魔性の泪

生と死の問いかけを重ねた先に待ち受けるものは何か。
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修道女の哀願 ー後編

公開日時: 2022年1月15日(土) 15:17
更新日時: 2022年1月23日(日) 23:10
文字数:5,277

「それなら貴方から雇い主のことを聞き出して…貴方と一緒にこの世界から排除してあげないとね!!」


そう叫ぶと同時にドールは瓦礫がれきの山を蹴飛ばし、大鎌を振りかざして弾丸のようにこちらへ突っ込んできた。見立て以上の素早さに若干驚かされつつも、寸前で後退し一先ひとまず距離をとる。だがドールは跳ねるように立ち止まらず襲い掛かって来ては、不敵な笑みを浮かべながら思い切り大鎌を振り回してきた。足場に気を付けつつ後退しながら、確かにこれだけの腕力と脚力があれば戦闘力のない聖職者…一般人を大量に殺害することはできなくもないだろうと推察していた。だがその一方で、あまりにも大鎌が大振り過ぎて身体の動きのむらが大きいことも窺えた。戦闘訓練を受けていたはずもない、まったく素人の戦い方だった。

それなら何も恐れる必要などない。ドールが右肩から勢いよく大鎌でぎ払ってくるのをギリギリでかわすと、身体をひるがえして鞘から例の短剣を引き抜き、ドールの喉元目掛けて突っ込んだ。ドールは一瞬目を見開いてひるんだ様子を見せたが、そのまま口角が吊り上がってかつてないほど猟奇的な笑顔に変化した。気付けば、大振りした大鎌から右手が離れ、こちらの足元に向かって掌を差し向けていた。


「!!?」


次の瞬間、足元から青白い炎が間欠泉の如く燃え上がった。咄嗟に身体をよじって左手側に転がるように回避したが、羽織っていたマントの裾が燃え移った。慌てて脱ぎ捨てようとするも、ドールが表情を変えずに再び大鎌を翳して叩き潰さんとするかの如く飛び込んでくる。なんとか転がってこれも避けて体制を立て直そうとしたが、その足元がまた急激に熱を帯びるのを察知し、辛うじて横っ飛びで燃え盛る火柱を回避する。だが今度はドールが右手をゆっくりこちらへ向かって動かすと、その軌道に沿って付近の床から火柱が次々と上がってこちらを追尾してきた。マントの結び目を短剣で千切り捨て去りながら、猛然と走って瓦礫の山の陰に逃げるように滑り込む。これはこれで相手に狙い目を定めさせる愚策のようにも思えたが、一旦呼吸を整えるために他に隠れられそうな場所はなかった。

整えると言いつつもなるべく息を押し殺していると、瓦礫の山の反対側からドールの渇いた笑い声が聞こえてきた。


「死神さん、私のこと見縊みくびったでしょう?私を殺そうとした人間は、皆私の前で骨と灰だけになったわ。」


改めてこの任務が特殊なものであることを思い起こしていた。やはりシスター・ドールは魅せられていた。魅せられている者はある程度身体能力が向上していることに加え、自然を操る魔法のような特殊能力を1つ有していることが厄介であった。それが具体的にどういった能力なのかは事前に情報がなかったのだが、この廃墟のあちこちに人骨が転がっているのを見て察するべきだった。彼女は自らの手で修道院を焼き討ちにしたのだ。おそらく大鎌で殺すよりも多く、人間をあの火柱で燃やし尽くしたのだろう。


ドールは不気味に引きつった笑いをこぼしながら、ひたすら目の前の無作為な地点から火柱を噴き上げ続けている。その度に床がぶち抜かれるような轟音ごうおんが響く。自分の足元も熱を帯びればすぐに躱せるよう警戒を続けていたが、ただドールは戯れる少女の様に無造作に火柱を放って威嚇いかくしているにすぎないのだろうと推察した。


「ねぇ、怖いでしょう?死ぬのは。死ぬのが怖いから、そこに隠れているんでしょう?」


確かにこちら側が劣勢に見えるのだろうが、死を恐れているのは彼女の方であるはずだ。依然として彼女は、彼女自身が救かるために同情を要求しているようであった。しかし自分には何の成果もなく手ぶらで帰ることができる場所はない。同情に応える余地ははじめから持ち合わせていない。

…帰ることができる場所がないのは、シスター・ドールも同じことだ。なぜ彼女は、この廃墟で置物のように留まっていたのだろうか。


「…死ぬことは怖いわ。だって人間は死んだらどうなるか、誰にもわからないから。死んだら何もかも失ってしまうことだけは知っているから。嬉しかったことも、誰かを愛したことも、自分が作り上げたものも、作っている途中のものも、ぜんぶ、朽ち果てて、灰になって…結局何のために生きていたのかわからないまま、理由を考えることすらできなくなっていくことが恐ろしいから。だから天国なんて途方もない楽園を想像して、信じて、その恐怖から救われようとするの。」


「でも人間って悲しい生き物よね。ちょっと考えが相容れないだけで、簡単にその恐怖を他人に味わわせようとするのだから。自分が救われる妄想を固持するために、それを脅かす障害をいとも簡単に排除することができるのだから。」


瓦礫の山に埋もれる人骨に向かって言い聞かせているのか、その陰に隠れるこちら側へ語り掛けているのかわからないが、彼女が気を緩めているのであれば、そのうちに仕留める術を考えなければならない。

彼女の大鎌の扱いは素人だが、先に短剣で斬りかかった際に火柱を繰り出した反射神経、危機察知はとても素人のものではなかった。これも魅せられているが故の力なのか、完全に大鎌の間合いに入ることを予測されていた。単発の火柱を回避することは難しくないだろうが、彼女がどれだけこの能力を駆使しているかが未知数である。もし彼女を囲むように間合いごと火柱を噴き上げるような攻防一体の使い方をされてしまえば、奇襲の意味も見いだせない。こっちは生身、失敗は一度も許されない。


「…ねぇ死神さん。そういう意味では、私は人間として至極普通な生き方をしていると思わない?それでもまだ、私は赦されないのかしら?」


ドールの台詞を聞き流しながら脳内を必死に回転させていたが、突然杭を打たれたかのようにその思考が強制的に止められた。先程もしゃくに障った瞬間があったことを思い出す。やはり自分にも赦せないものがあって、それがおびやかされそうになると身体中に電撃が流れて巡り、反撃せよと奮い立たせるのだ。


立ち上がってなるべく距離を維持するように、それでも足音を隠すことなくドールの前に再び姿をさらした。


「…赦されるわけがないだろう。さっきも言った通りだ。人間を殺しても赦される理由なんてこの世界には存在しない。何故ならそういう傲慢な人間は必ず報いを受けるからだ。そして赦しを乞う余地もなく排除されるからだ。」


ドールはそれを聞くと、苦笑いに似た哀れみに満ちた表情を寄越してきた。


「死神さんの癖に随分とおごった口を利くのね。生きるために自分が赦せないものを排除することが赦されるのが、この人間世界の理でしょう?貴方の雇い主もその理に従って私をこの世界から排除しようとしている。なのにどうして貴方の雇い主の指示は正当化されて報いを受けることがなく、一方の私は赦されず排除されなければならないの?」

「………。」

「ああ、貴方にはわかるはずないわよね。貴方はただの執行人…自分の意志なんて酌量しゃくりょうされることのない、死んでしまったも同然の傀儡くぐつ…だから死神さんって呼んでるの。それは解るでしょう?」

「…そこまで言っておいて、俺に赦しを乞うのは筋違いだと思わないのか?」

「単純な話よ。貴方が私を殺そうとしなければ、私が貴方を殺す動機はなくなる。私はただ何にも脅かされずに生き永らえることができればそれでいいの。」

「…これだけの惨状を引き起こしておいて、まだ普通の人生を送れると思っているのか?」


「…ねぇ、どうして私はとがめられなきゃいけないの?修道院を破壊したから?人間を大勢殺したから?それとも一定の限度であれば私は赦されたのかしら?一体どこの誰がそんな裁量権をふるっているというの?それとも、大勢の聖職者から命を狙われた私は、その時既にこの世界から排除されるべき人間として十字架に釘打たれた存在になったというの?私はただ、死ぬことが怖くて…その恐怖から救われたいと願っただけなのに!!」


ドールがいよいよ畳み掛けるように怒りをあらわにすると、それに呼応して周辺を囲むように青白い炎の壁が一斉に噴き上がった。即座に熱気が襲い掛かり、視界が若干揺らぎを見せる。退路が大幅に制限され、正面からドールを迎え撃つしかなくなった。


「…私はディレクタティオ修道院に仕える修道女シスターに戻らないといけないの。修道女として新しい福音を伝道しなければならないの。」


燃え盛る壁を形作ったまま、ドールはこちらを睨み付けてくる。…もう少し時間を稼げば、この壁を維持する力に隙が生まれるのだろうか。


「その修道院を崩壊させて同士を皆殺しにしておいて、まだ修道女を名乗る気か?」

「確かに修道院は崩れてしまったけど存在が消滅したわけじゃない。また建て直せばいいだけの話。それに人間を殺したから修道女でいられなくなる道理も規則もないわ。」

「人間を救い導くことが修道女の仕事なんだろう?殺しを働いてしまっては修道女足り得ないことは明白だ。おまえは俺に赦しを乞う前に、聖職者たちに赦しを乞うべきだった。」

「私が話したこと、憶えてくれていないのね。人間は自分を護るためなら他人をいくら殺すことになろうともいとわない悲しい生き物なの。だから、赦してあげないといけない。救ってあげないといけない。何故ならそれはこの世界の理だからだって。」

「利己的にも程がある。その思想の先に待っているものは途方もないしかばねの山だ。救い、なんて言葉がとても似合わないくらいのな。」

「力や権威に屈してただ死という恐怖を甘受する屍に成り下がるよりかは、遥かに救われるはずだわ。」


「だからそれは絶対的な力を手にしたからこそ口にできる思想だ!おまえはこの炎を自由に操れる非凡な力を手に入れた。力に溺れるが故の高慢さがもたらした独り善がりの死生観を、福音などと宣べ伝えさせるわけにはいかない!!」


炎の壁の熱に煽られたということを言い訳にしたいくらい、また不覚にも喋り過ぎてしまった。どうにも慣れないことはするべきじゃない。案の定、シスター・ドールはこちらの尻尾を掴んだかのような不敵な笑みを浮かべている。


「まぁ大体予想は付いてたけど、やっぱり私じゃなくて私のこの力が標的にされていたのね。そうすると貴方は…世界平和維持機構の差し金といったところかしらね、死神さん。」


そう言い放った次の瞬間、目の前に新たな複数の火柱が噴き上がり、こちら側をし潰そうと徐々ににじり寄ってきた。最早もはや躊躇ためらっている暇はなくなった。


「私は貴方たちだけには始末されるわけにはいかないの…さようなら、死神さん。」


迫り来る火柱にドールの姿が遮られた瞬間、鞘からもう一度短剣を引き抜いて、その青白い炎に向かって大きくぎ払うように振った。すると魔力が断絶された火柱はその軌跡から引き裂けるようにぜ、大量の火の粉と化し宙を舞った。動きを止めることなく、真正面であからさまに怯んだ表情を見せたドールに向かって地を蹴り突進を仕掛けていく。


「…!!…その短剣の力、知っていたのね…!!」


ドールはこちらの突進を阻止するため続け様に幾重もの炎の壁を張り巡らせてきたが、立ち止まることなく短剣を振り回して次々と破壊していく。魅せられている者の力に唯一対抗できるのが、この刃渡り20センチほどの頼りなく古びた短剣であるとは聞かされていたが、それを知ってから実際に使うのは初めてだったため、ほんの数秒前までは疑心暗鬼なままであった。炎を切り裂くなど、徒に試そうものなら大火傷するだけに決まっている。現にこの瞬間も短剣を握る右手が焼け尽くされそうな感覚だったが、手の内を明かしたこの瞬間を好機とするほか選択肢はなかった。

何枚目かの炎の壁を突破し、間もなくシスター・ドールが立っていた地点に接近するだろうと推測したそのとき、切り裂かれた炎の向こうから燃え盛る大鎌が首元を目掛けて降り掛かってきた。突っ込んでいた体勢から回避することができない。咄嗟とっさに顔面スレスレで短剣を構えて大鎌の刃を受けると、耳をつんざく金属摩擦音と盛大な火花が飛び散った。とても耐えられると思えるような重圧と衝撃ではない。

短剣をやや斜めに寝かせて大鎌の軌道を右側に少し反らし、自分の勢いは殺さないよう左側を踏み込んでいく。右目と頬の間辺りに大鎌がかすって激しく焼ける痛みが訴えてきたが、衝撃で態勢を崩したドールの喉元にしかと狙いを定め、左肩の方へ掲げた右腕を振り下ろして捉えた。


「…あっ…!!」


反応が追い付かず深紅の瞳を見開いたドールは、これまでも何度と見てきた人間と同じような、恐怖に呑まれる表情をしていた。




血飛沫が上がるのと同時に、左右にそびえ立っていた青白い炎の壁が夥しい量の火の粉となって一斉に崩れ落ちた。それらを一度に吹き飛ばすかのように遮られていた丘の風が勢いよく吹き荒れ、あっという間に体感温度が落ち込んでいくのを感じた。


まばゆい月光に照らされた廃墟の大聖堂に再び静寂が戻り、足元でうつぶせに倒れ込んだシスター・ドールを見下ろすと、もう動かなくなった彼女の傍には、紅く淡い輝きを放つ掌サイズの結晶が転がっていた。

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