えていった。
「…忌々しい。Thanatosの力を継ぐ人間め。力を取り戻しおって、死んでしまえばよかったのに…!」
捨て台詞を残して、Kerは煙のように姿を消した。
そして、意識がハッキリとしてくると、その瞳で凛斗をとらえる。
「凛斗…。どうして泣いてるの…?」
「花音。俺がわかるのか?」
「わかるよ」
言いながら、花音は凛斗の胸の傷に気づく。
「凛斗!ケガしてるの!?」
そう言って、花音は一瞬考え込む。
「あたし…Kerに眷属にされようとしてた。凛斗の、この傷って、あたしが…」
「こんな傷ぐらい何でもない。花音が人間に戻れたなら、それでいい」
凛斗は穏やかに笑って言った。
そして、花音を抱きしめる。
「花音。俺、記憶を取り戻したんだ。花音との記憶を…」
凛斗は目に涙を溜めて嬉しそうに言った。
「あたしも記憶を取り戻した…」
花音は浮かない顔で言った。
そんな二人を唯人や梓、楽空は複雑な表情で見ていた。
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