「…酷いわねぇトロヴァ。どうしてそんなに乱暴な子に育っちゃったのかしら。」
聞き覚えのある声が冷たく両脚に絡みつき腹を突き上げてくるようでトロヴァは思わず身震いし、ぼやけていた視界が一気に晴れた。
次に瞬きをしたときには、目下で崩れ落ちていたクラエがゆっくりと立ち上がっていた。再び眼前に上ってきた彼女は妖しい笑みを浮かべており、トロヴァが斬り裂いた首筋は波打つように淡い光を発しながらその傷跡をじわじわと埋めていった。6年前蔓の檻の中でフィルマを傷付けてしまったときにも見た修復能力…『魔性の泪』に魅せられた者による力であった。
トロヴァは顔を動かさないまま、クラエの舐めるような視線を躱すように咄嗟に室内を見回した。すると座席の隅から1本の蔓が生えており、クラエの左足にかけて伸びて絡みついているのがわかった。
「どうやら貴方にはまだまだ…躾が必要みたいね…!」
クラエが両腕を広げながら語気を強めると、馬車の後方から太く束ねられた蔓が急速に伸びて覆い尽くし、その車体を握り潰した。前方部分は引き摺り込まれるように崩れ、馬は驚きを隠せずそのまま逃走した。
間一髪横っ飛びに崩壊から逃れたトロヴァが振り返ると、血塗れのエプロンワンピースの上から幾重にも重なる蔓を纏ったクラエが、その肌を仄かに輝かせながら宙に浮き、不気味にこちらを見下していた。クラエの左足から伸びる1本の太い蔓は、ひしゃげた馬車の残骸へと続き埋もれていた。
一方トロヴァは不意に懐にくすぐったさを感じると、破裂したように蔓が噴き出して瞬く間に全身を縛り付けてきた。数本の蔓が地中に潜り込んでトロヴァを立ち尽くした姿勢のまま固定し、さらに右腕をきつく締め上げられたため耐え切れずその場に短剣ユーディジウムを落としてしまった。
「…くそっ…いつの間にこんなものを…!?」
「ふふっ…貴方が道端に落ちた私を抱え上げたときに『種』を忍ばせておいたのよ。丁寧に私を救出しようとしてくれて、先生嬉しかったわぁ。お陰でじっくりと崖沿いに蔓を這わせて馬車を追いかける仕込みもできた。貴方は私に夢中で早々に見限っていたようだけど。」
確かにクラエを馬車に運んで以降蠢く小山が何も攻撃を仕掛けてこなかったのは不可解であった。だがクラエが魅せられていた者の正体であると判明した今ならば、馬車を追いかけるように小山から伸びる蔓を這わせて様子を窺い、万が一致命傷を負っても蔓を通じて補充できる生気で修復し、反攻に転じる魂胆であったとの推測がついた。それを裏付けるように、蠢く小山は前進を止めて飼い犬のようにその場に居座っていた。
「それでも貴方は私の首を斬り裂いてきた…理由を訊いてもいいかしら?」
全身を締め付ける蔓からは少しずつ力を奪われているような感覚だったが、呼吸自体は苦ではなく、6年前蔓の檻に幽閉されていたときに味わった倦怠感からはまだ遠い状態だった。だがその時と同じく短剣ユーディジウムがなければ脱出は叶わないようだった。
得意げに浮かれるクラエに面と向かって応えるのは癪だったが、身動きがとれない以上ひとまずは意識が遠のかないよう口を動かしておくことにした。
「あんたを救出しようと抱き上げたとき、身体は温かった…6年前蔓の化物に取り込まれた人質は、衰弱し体温も低下していたとの報告を読んでいた。だからそのときから疑念はあった。それからあんたは、化物に取り込まれた人質を助けるのかどうか訊いてきた…蔓の発生源となったアリシアという子の目前にいてその後記憶がないと言っていたのに、他に人質がいるかどうかなど知り得ない。俺自身が口にしたわけでもない。そのときに確信した…認めたくは、なかったけれど。」
トロヴァが顔を上げると、クラエは宙に浮きながら満足そうに頷いていた。
「うんうん、ちゃんと察してくれるのは流石だね。先生感心しちゃうなぁ。それに…思い切り相手を斬り伏せようとするその潔さも。あのときは、ルーシーさんの指示通りフィルマを殺せなかったものね。」
そのクラエの発言に、逆にトロヴァが胸を刺し貫かれたような衝撃を受けた。
「何だと!?…あんたはあのときも蔓の化物に取り込まれて意識はなかったはず…なぜそのことを知っている!?」
「それはねぇ…『記憶』を引き継いでいるからよ。尤もフィルマが見聞きした記憶すべてじゃなくて、この能力を発動していた1時間にも満たない間に見た風景だけだけど。フィルマの前にこの能力を有していた人の記憶もあるわ…だから私は、この能力の使い方が解るの。」
ルーシーからも聞かされたことのない新たな『魔性の泪』の事実に動揺したが、他方で魅せられた者がその身の熟しより魔法じみた能力の方をより自在に操ることができることに合点がいった。
その意味では、あのときフィルマには嘗て魅せられた者の『記憶』も一斉に押し寄せたことで混乱し、暴走に拍車を掛けていたのかもしれないとも思った。
「でもトロヴァ、それ以上に凄いのはね…それぞれの『記憶』の持ち主が皆挙って、生きることを渇望していたことなの!」
クラエが感動を共有するかのように胸の前で両手を組み、爛々と萌黄色の瞳を輝かせて甲高い声を上げた。
「色んな人がいたけれど、皆短命だったみたい。貧しい人、病弱な人、身体が不自由だった人…。皆授かった命を懸命に生きようとしていた。だけど、例外なく虐げられてしまっていた…環境に、社会に、そして生みの親に。せっかくこの世界に与えられた尊い命なのに、まるで不良品のように蔑んだ視線を送られ、余計な荷物のような扱いを受け、挙句の果てに捨てられてしまう、そんな辛く悲しい『記憶』をいくつも見てきた。でも皆絶望することなくこう願っていたの。『皆と同じように生きたい』って。」
直ぐ左の方で爆発したような音が響き、砂煙が押し寄せてきた。トロヴァが目を細めて風上の方に視線を移すと、断崖の一部が夥しい量の蔓に内側から侵食されて一気に抉れて、そこから蠢く小山が顔を覗かせていた。
トロヴァにはそれが食べ物を欲しがる幼子のように見えて…厳密にはフェリスの実を食べて欲求を抑えられなくなったフィルマの姿と重なって、より悍ましく感じて心臓が高鳴り、冷汗が噴き出してきた。
「これはね、揺り籠なのよ。沢山の人間をあやしつけると同時に、命を均等にする奇跡の揺り籠。」
クラエは蠢く小山を愛らしそうに眺めながら、重圧と戦っているトロヴァなどお構いなしに夢中で言い聞かせてくる。
「この揺り籠の中ではね、満足な健康を得られていない人は健康な人から生命力を分け与えてもらえるの。さすがに老衰には抗えないみたいだけど、身体に腫瘍があれば綺麗さっぱり無くせるし、脚が麻痺している人は元気に走り回れるようになる。怪我をしていれば傷を癒すこともできる。そうやって皆が等しく生き続けられるように命を管理することができるの。素晴らしいと思わない?」
「あ、でもね、1人の不健康を解消するには複数の人たちから少しずつ生命力を分け与えないと、結果として皆が永く生きられる命にはならない。だからもっと沢山の人を取り込んで生命力の総量を増やす必要があるの。そう、この世界のすべての人と生命力を共有できるのなら、誰も惨めで不自由で苦しい想いをすることなく生きることができるはず…それってつまり、平和な世界ってことじゃない!?豊かさも貧しさも均一化された、ルーシーさんが目指すような平和を齎す可能性を秘めているってことよ!!」
クラエが美称するその蠢く小山からは獲物を狙おうと蔓が数えきれないくらい伸びては畝っており、とても平和を実現するとは到底思えない禍々しい造形だとトロヴァは思った。この化物は人間の寿命を操作してしまう一種の兵器と言っても過言ではない。いくら美称しようと人間の命を弄んでいることと大差はない。そしてそれは、容易く許される所業ではないはずだ。
「なーんてね。ルーシーさんが私の敵だとわかった以上、彼女の命を受けてここに来た貴方にも容赦はできない。でも安心して。殺しはしないわ。だって貴方の生命力も私には必要なんだもの。況してや年頃の男の子の生命力はとても大きく瑞々しい果実なのよねぇ。」
クラエがトロヴァの後方に回って抱き着き、妖しい笑みを溢しながら頭を撫でてきた。嘗て孤児院時代でも幾度と宥められたその感触が、今となっては煩わしいを通り越して鳥肌が立つようであった。歪んだ愛情を注がれるとは、このことを指すのかもしれないと思った。
「だから貴方のことは蓄積した生命力を多少使ってでも捕らえさせてもらったわ。本当はあんまり力を使いたくないの。揺り籠の中で眠っている人達の寿命がその分減ってしまうから。だからトロヴァ…皆のことを想うなら、大人しく取り込まれてね?」
耳元での囁きに身震いしつつも、トロヴァは必死に冷静さを確保しようと努めていた。
自分の知っているクラエは、どんな子供でも分け隔てなく包み込むような優しい人だった。この暴力的で支配的な思想はクラエ本人のものではない…クラエの孤児院管理者としての生き甲斐、価値観、責任感、そしてルーシーへの憧れが、『魔性の泪』に魅せられたことで過度に助長されてしまっただけなのだ。
「……馬鹿なこと言うなよ、先生。」
依然として身体は蔓に縛り付けられているうえ、背後からクラエに抱き着かれていたため身動きがとれない状態が続いていたが、トロヴァの意識ははっきりとしていた。
「…なぁに?先生に何か言いたいことでもあるの?」
「先生は孤児院の先生なんだろう?身寄りのない子供たちを預かり成長を支えるために日々仕事をしているんだろう?人の命を手玉にとることが先生の仕事なのか?先生が理想を叶えるためのもっと賢い方法は、他になかったのか?」
トロヴァが淡々と台詞を発すると、クラエはトロヴァから離れて踊るように前方に回り相対する形になった。まだうっすらと笑みを含めた表情でトロヴァを見下した。
「人聞きの悪いこと言わないでよ。子供たちには貧しさや惨めさに囚われることなく元気に生きてほしいと願う気持ちは変わらないわ。でも願うだけじゃ足りない…あの小さな孤児院で過ごしているだけじゃほんの一握りの子供だけしか支えてあげられないの。でも今の私には世界を動かせるかもしれない大きな力がある。その力を使って作り上げたい世界がある。これまでこの力を手に入れた人達は皆、力を上手く使いこなすことができずその身を滅ぼしてしまっていたみたいだけど、私はこの力を制御できる。制御して使い熟そうという確固たる意志がある。だからこれは使命だと思ってるの。嘗てこの力を使い熟せなかった可哀想な人達の悲願を体現するために私に課せられた使命。」
クラエは両腕を広げながら、力強い目つきで誇らしげに訴えた。トロヴァは俯いたまま、低い声でその言葉に応える。
「その使命も結局…あんたが見た『記憶』から導き出されたってことなのか。」
「そうね。生きたいと強く願いながら散ってしまった沢山の命の『記憶』…もちろん貴方が大切にしていたフィルマの『記憶』も含めた、ね。」
それを聞いたトロヴァの心の中で、張り詰めていた何かがプツリと切れた音がした。
「…やっぱりあんたはもう俺の知ってるクラエ先生じゃない…フィルマが最期に何て言ったのか、あんたが見れる『記憶』には遺ってないのかよ!?フィルマは…『魔性の泪』の制御できない力に溺れながらも必死に拒絶しようとしていた!他人の命を脅かしてまで生きようとすることを望まなかった!それはずるいことなんだって、あの子はまるで悪戯がばれたことを苦笑して誤魔化すような顔をしていたんだ!!」
所詮『記憶』が見られても当の本人の感情、表情までは解らないんだろう、とトロヴァは言葉の裏で捲し立てた。
「あの頃の俺は、あの子の笑顔が生き甲斐だった。でもそれは俺が日頃から繰り返していた悪戯…いや、子供とはいえ本来なら咎められて当然の所業にただ同調してくれていただけの、心から悦んでいた笑顔じゃなかったんだと気付いた。もちろん俺が隠れて盗みを働いていたこととかはあの子は知らなかったと思うけど、きっと薄々察していたんだ。そうじゃなけりゃ、最期にあんな顔をするはずがなかったんだ…!」
目元が徐々に痙攣してきて視界が重く、水没しているかのようにぼんやりと揺れ出したが、そのまま顔を上げて不気味に浮かぶクラエの輪郭を捉えようとした。
「だからいまあんたが創ろうとしている平和な世界がどれだけ仮初なものかがわかる。それは仮に平和であったとしても心から悦べる世界じゃない。だからいままで魅せられた人はその力を使い熟せなかったんじゃない…皆使い熟すことを拒絶していたんじゃないのか!?その代償として自分の命を犠牲にせざるを得なかったんじゃないのか!?」
みっともなく喚き散らすトロヴァを見たクラエはさすがに表情を曇らせながら、呆れたようにトロヴァの正面に近付いていった。
「貴方がそんなに感傷的な一面を持っていたなんて知らなかったわ。昔から貴方は生きることに執着していつも目をギラつかせていたのに。それとも貴方の生命力…生きたいという欲望は、あの時フィルマによって吸い上げられてしまったのかしら。」
そのクラエの言葉は沁みるように冷たく、トロヴァの怒りに煮え滾る心を一瞬で鎮めてしまった。
確かにフィルマを失ってから自分の身体に大きな穴が開いたままのようで、ルーシーから与えられる任務を生きる口実にしていたのは事実だった。ただ与えられた任務を遂行し続けることでむしろ生きることが許されているのだと思い込んでいた。自分が生きることに無頓着になったのは、あの時蔓の檻に囚われフィルマから生命力を奪われたことも一因なのだろうか。
突如として混乱に陥ったトロヴァは、蔓に縛り付けられたまま力無く項垂れてしまった。そんなトロヴァの頭をクラエは軽く撫で回しながら、なおも冷たく低い声を掛けた。
「貴方の考えは筋が通っているのかもしれないけど、私からすれば結局皆命を粗末にしたも同然なのよね。どんな理由があろうと、与えられた尊い命を無下に擲つなんてことは私が許さない。私はすべての人々を生かしてみせるから。貴方には失望したわ、トロヴァ…そんなに生きる気力がないのなら、無駄死にしないようさっさと皆にその生命力を分けて頂戴。」
命を粗末に…無駄死に…クラエの言葉が断片的に脳内に反響する。トロヴァは既にこの絡みつく蔓に大方生気を吸われてしまっているかのような錯覚に陥って思考が曖昧になっていたが、その反響した言葉がとある記憶の一部分に刺さり、叫び声を上げた。
『今度また禄でもない死に方をしようとするのなら、その前におまえを殺してやる。最後まできちんとその身で贖ってみせろ!!』
その叱咤に全身の血が騒めき立つような刺激が奔り、トロヴァははっきりと覚醒した。同時に、自分がどう存在するべきなのか天啓が下ったような気がした。そして抑えつけられるように項垂れている体勢のまま、腹の底から声を振り絞って訴えた。
「…俺は自分の命に無頓着になったんじゃない。自分自身が生きる理由に正面から向き合おうとしなかっただけだったんだ…でも先生のお陰で決心がついた。俺が生きる理由は贖罪だ。それは俺が過去に蔑ろにした他人の命、そして護れなかった大切な命に報いるために自分の命を使う。だからフィルマのことを無駄死にだなんて言わせない!俺が『魔性の泪』を封印することでフィルマが生きた意味を遺してみせる!!」
その瞬間、鋭く風を切るような音が弾けてトロヴァを縛り付けていた蔓が足元から首元まで一気に裂けた。
風の軌跡はそのまま旋回してクラエに襲い掛かったが、クラエは仰け反りながら宙を反転して距離をとった。そして気配を消して斬りかかってきた黒づくめの人影を、汚らわしい物を見るように睨み付けた。
「…貴女、ただの御者じゃなくてトロヴァと同じルーシーさんからの刺客だったのね。いいわ、纏めて相手をしてあげる…」
クラエは言葉を発する最中で突如目を瞠ると、勢いよく身体を捩じらせて左脚に絡んでいた蔓を引き千切った。
一方のトロヴァに巻き付いていた蔓は、どす黒く焦げたように萎びて足元に崩れ落ちており、クラエが引き千切った蔓もまた同じように変色していた。これは恐らく毒だ。今しがた御者に扮していたミトが短剣ユーディジウムを拾って蔓を切り裂いたときに、クーノの毒を短剣から流したのだ。その蔓は地中を伝ってクラエに繋がっていたため、異変を察したクラエが慌ててその蔓を分断させたのであった。蔓は馬車の残骸からだけでなく、トロヴァから続くもう1本が新たに増えていたことをミトは把握していたのだった。
そしてミトはその隙を逃さず、腰に付けていたアンカー付きのワイヤーを素早くクラエに向かって投げつけた。ワイヤーはクラエの脇腹から右肩にかけて巻き付き、アンカーが肩に突き刺さるとクラエは苦悶の表情を浮かべたが、即座に新たな蔓を数本地表に伸ばしてミトに引き寄せられないよう自らを固定させた。
「それで動きを封じたつもり!?言っとくけどそれは貴女も同じだからね!!」
クラエが肩の痛みを堪えながら喚くと、ワイヤーを引っ張るミトの周囲を囲むように地表から数本の蔓が飛び出し襲い掛かった。
だがミトはその隙間から短剣ユーディジウムを放り投げると、既に駆け出していたトロヴァがその柄を掴み、ミトに絡みつこうとした蔓を根元から切り払った。もう毒の魔力は残っておらず、切られた蔓は急速に枯れ細って塵と化した。
「今だ!!行け!!」
ミトの声に弾かれるように、トロヴァはクラエに向かって猛然と駆け出した。それはもうあと数歩駆ければクラエに届く距離であった。
対するクラエは顔を顰めながら足元から細い大量の蔓を放出してトロヴァの脚を掬い上げようとした。
それを察知したトロヴァは勢いよく地を蹴り、大きく跳躍した。空中で身体を滑らせながら左手でクラエの左肩を掴み、背後に着地するとともに素早く回転して密着しクラエの喉元に短剣ユーディジウムを突き立てた。
こちらからクラエの表情は見えなかったが、彼女がすぐに反撃してくる様子はなかった。
「…どうしたの?一度私の喉を搔き切ってるんだから、躊躇う理由なんてないでしょう?」
「その前に、あんたとあの揺り籠とを繋ぐ蔓を解け。あんたの生命力の供給を断つのが先だ。」
「…時間稼ぎをさせると不利になるのは貴方たちの方よ?」
「時間がないのはあんたの方だ。間もなくあの御者が発煙弾を打つ。そうすれば周辺で待機している部隊が揺り籠に火を放つ。揺り籠に眠る人達の命を護りたければ、言うことに従え。」
「とても世界平和維持機構の人間が発する台詞じゃないわね。」
「…少なくともあんたの考える平和とは違うだろうし、俺は世界の平和のために生きたいとも思ってない。俺は『魔性の泪』を封印しフィルマの命に意味を与えるためだけに生きる。」
トロヴァが低く脅すような声で応対していると、クラエは大きく溜息をついた。すると同時に、地表からクラエに向かって伸びていたすべての蔓が解けてボトボトと周囲に転がった。
「いまの貴方、とてもギラギラしているわ。昔の貴方よりも、ずっと。だからしっかり生きて、その使命を果たしなさい。」
「ありがとう先生。…さようなら。」
そしてトロヴァは、ずっと震えの止まらなかった右手を一思いに振り抜いた。
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