「さて、僕の好みはワイン。彼女もおそらく、ワインを飲む。さて、アリサさん。ぜひ、バーテンダーとしての力量を見せてもらいたい」
「かしこまりました。それでは、ワインカクテル『ソル・デ・ニュイ』をお出ししましょう。今は夜の太陽です」
アリサのポーカーフェイスは崩れない。黙ったまま、カウンターの上にグラスを置く。
その仕草を「ん?」と唸りながら、侑希はチョコンと首を傾げ、見ていた。
「侑希君、どうしたの?」
「あぁ、何でもない」
異変に気付いた舞が詮索してこようとしたが、侑希は素っ気なく言葉を返した。ここで、2人の短い会話は途切れる。
アリサは粛々とお酒を作る。アーモンドの香りがする酒をメジャーカップで計量した後、少々入れる。次に彼女が注いだのは、オレンジ色の液体。侑希が「それは何だい?」と尋ねれば、アリサは「ジンオーレと呼ばれる甘い果実を使ったジュースです」と何一つ表情を変えずに答えた。
そして、本日の主役である黒い液体・ワインをマドラーを伝って注ぐ。
「お待たせしました。『ソル・デ・ニュイ』です」
完成したのは黒とオレンジ、赤みを帯びた琥珀色の3層のグラデーションが魅力のソル・デ・ニュイ。2人ははテイスティングのため、口の中にワインカクテルを含んだ。彼らの口の中で果物の甘さがくっきり残る、まさしく、フルーティなテイストが広がっていく。口だけではない。喉の奥まで味が届いてた。
今度は、しっかりと舌で味わいながら、飲んでみる。
「最高だわ」
後味もスッキリと爽やか。舞の頬が落ちそうなほど甘い。彼女が称賛した理由もうなずけよう。
侑希も「これは……」とにこやかな表情で言葉をこぼす。
「ところで、ワインという言葉を受けて、ワインカクテル、とさっき言ってたよね?」
侑希は別の話題を提供する。その話題は地雷を踏むような内容だった。
「それが何でしょうか」
「もしかして、君もこの世界に来たクチなのかな、なんて」
一度も表情を変えなかったアリサが、口を開き、手で押さえた。瞳孔は開き、ひどく驚いていた。
「……この話をするのはうかつ過ぎた。申し訳ない」
「良いんです。別に、明かせない事情はないですし、お教えしますよ?」
アリサは両手を横に振り、額に手を当て落ち込んでいる侑希に、気にしてはならない、というサインを送る。
「私の今の本名はアリサ・シオミ・アダムス。アダムスは私の義理の父・ニールの苗字です」
自分にとって重要な情報を何一つ表情を変えずに、アリサは侑希たちに打ち明けた。
「ここに来たキッカケは?」
舞が早速、デリケートな質問をする。世界から来たのだからか。興味本位で、質問をしたかったのだろう。
「22歳のときに、病気の祖父を見舞いに行った帰りに事故にあって……」
「女神にあったと」
話題に横入りするように、侑希はその先の展開を先に言ってしまう。アリサの肩が少しだけピクリと上に動いた。
「お客様のおっしゃる通りです。女神に魔王を倒す運命を与えられ、この世界に来ました」
「僕たちと同じ、かな。それで、どうなったんだい?」
割って入った勢いで、侑希はその先を尋ねた。
「最初は勇者と呼ばれた転生者のパーティーのメンバーに入ったのですが、クビにされました」
「それは災難だな」と侑希は素っ気ないながらも、相づちを打つ。
「そのときですか。白い髪になったのは。パーティにいたとき、モンスターを倒していたら、急に……」
しっかりと、アリサは右手を握りしめた。力が入りすぎているのか、大きく震えていた。
「そこから、私の義父に拾われました。転生前と同じ職業であるバーテンダーとして、2年間やってきました」
「そうか。辛い過去があったんだな」
目を伏せて、侑希はアリサに語りかけた。話を広げてしまい、彼女の心の傷に塩を塗ってしまったことを後悔していた。もしかしたら、辛い思いをさせてしまったのではないか。悔いても悔いきれないだろう。
「僕も似たようなことがあって」
突然、別の話を切り出した。舞もアリサも鳩に豆鉄砲を食ったような顔になりつつも、話に聞き入ろうとする。
「実は、前の世界では賞を取れるほどの研究をしていたんだ。でも、それを教授の手柄にされてしまって……。無力さに打ちひしがれて、一時は自殺まで考えた」
静かに、侑希は語るように自分の辛い過去をさらけ出す。酒の席で1人だけ傷つくのはアンフェアだと判断しての行動だろう。
「あのときは思いはとどまった。けど、改めて考えるとこの世界に来れてよかった、なんて思えた。親や妹はあまり接点はなかったし、友達も表面的な付き合いしかなかった。現世に未練はない」
皿の上に残っていた豆を一口、胃の中に放り込み、間を開けた。この話のオチをどうするのか決めかねているようだ。
「だから、君たちと出会って、これからの時間は本当に良い時を過ごせると思うんだ」
侑希の視線はアリサの方をずっと見ていた。舞の方を見て話すと、怒られると思っていた。現実、彼の考えは少しは当たっていた。
「私はまだ、前の世界でやりたいことがあったわ。だけど、新しい世界に来た以上は新しい世界でやって行かなきゃいけない。それに……」
自信に満ちているはずの舞の言葉が詰まる。「それに?」と侑希は発言するためのお膳立てをしようとするが、なかなか喋られない。
「まぁ、無理しなく……」
「私は今までゼロから何でもやってきたわ。だから、ここでもやってやるわよ!」
アリサと侑希の瞳に映ったのは、決意に満ちた舞だった。目にはうっすらと涙。しかし、机の上に流れ落ちることはなかった。これが舞の本来の性格であろう。
「これから、お互いにこの世界で運命に縛られずにやっていこう。そうだ。アリサも交えて、ここは乾杯でもするか?」
「良いわね!同じ境遇の人だけだし、やっても良いと思うの」
バーテンダーであるアリサを無視して、勝手に舞と侑希で話が盛り上がってしまう。巻き込まれたアリサは額から汗を出し、困惑した表情で2人の様子を見ていた。
アリサはチラリと横目で髭のはやしたバーテンダーかつ義父であるニールがサムズアップする。
「お客様のご要望にお応えしましょう。乾杯のお酒は爽やかなテイストのお酒『ミルトキュール』、私たちの世界では、ミント入りのリキュールでございます」
手際良く、サファイアのような色合いを持ったお酒を棚から持ち出す。3つの小さなグラスに、青色のお酒を入れ、カウンターの上に置く。
「ミントの香りがする。かなり癒されるね」
小さなグラスを、侑希は持ち上げた。アリサも表情を元の仏頂面に変え、グラスを持ち上げる。
「それでは」
舞は咳払いをしてから、グラスを持った。つながる絆のおかげだろうか。ミルトキュールの色合いは海よりも美しく、そして、宝石よりも輝いていた。
「新たな出会いと新たな人生の門出を祝い、乾杯!」
「乾杯」とグラスをあてに行くように前に出す。彼らはグラスを口に近づけると、各々のタイミングに合わせて飲んだ。
侑希は香りを楽しみ、舞は少量ずつ口に流し込みながら香りを楽しんでいた。一方、アリサは香りに慣れてしまっているせいか、一口で飲み干してしまった。
「さてと、今日は飲もうか」
侑希の音頭で3人だけの宴会は続く。終わったのは、星が西へ消えていき、朝日が見え始めたときだ。
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