「まったく乗り心地の悪い馬車だこと…安全な場所まで連れて行ってくれるとは聞いたけど、その前に身体を痛めちゃ元も子もないわね。」
令嬢ヒュミリスは退屈そうに窓の外を眺めながら、あからさまな悪態を付いて見せた。いまにも雨が降り出しそうなどす黒い曇天の下、雑木林で覆われた小路を小綺麗な1台の馬車がゆっくりと通り過ぎていく。
「…緊急事態ゆえ、人目のつく街道を避けた道順を組んでおります…舗装が行き届いていない点につきましては、いましばらくご辛抱を…。」
「はぁー、世界平和維持機構なんて大層な名が聞いて呆れるわ。この麗しい令嬢1人満足に護送できないなんてね。」
目の前でいかにも高圧的な台詞を吐きながら壁に凭れかかっているヒュミリス嬢が身に着けているのは、豪華絢爛なドレス…ではなく、モコモコとした純白のガウンである。長い栗色の髪は整えてあるとはいえ、まだ多少湿っており艶やかで美しいとは言えない。それもそのはず、彼女は半日前に交易都市ディセプシオの浜辺に漂着していたところを発見されたのである。純白のガウンは、彼女を保護した世界平和維持機構によって応急的に支給された外套であった。
「大体なんであんたみたいな陰気な男と同席しなきゃならないのよ。反吐が出るわ。」
「貴女から本件について事情聴取をするよう、世界平和維持機構より命じられておりますので…。」
「だからその堅苦しい喋り方が不相応だって言ってるの。大した身分でもないんでしょう貴方は。ていうかいい加減名乗ったらどうなの?」
「…申し遅れました。トロヴァと申します。」
特に名前を騙る必要もなかったため、そのまま本名を口にした。トロヴァはグレーの分厚いコートを身に着けてフードで顔をすっぽり覆って相席していたため、陰気な男と小馬鹿にされても申し分ない外見であった。
「ふぅん。なんだか鈍臭そうな名前ね。それで、私に訊きたいことって?」
「昨日、ディセプシオを襲った巨大な竜巻の件についてです。目撃者の証言によりますと、突如海上に出現した巨大な竜巻は周辺に停泊する船舶を悉く破壊したのち上陸、ディセプシオの街を蹂躙し領主であるアーバナム伯爵の屋敷をも破壊…伯爵は逃れる術なく吹き飛ばされてお亡くなりになったとの報告を受けております。甚大な被害を被った交易都市はもはや流通区・居住区ともに機能せず港は当面の間封鎖を余儀なくされました。復興までには少なく見積もって1年は要するものと想定されております。」
トロヴァは馬車に乗る前に受け取っていた羊皮紙に書かれた報告を淡々と読み上げた。だがヒュミリス嬢は関心がなさそうに、再び窓の外に視線を移して聞き流しているだけだった。
「お伺いしたいことは数点ございます。まず1点目は竜巻についてです。当時は悪天候だったとはいえ、竜巻が発生しうるような気象条件、地形条件ではなかったものと分析がなされております。竜巻がどのように発生したか、その時の状況についてお記憶はございませんか。」
ヒュミリス嬢は依然としてこちらを向かなかったが、その傾いた表情からは不機嫌さが少しずつ増していく様子が窺えた。
「憶えてることなんてないわよ。そのオンボロな報告書に記載されてないの?私はその時、海賊に捕らえられていたのよ?」
交易都市ディセプシオは入り江の最も内側に栄えていたが、入り江の外側には積荷を強奪したり密輸に加担したりしている認可外の船舶…俗に言う海賊が散見されていた。近年特に活発化させていたのは海賊団ヴァニタスという組織で、竜巻発生時はこの海賊団にヒュミリス嬢が人質として囚われの身であったことは確かに報告書に記載されている。ヒュミリス嬢はアーバナム伯爵の1人娘であり、当時海賊団が彼女と引き換えに何かを要求していたことは明らかであった。しかし事の発端を知る者は、唯一の生き残りであるこの令嬢しか生き残っていなかった。
「…失礼いたしました。それでは質問を代えさせていただきます。貴女はなぜ、海賊団ヴァニタスの人質として捕らえられていたのですか。海賊団の要求とは、何だったのでしょうか。」
今度もヒュミリス嬢は腕組みをしたまま視線を逸らし、罰が悪そうに沈黙している。ゴトゴトと馬車が揺れる音だけが室内を満たしていた。
「嫌な記憶ばかり掘り返すようで大変恐縮なのですが…これも世界平和維持機構の調査の一環ですので、何卒ご協力をお願いしたく…。」
「金よ。奴らの要求は身代金。その理由は、お父様がヴァニタス経由の違法薬物の密輸を拒むようになったからよ。」
これ以上の黙秘はかえって不利になると考えたのか、ヒュミリス嬢はぶっきらぼうに呟いた。
「違法薬物の密輸…ですか。」
「惚けるんじゃないわよ。あんたたち世界平和維持機構が違法薬物の取締を強化したのが事の発端なんだから。違法薬物はお父様が周辺諸国の貴族に高く売り捌いていたらしいけど、臆病なお父様は取締の強化で流通経路を炙り出される前に綺麗さっぱりその痕跡を消したのよ。だから突然大口の収入がなくなった海賊団から反感を買って、私が誘拐されて身代金を要求された…ざっくり説明すればそういうことよ。これで満足かしら?」
溜息とともに嫌味が溢れてくるのがわかったが、トロヴァは表情を変えないまま羊皮紙にその陳述を記録していった。
「臆病なお父様…ですか。アーバナム伯爵はディセプシオの領民や貿易商には温厚でとても親しまれていたと聞き及んでおりましたが?」
「そうやって愛想を振り撒かないと生きていけない性分だったから臆病だって言ってるのよ。お父様は領民からあまり税金を徴収せず、領地内で流通する商品に限っては関税を下げたりして、交易の活性化を謳う懐の大きな伯爵を演じていた。その代わり裏では違法薬物を大量に捌くことでその懐を温めていた…裏でも沢山の貴族連中に媚び諂っていたんでしょうね。でも結果として懐を温める術が無くなって…散々自分の首を絞めた挙句、天罰が下ったんだと思うわ。何とも哀れで愚かしいと思わない?」
亡き父親のことを語るヒュミリス嬢の口調は、段々と嘲笑するかのようなお道化たものに変わっていった。トロヴァとしては彼女がそこまで実の父を卑下することがやや意外だったので、もう少し掘り下げてみることにした。
「貴女は、父親であるアーバナム伯爵のことを恨んでいるのですか?」
「…何よそれ。貴方が取り纏めなければならない報告と何か関係があるのかしら?」
「いいえ。ただ、聞く限り恨む相手がいるとすればそれは我々世界平和維持機構なのではないかと思っただけです。我々が違法薬物の取締を強化しなければ、お父上が資金繰りに苦しむことも貴女が誘拐されることもなかった…そのようにお考えにはならないものなのかと。」
「別に。貴方だって一応世界平和維持機構の所属だし、法を侵していたのはお父様の方なのだから…少しばかり顔を立ててあげただけよ。」
「お気遣いなさらなくても結構ですよ。大した身分でもございませんので。」
羊皮紙に目を落としたまま応対していると、室内の空気が一気に張り詰めてくるのを感じた。
「…恨みなら、あるわよ。お父様は人質になった私を…そのまま海賊に売り飛ばそうとしたわ。そこまでして己の富と地位と名声を護りたいのかって…家族である私のことは護ってくれないのかって…。」
トロヴァが顔を上げると、ヒュミリス嬢がやや俯きながら微かに鼻を啜る音を漏らしていた。緊張感が一転して緩んでいくのがわかった。いまの彼女の証言は、事前に入手していた報告書に記載がなかった。だが事実だとすればとんでもないこととなる。人身売買は違法薬物の取締よりもさらに旧くから厳格に禁止されているし、伯爵とはいえど白日の下に晒されれば、まずその地位の剝奪からは逃れられないであろう。そのようなリスクを承知の上で、1人娘を売り飛ばすような真似が現実に行われていたのだろうか。
「…ごめんなさい。でもお願いだからこのことだけは報告に遺さないでもらえないかしら。私の僻みで一族の顔に泥を塗るような歴史を作ってしまうことは不本意だから…もうお父様も海賊もこの世にいないのだし、そんな事実を遺す必要もないと思うの。」
記録を綴るペンを握る手が思わず止まってしまう。わざとらしいようにも感じられたが、しおらしい態度を見せてくるのは予想外だった。だが動揺している姿を見せるわけにはいかなかったので、咳払いを挟んで別の質問に移ることにした。
「…承知しました。それではもう1点お窺いいたします。ヒュミリス嬢は、ディセプシオ再建の指揮をお執りにならないのですか。」
ヒュミリス嬢が鼻を啜る音が徐々に失せ、再び沈黙が室内を埋めた。彼女の方を見ずとも、また不機嫌そうな表情をしているのだろうと容易に想像ができた。
「当たり前でしょう。そういうのは専門の詳しい者に任せた方がいいでしょうからね。」
「もちろん仰る通りですが…貴女は事実上ディセプシオの領主を継承しているにも係わらず、易々とその地位を放棄してしまうのはどういったお考えによるものなのかと思いまして。」
「どうもこうもないわ。生き残った私だけでは荷が重すぎるから、どうせなら別の貴族にでも新たに治めさせる方が妥当だと考えただけよ。」
「いま時を同じくして、早速交易都市を復興させようと動いている者たちもおりますが…彼らにも協力する気は一切ないと?」
「今更領主面なんてできないわ。ディセプシオの民は、税金が安くて交易が盛んだったのは裏で違法薬物の流通があったからこそだって皆知っていたもの。取締強化の通達が流布された途端、明らかに私やお父様を見る目が辛辣なものに変わっていったのを憶えてる。私たちとはただ利害関係が一致していただけだった。…でも結果として竜巻が街ごと破壊してくれたお陰で、愚かしい取引通念もそれを抱く人間ごと一掃されたのだから、私も退いて別の誰かに綺麗な交易都市を築いてもらえればそれでいいのよ。」
自責の念に駆られているかのような言い回しだったが、喋り方は最早関心がなさそうなものであった。
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