魔性の泪

生と死の問いかけを重ねた先に待ち受けるものは何か。
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貴族令嬢の野望 -あとがたり

公開日時: 2022年1月9日(日) 17:55
更新日時: 2022年1月23日(日) 23:59
文字数:5,313

透明な液体と淡い光を放つ結晶が密閉された瓶が2つ、議長ルーシーの机上に並んだ。片方は紅色、新しく追加されたもう片方は空色に輝いている。報告書を一通り読み終えたルーシーは目を細めており上機嫌な様子が窺えた。


「ご苦労だったなトロヴァ。2回目ということもあってか、だいぶ首尾よく回収ができたようじゃないか。」

「はい、事前に回してくださった情報のお陰で標的の対策を講じることができ…」

「な~んて言うと思ってんのか阿呆が!!おまえはいつから世界平和維持機構われわれの建物1棟を独断で吹き飛ばせるくらい偉くなったというんだ!!おまけに周囲の雑木林も大規模に荒らしおって…後始末を指示する私の身にもなってみろ!!」


彼女は上機嫌な振りをしているだけだった。


「え、前者はともかく後者は自然災害みたいなものじゃないですか。」

「火災旋風が自然災害なわけあるか!!世界平和維持機構われわれの停留所が焼失したことと一緒くたに地主の国から詰問されてたんだぞ私は!!」


せっかく命からがら2つ目の『魔性の泪』を回収してきたというのに、議長はここぞとばかりに揚げ足を取ってばかりである。いずれにせよ、普段からあまり部下を褒めるような性格ではないのだが。


「まぁ、多少は荒っぽい作戦を練らなければ『魔性の泪』の隙を突くことができないという事実は認めざるを得ないが…今後も可能な限り、周囲環境への被害は最小限に留めるように。」



今回トロヴァが立てた作戦では他にもいくつか収穫があった。『魔性の泪』に魅せられた女は殺意などの危機察知能力には敏感であるが、停留所に仕掛けていたような複合的な要素が絡んで襲い来る罠を予見するまでの能力ではなかった(ヴァニーは玄関前で立ち止まって質問を投げかけてきたので罠を見抜かれたのではないかと一瞬動揺したが)。もちろん対象の人間によって知覚能力に差があるのかもしれないが、いずれにせよ窮地に迫られれば罠ごと破壊するような力を持ち合わせているので、その瞬間の不意を突くという作戦で臨むのが妥当という結論に至った。そしてもう1つ、短剣ユーディジウムが吸収していた能力についても、彼女はまた把握し得ないということだった。


「おまえが火災旋風に使ったのは…シスター・ドールが放っていた青白い火柱と同じ炎だな?事前にその炎が操れることを知っていたのか?」

「はい。この能力を発見したのは偶然短剣を弄っていたときでしたが…それで今回の作戦を思いつきました。」


以前シスター・ドールの火柱を短剣ユーディジウムで幾度も切り裂いたことがあったが、あれは彼女の魔力を『断絶』していたのではなく厳密には『吸収』していたのであった。ゆえに短剣には膨大な炎の魔力が蓄積されており、鍔に宛がわれたくすんだ宝石が淡くあかく輝くようになっていた。そして今回の敵は風を操る能力を持っているとみて、巻き込まれた竜巻のなかでこの炎を放つことを決断し、そのための服装を最初からまとうことにした。もちろん首領キャプテンヴァニーに着用させたガウンも燃えやすい素材で織られた外套であった。


「しかし、今回の一件で炎はすべて出し尽くしました。風の魔力を新たに吸収しているわけでもないので…次は隠し玉を持たずに回収任務に赴くことになります。」

「ふぅん…隠し玉、ねぇ…。」


ルーシーはそう呟くと、改めて提出された報告書に目を落とした。


「トロヴァ。やり方はさておき今回は概ね自分が想定していた通りに作戦を遂行することができていたようだ。だが、1点だけ想定外だったことがあったようだな。」

「…はい。海賊団の首領ヴァニーが、ヒュミリス嬢に成り代わろうと画策していたことです。事前に受け取っていた情報から、ディセプシオで唯一生き残っていたヒュミリス嬢に最初から狙いを定めていたのですが…その時点で既に成り代わりは始まっていました。」


「残念ながら、本物のヒュミリス嬢の身元は依然として不明だ。そのことについておまえが気に病む必要はない。仮に魅せられていたのがヒュミリス嬢だったとしてもおまえの任務に変わりはないのだからな。だが、他人に扮して生きるということは相当な準備と根気と覚悟が必要だ…『魔性の泪』が増幅させる生への執着心は、そこまで大胆な決断を煽るものだというのか。」


トロヴァは、暴風に叩きつけられながら耳に届いていた首領ヴァニーの独白を思い起こしていた。


「彼女は『この機を逃すわけにはいかなかった』と言っていました。すなわち、首領ヴァニーはヒュミリス嬢を誘拐する以前から成り代わりの計画…海賊団を棄てて貴族令嬢として生活する野望を抱いていたものと考えられます。」

「だがヴァニーは成り代わりのためにヒュミリス嬢を誘拐したわけではない。海賊団の当面の資金繰りのための身代金が目的だったはずだ。それがすべてを竜巻で吹き飛ばしヒュミリス嬢と成り代わるという結果になったきっかけは…」

「身代金要求の破綻…アーバナム伯爵はヒュミリス嬢を逆に売りつけてきたと首領ヴァニーは証言していました。わざとらしく泣きじゃくるような芝居だったので真偽は曖昧でしたが…それが成り代わりの絶好機であると捉えたのでしょう。」


馬車の中では返答に詰まった彼女が苦し紛れにでっち上げた話なのではないかと訝しんでいたが、それが海賊団首領としての台詞であったなら妥当性が増す。


「そして竜巻で海賊および交易都市ディセプシオの街を蹂躙じゅうりんしたのは…首領ヴァニーとヒュミリス嬢の顔を知る者を極力排除し、成り代わりの成功率を上げるため。また、自らも被災者の振りをすることで外部の人間を欺くため。思い描いていた計画を実行するために、すべての都合が良かったのでしょう。」


トロヴァは自信たっぷりに推測を主張した。というのも、この推測はルーシーに提出した報告書の締め括りとしても記していた一文だった。しかしそれを一読したはずの議長ルーシーは、どこか釈然としない面持ちで報告書を眺め続けていた。


「…確かにおまえの推測はある程度妥当性があるだろう。だがこの成り代わりの計画は、別段ヒュミリス嬢が誘拐されなくても売り飛ばされなくてもいつでも実行できたはずだ。あの交易都市をあっという間に呑み込むほどの竜巻…自宅にいる令嬢1人消すことなど造作もないだろう。それに、海賊団を滅ぼす理由がない。本当に成り代わるなら、ヴァニー自らが失踪した事実をでっち上げるだけで十分だ。海賊団の首領など、他のやからでも務まるのだろうからな。」


ルーシーの指摘もまたもっともなものであった。確かに首領ヴァニーは海賊団として生まれた己を嘆いてはいたが、海賊の一味を蔑んでいたわけではなかった。身代金の要求も、海賊団存続のために実行した以上の意味は持ち得ないという前提であった。


「もちろん想像の話になってしまうが私の推論はこうだ…ヒュミリス嬢の人身売買を持ち掛けたのは、アーバナム伯爵ではなく海賊団である。」



報告書が机の上に放り投げられたが、それ以上にルーシーのギラついた眼差しに対し身体中に緊張感がはしるのをトロヴァは感じていた。低くなる声音もあわせて、紛れもなくいま目の前で語っているのは権威ある世界平和維持機構の議長としてのルーシーであった。


「海賊団は資金繰りに苦しむアーバナム伯爵よりも、より大金を得られる取引先を模索していた…身代金としてではなく、誘拐した貴族令嬢を売り飛ばすことで。一方で伯爵は実の娘を海賊に誘拐されたという事実を公にできなかった。事実関係を辿ればかつて違法薬物を大量に流通させていたことが明るみに出てしまうからだ。ヴァニーもその足元を見た上で、確実な方法で資金を確保しようとしていた…誰に対しても媚びへつらっていた伯爵の性分にすがっていたのだろう。だが想定以上に伯爵は身代金の工面に時間を要し、海賊団の連中も業を煮やした。そして、首領ヴァニーと衝突した…聞くところによると、ヴァニーの父親は突発的な事故で他界したらしく、まだ若い娘であるヴァニーは跡継ぎとして暫定的に舵取りを任されていたようだ。だからヴァニーがこれ以上ないくらい追い詰められたことがあったとすれば…ヴァニーもまた海賊団によってヒュミリス嬢と共に人身売買に掛けられようとしていた、といったところか。」


ルーシーが推論を進めるにつれて、トロヴァは徐々に息苦しくなってくるような感覚を味わっていた。再び首領ヴァニーと相まみえたときの会話が脳裏に浮かび上がってくる。


『安全な場所で悠々自適に暮らしたい』


もしそれが単なる独善ではなく、同胞に見限られ心身の危機に晒されていた過去に由来した本音だったとしたら。


「そこまでのことは…彼女は何も…。」

「もちろんただの推論だ。だが違法薬物が暗黙にまかり通っていた交易都市だ…人身売買の流通経路も存在していたものと疑う余地はあるし、存在していれば当然海賊団は精通していただろう。世界平和維持機構われわれも本腰を上げて調査をしようというところだったが、おそらく竜巻で都市ごと壊滅したに違いない…ヴァニー自身がその経路を潰したはずだ。そして過激化した海賊団と、約束を護らなった伯爵を吹き飛ばした。ヒュミリス嬢個人に対して私怨はなかったと思うが…海賊団もろとも海に沈めてしまったのではないだろうか。あとは、おまえが推論した通り被災者面して護送されることになった…結果としては貴族令嬢に扮したことで我々の対応に容易く逆らえず罠に嵌ってしまったようだがな。」


そう、結局は『魔性の泪』に魅せられてしまっていたが故にその命を奪われることとなった。彼女の当時がどのような真相だったかは、提出した報告書以上に重要な資料としてはのこらない。だが彼女が遺した言葉が繰り返し脳裏に浮かび、ズキズキと差すように痛む。


「…どうしたトロヴァ、また同族嫌悪でも抱いているのか。」


そんな様子を議長ルーシーはあっさりと見透かし、こちらを試すかのように口元を緩ませた。


「いえ…俺は過去に犯した罪をなかったことにしてまで安寧を得ようなどとは…。」

「そうか。そういやおまえはそういう奴だったな。だが、己の命を顧みない生き方をしているわけではあるまい。もしおまえの生きる意味が贖罪であるというのなら、その先に実現させたい自分の姿というものをきちんと考えているんだろうな?」

「……。」


真っ当に生きたいとは思いつつも、自分が積み重ねてきた罪がいつか完全にあがなわれる日が来るなどとは、元より期待していなかった。きっと自由に歩き回れるようになっても、十字架は背中に隠れて張り付いたままだろう。それよりもいまは『魔性の泪』の回収任務を完遂させることが自分の生きている意味であり、生きることが赦される条件であると心に強く言い聞かせていた。


「…トロヴァ、いいきっかけだから1つ教訓を覚えて帰るがいい。」


沈黙するトロヴァにやきもきしたのか、ルーシーは机の上に両肘を付いて身を乗り出してまじまじと顔を覗き込んできた。


「生きていくうえで、隠し事に呑み込まれるんじゃないよ。」


「…どういう意味ですか。」

「そのまんまの意味だよ。人間誰だって隠し事を抱いている。隠し事を持たない人間とはつまり誰にでもいいように扱われるただのお人好し…不幸な善人だ。幸福でいるための隠し事は否定されるべきじゃない。だが隠し事が肥大化しすぎて抱えきれなくなったとき、すなわち呑み込まれてしまったときは、最早心身の自由が利かない不幸な悪人に成り下がってしまう。交易都市ディセプシオは、壊滅すべくして壊滅したのだろうと思っている。アーバナム伯爵も…首領ヴァニーもな。」


隠し事が肥大化したとき…自分に都合のいい誤魔化しを度重ねた結果取り返しがつかなくなって、成す術なく己の身を滅ぼすこととなる、と警告しているのだろうか。隠そうとしている十字架が、気付いたら巨大化し身動きが取れなくなってしまうような未来を。


「『魔性の泪』の回収という特別な任務の間は、おまえが何を引き起こそうと私が隠し通してみせる…あまり手荒な真似はしないでほしいがな。だが任務以前におまえが隠している罪、隠している感情についてはどうすることもできないし、面倒を見る気もない。だが生きている以上はどうすれば幸福に生きられるかを考えろ。せめて幸福な悪人でいるように努めろ。自分が隠しているものに圧し潰される前にな。」


思えば世界平和維持機構も代々陰で諜報や暗殺を指揮する部隊を秘匿し続けており、いまその指揮を揮っている議長ルーシーには常に十分な準備と根気と覚悟を持ち合わせている。その巨大な隠し事の積み重ねに圧し潰されないよう、常に周囲に警戒を張り巡らし統制を図っているのだ。そんな彼女とは生きている世界がまったくもって違う…しかし生きている以上その真理は生きている者には誰にも当てはまることなのだろうと、トロヴァは静かに納得することにした。


「そういう意味では、首領ヴァニーは貴族令嬢に成り代わることで隠し事を圧縮しようとした、肝の据わった女だったと思うぞ。」

「…議長は彼女の一連の所業を擁護するおつもりなのですか。」

「まさかな。『魔性の泪』に魅せられていなければの話だ。」

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