異世界からやってきた者たちが偶然にも酒場で出会ってから、1週間が経過する。あれから、侑希と舞は時間を見つけては、酒場『エスペランサ』で楽しい時間を満喫していた。それぞれの第二の人生の準備の合間だが。
今日も酒場『エスペランサ』に、侑希がやって来る。陽は落ちようとしているときの来店だ。
「やっと、一息つけるよ」
背伸びをすることでストレッチをした侑希は、カウンターに座る。肩の力が程よく抜け、かなりリラックスしていた。
アリサがすぐに侑希に気づき、カウンター越しに対面するように近づいてきた。彼女の手には、メモ帳が握られていた。
「今日は何も食べて来ていない。肉料理とそれに合うお酒を頼めるかな?」
「分かりました。それなら、ストロンス牛のステーキとパン。お酒はウートブル酒『ケニヒ・ボルーヌ』を。元の世界でいうワインをお出しします」
ステーキとケニヒ・ボルーヌ。侑希がいた世界でもあまり食べない組み合わせのメニューを、アリサに提案された。「うーん」とうなり、侑希は後ろの髪をかいた。
「ずいぶんと豪勢だな」
「お金はたくさん持っているし、これから大金を稼ぎそうだと思いましたので」
「バーデンダーの勘というわけだな」
「さて?どうでしょうね?」
おどけるように、アリサは侑希の核心ついた言葉の真偽をうやむやにしてみせた。何事もなかったように、淡々となれた手つきでストロンス牛の下ごしらえを粛々と進める。肉に調味料をまぶし、馴染ませるために放置する。その間に、鉄板をバーナーのような装置で熱す。
「魔法を使う職業を目指すとは思っていました。まさか、あの王立魔術学院の教授の椅子を勝ち取るとは」
「全部の魔法を知っている上に、応用する術を知っていた。だから、こんな芸当が出来た」
「侑希さんは頭が良いですね」
「そこまで良くないよ。偶然席が空いていて、いろんな魔法を見せにきただけだし。本当に頭がいいと言うのは……」
カラン、カラン、カランとベルの音が鳴る。侑希が入り口の方を見れば、「噂をすればなんとやら、だな」と指を鳴らした。
「今日はいるみたいね。どうだった?魔術学院の試験は?」
「合格。ポジションは教授。早速、一番上の立場からスタート。7日後に初授業だよ」
「やるじゃない!さすが、研究力と魔法の知識はこの世界で一番ね。今日の支払いは私が払うわ」
「ありがたくごちそうするよ。でも、俺を褒めても何も出ないさ」
舞に褒められたが、侑希はケニヒ・ボルーヌを口に含み、テイスティングする。彼は舌で味わうことで、ストロンス牛のステーキを食べる自分をイメージしていた。
「まぁ、頬が落ちそうにテイスティングして。アリサ。私も侑希君と同じメニューで」
「ディナーだけど大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
抑揚のない声で、アリサは舞の胃袋を気遣う。彼女が向けた視線をものともせずに、舞は侑希の方を向いた。
「私も侑希君と同じように、晩ご飯を食べてないから」
舞は何の抵抗なく、軽やかな足取りで侑希の隣に座った。アリサはグラスにケニヒ・ボルーヌを注ぎ、舞が座る位置と合うように、カウンターの上に置く。
「そっちはどうだい?俺の家から出ていって、鍛冶屋を始めたみたいだけど、売り上げの方は?」
今度は、侑希が舞に近況報告を求めた。彼の目つきは舞を試すものだった。穏やかな口調だが、内容は背筋が凍るようなものだった。
舞は侑希の方を見つめる。口角は上げ、目を細めて。
「いい意味で悲鳴が上がったわ」
「舞の目論見通りというわけか」
侑希はワイングラスの足と言えるプレートを引きずり、自分の方に手繰り寄せる。舞の方に体を向け、話を聞く体勢を取る。
前のめりになりながら、グラスを支えるステムを挟むように持ち、ケニヒ・ボルーヌを口にした。
「そうね。オーダーメイドの武器や防具を一瞬で作れたり、この世界にない銃や武器防具一体型の鎧を作ることで人気になると思ってたわ。当たってるし、予想以上。今日の売り上げは200倍の4600000エリス。途中から、マジックポーションで魔力を回復しながら作ってたわ」
涼しい顔で、舞は自分自身が立ち上げたビジネスがいかに好調かを熱弁した。彼女の考えはどうやら、新しい世界でも受け入れられたらしい。
侑希は決して、彼女から目を逸らさずに話を聞く。目を輝かせて、熱心に話を聞く。
「エクセレント!舞もすごいことをしているじゃないか」
指を鳴らすと、侑希は舞に拍手を送る。それでも、舞は鼻の下を伸ばさなかった。
「まだまだ、需要はあるはずよ。これからなんだから」
「そこまで、謙虚にならなくても……」
侑希は口を伸ばした。しかし、グニャグニャとしており、微妙な表情になっている。そんな姿を舞から隠そうと、再び、ケニヒ・ボルーヌを一口飲んだ。
「ここは、イチャイチャするような場所ではないんですが……」
アリサがカウンターの上に鉄板に乗ったステーキ肉を2皿、給仕する。その隣に、小さなパンを2つ乗せた皿を置いた。
「冷めないうちにお召し上がりください」
「分かった」と侑希はフォークとナイフを持ち、ステーキ肉を切る。
「待って。アレをまだ終わらせてないわ」
「アレ、か。そうだった。それぞれの素晴らしい門出に乾杯」
お互いが持っているワイングラスのボウルの膨らむ部分をすり合わせる。
待ちわびた侑希は、口の中に肉を入れる。味を楽しんでいると、「っうん」と声をあげた。頬がとろけそうに見えるほど、口角は吊り上がっていた。
「良い肉を使っているのかな?」
「その通りです。ランクはゴールドランク。上から2番目です」
「その上がダイヤモンドとかプラチナとか、簡単に想像できるけど。とにかく、舌が変じゃなくて良かったよ」
侑希は満足そうにステーキを食べる。ケニヒ・ボルーヌと肉のハーモニーを味わいながら。
「本当かしらね?」
疑いの眼差しで、舞はステーキ肉を睨む。丁寧に肉を切り、口に入れる。肉汁が広がり、肉の味もしっかりと舌から伝わってくる。
「これは……」
舞は侑希がやったように、ケニヒ・ボルーヌの味わいを口の中で楽しんだ。そのあと、ステーキを食べる。
「んんっ!」と声を漏らし、舞は天に昇りそうになった。
「本当に最高の組み合わせだ」
「実は、これが最高の組み合わせではないです」
「本当か……」
アリサは得意げな表情で自慢する。冒険者が大物を仕留めたかのような高揚感が彼女から伝わる。
白旗を上げるように、侑希は大袈裟に両手をあげた。彼は唇を噛みながら、なんとも言えない表情を見せた。
「それで?最も良い組み合わせは何なの?」
舞は興味深そうに尋ねる。
「龍の尻尾を使った龍酒。これがストロンス牛のステーキに最も合うのです」
異世界に来たばかり2人の視線はアリサの思惑通り、アリサ自身に釘付けになった。それだけではなく、ステーキを食べる手が完全に止まる。
「龍酒。ぜひ、飲んだみたいものだな。それで、一体、どんなお酒なんだ?」
侑希は目を宝石のようにキラキラと輝かせる。アリサの次の言葉を待っているようだ。
「龍の尻尾をアルコールに3日漬けたあと、熱します。そのあとは……。忘れてしまいました」
「もし、飲む機会があれば、楽しみにしているよ」
「それが……」
白い歯を浮かせている侑希だが、アリサは残念そうな表情を浮かべる。
「アリサ、どうした?」
「龍は希少なモンスターです。それに、討伐難度も最高のSランク。この酒場に入ってくることは滅多にありません」
「残念だ」
目を細めずに、侑希はニヤける。グラスに入っていたケニヒ・ボルーヌの残りを飲んだ。
「でも、飲めないわけではないです」
「どういうことよ?」
『でも』という接続詞が、その後に続くアリサの言葉を力強くしてしまった。今度は、舞が話題を繋げようとする。
「最近、精霊の森に炎龍イグニオスが現れたそうです」
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