「ここは……?」
京田侑希(きょうだゆうき)が目を覚ますと、見知らぬ家にあるベットの上で寝ていた。体をベットに出した。窓を開いて外の様子を伺う。
「本当に日本なのか?」
外の景色は異邦のものばかりだった。レンガで造られた街が広がっていた。地面は石で舗装されている。夕日が照らしているのもあって、赤に染まっている。
彼は朱色に塗り潰された空を見上げる。時刻は夕方の時間帯だろう、と侑希は推測した。
「まさか」
窓のガラス越しに、侑希自身の姿を確認する。黒髪のオールバック。24歳にしては渋すぎる顔立ち。着ている服は黒シャツに紺のジーンズだ。
「良かった。何もなくて」
とにかく、侑希は姿や服が変わってないことに|安堵《あんど》した。
「ヨーロッパ?にしては変だな」
街を家の外から見下ろすと、レンガの街を忙しく人が行き来している。この街の人々の服はRPGで見た服装と同じだ。中には、鎧やローブを着て、街を堂々と歩いている人もいる。彼らのほとんどが剣や杖を背中に背負っている。侑希は天然素材で作られているだろうな、と想像する。
反対側にある家はすべてレンガ造り。明らかに、地震の多い日本の様式とは違う。そんな光景を見た侑希は口をぽかんと開けていた。
「うっ……」
侑希のちょうど、隣からの女性のうめき声。
「……声?誰だ?」
声の行方を追うように、侑希は視線を動かす。癖のあるロングウェーブの女性・立浪舞(たつなみまい)が床に寝転がっていた。ピンクのシャツ、黒のスカート。胸ポケットにはピンバッチのようなモノがついていた。
「同じ日本人か。それよりも……」
彼女の眼鏡が割れてないことに、侑希はほっと一息ついた。ここに来る時に、強い衝撃を加えられていない、ということが分かったからだ。つまりは、後になって吐血したり、むち打ちや骨折でした、という可能性が消滅したことになる。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫」
舞は上半身を起こす。侑希は舞に手を差し出すが、自力で舞は両足で立ち上がった。
「ここはどこなの?」
舞の質問の答えとして、侑希は首を横に振る。彼女の表情に暗雲が立ち込み始めた。
「なんとも言えません。少なくとも、日本ではなさそうです」
「たしかに、日本でレンガで作られた街に多くの人が行き交うことはないよね」
1組の男女は、窓から見える目前の光景を眺める。彼らにとって、今まで見慣れていても、何か違和感を覚えるようなモノが目に映っていた。
困り顔の舞、興味津々に世界を観察しようとする侑希。それぞれが面白い反応を見せる。
「差し支えなければ、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「まずは、あなたが名乗らないと。それが礼儀でしょ?」
額に手を当て、侑希はうなだれた。何度もうなずくと、しっかりと舞の瞳をのぞき込んだ。
「僕は京田侑希。京都の京、田んぼの田、にんべんに有無の有で侑、希望の希と書きます」
「ありがとう。私は立浪舞。漢字はここに書いてある通り」
舞がはおっているジャケットの裏ポケットから、ケースを取り出す。ケースの中から、名刺を取り出し、両手で差し出した。「拝見します」と侑希は名刺を丁寧に両手で受け取った。
「株式会社ノイエレクトロン、立浪舞……。生年月日は1994年7月21日。元いた世界だと西暦が2020年だから、僕より2歳ら年上か」
侑希はひと通り、名詞から読み込めることをつぶやきながら確認する。1分もかからないうちに、上から下まで全て読み切ると、「名前以外は使えなくなるかもな」と険しい表情でボソッと、自分の考えを声に出した。
「ありがとうございます。頂戴いたします」
舞からもらった名刺を、侑希はジャケットの裏ポケットに戻した。
「ところで、立浪さん」
「舞で良いよ。それに、畏まらなくても大丈夫。話しにくいでしょう?」
「お言葉に甘えて。僕はバーから帰る途中で、意識を失った。そして、目覚めたら、ここで寝ていた。そして、ここに倒れていた。舞さん、アンタ、どこまで知ってる?」
「奇遇ね。私も家でフランスから取り寄せたワインを飲んでいたら、意識を失って……。気付いたら、ここに倒れてたわ。だから、何も知らないよ。申し訳ないわね、侑希君」
侑希は天を仰ぐ。手かがりも何もない。かと言って、動くのは安直すぎる。彼が打つべきでは、そう簡単に思いつかない。
これからどうするかを考えている。腕を組もうが、空を見上げようが、舞の凛とした顔を見ようが、彼が妙案を思いつくことはなかった。
「にしても、侑希君は冷静ね」
「訳がわからない世界だけど、そこで狼狽えていたりすれば、すぐに死ぬかもしれない。だから、どんな場面でも冷静にならないと。ここは未知の世界。何が起きても、僕はもう驚かない」
「私もよ。こんな世界だから冷静に動かないと」
「舞も変な世界に来ても冷静だ」
時折、雑談を交えながら2人が考えている。しかし、どんなに時間を使っても、解決策は出てこない。
侑希は腕を組んで、舞はベットに座り、今後のことについて考えていると、どこからか、侑希たちの名前を呼ぶ声が聞こえた。
「声が……。侑希君は聞こえた?」
「聞こえた。確か、女の声だ。僕たちの名前を呼んでた。何度もね」
2人は部屋の中を見渡す。誰もいないと分かると、今度は窓から外を覗き込み、行き交う人の中から、声の主を探す。どれだけ耳をすましても、どれだけ目を凝らしても見つからない。
『私は女神マキナです。はるか別の空間から語りかけています』
女性の声がはっきりと、2人の耳に入ってきた。
「マキナ?女神が一体何のようだ?」
『京田侑希様。女神ですから、敬ってくださいよ』
「はい、はい。それで、女神様が何のようですか?」
むすっとした声で女神は文句を言うが、侑希にとっては些細なこと。表情を変えずに、神と飄々と対話をする。
『いくつか確認したいことがあります。まずは、あなたの能力とあなたが異世界に行くときに望んだことです』
「望んだ?私たちが一体、何を?」
舞は首を傾げた。当然のことだが、彼女は女神と会ったときの記憶が全くない。
『覚えてないのですね。この世界に転送するときの時の事故で、あの空間のことを忘れてしまったのでしょう。それではお教えします。あなたたちは本来、死ぬはずはなかったのです。本当は、あなたたちの近くにいた高校生を殺すべきでした』
「殺す!?一体何のために!?」
「ここでキレても、何も変わらない。そもそも、冷静に動くと言ったのはアンタでしょ?まずは、落ち着こう」
驚愕の真相に、舞は声を荒げた。真っ先にいさめたのは、年下の侑希。彼女はどうもヒートアップするときはヒートアップする性格らしい。
「さて、どういう目的でこの世界に転生させた?俺たちに罪も連れてかれる道理もないし、本来、ここに来るはずの高校生も同じ理由で呼ぶつもりだったはずだ」
空を睨みつけ、侑希は尋ねる。落ち着いた口調だが、眉間にシワがよっており、かなりイラついていた。
『この世を滅ぼす大魔王を倒すためです』
「大魔王?軍人でもない僕らが倒す。なぜ、現地の人をうまく利用しないんだ?」
『それは異世界人ではないと倒せないからです』
「倒せない?どういうことだ?」
『それが世界の理です』
侑希は深く追求したが、女神の答えは理論的でない。あまりにも、理由になっていない答えに、彼はため息をつく。これ以上の質問をしても無駄だ。両手を弱々しく上げ、口を閉ざした。
『安心してください。魔王を倒すために、あなたたちに特典をおつけしました』
「特典?いよいよもって、ライトノベルの世界になってきたな。それで、特典とは?」
侑希は前より大きな息を吐いた。もう喋るまいと決意がここで揺らいだ。一般常識が通用しないからだろうか。それとも、未知の世界に放り込まれたからだろうか。
『京田侑希様は無尽蔵の魔力を持ち、あらゆる魔法を使うことができます。
武器を揃えるために、2億エリス分のお金の入ったカードと住まいをご所望でしたので、それもおつけしました。さらに、家も後ろに建ててあります』
「別空間にいたときの僕は何を考えてた?」
ボヤきながらも、侑希は広々とした部屋を見渡す。2階建てだとしても、1人で暮らすにはあまりにも大きすぎるほど広かった。
『立浪舞様はすべてのものを創生できる魔法を使うことができます。色々なものを制作されたいということなので、京田様のご自宅に制作に必要な道具や資料を入れておきました』
「一部だけ記憶を失っても、私らしいね」
白い歯を見せて、舞ははにかんだ。自分が自分だったことに満足しているのだろう。
『さぁ!今こそ、魔王討伐の悲願を果たすとき!期待してきますよ?』
この言葉を最後に、女神の声は聞こえなくなった。例え、転生者2人でも耳を澄ましても、外から人の話し声がかすかに聞こえるだけだった。
「ねぇ。侑希君は信じるの?」
「信じる、って?女神の言うことを?」
「えぇ」と舞は相づちを打った。
「信じられない。魔王討伐ならこの世界の人を使えばいいだろう。それをわざわざ、戦闘経験のない僕ら素人に任せるのは何か裏がある」
「私も侑希君と同じよ。色々とあの女神が言うことには、不自然なところがあるわ。理論も破綻しているし」
「決まりだな」
侑希は2回、手を叩く。残念そうな表情を浮かべているわけではない。安心しきった表情を舞に見せている。かくして、侑希たちは魔王討伐の使命を無視することを決めた。
「これで、俺たちが存在する目的が無くなったわけだ。けど、俺はこの先どうしていくかは決めていく。ここで第二の人生を歩むのも悪くはない」
一旦、侑希は用意された二階建ての家をじっくりと眺める。「良し」と心の準備をすれば、視線を舞の瞳に合わせた。
「楽しみながらだけど、自分の人生を自分でデザインしていく。そうしていくことで、俺は生きた証をこの世界に刻んでいきたい」
侑希の目はキラキラと輝いていた。今後の人生を受け入れるように、両腕を少し広げる。
「いい考えね。気に入ったわ。私も第二の人生を楽しむよ。それで、侑希君はどうするつもりなの?具体的なプランが聞きたいわ」
「この世界で、勇者とは違う職を探すことになるな。何にするかは分からないけど。少なくとも、魔法を生かせる仕事をしたいと思う。能力を授かったからだ。舞はどうするんだい?」
「この世界でビジネスをやろうと思うの」
「若くして社長になったアンタらしい。家はどうする?僕の家は広いから、一緒に暮らすこともできる。どうかな?」
「侑希君のお言葉に甘えて、一緒に居候させてもらうわ」
「決まりだな。もし、何かあったら、僕を頼ってくれ。2人で協力すれば、2人以上の力が出せるはずだ。さて……」
ズボンのポケットから、侑希はカードを取り出す。城の絵が描かれている面を向けて、舞に見せびらかした。
「お互いにお酒を飲んでいたら、ここにいた。どうやら、お酒がお互いに大好きなようだ。どうかな?このカードに入っているお金で、新たな人生を祝して、飲みに行くかい?」
おどけた様子で舞を誘う。道化師のような振る舞いに、彼女はクスクスと笑みをこぼした。
「それは良いわね、侑希君。飲みにいきましょう?」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!