イルファ

時空を超えた奇跡
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矢越岬の伝説

公開日時: 2021年10月12日(火) 15:49
文字数:3,957

当時、ジュンジは国土交通省の職員として北海道での任務を命じられ二風にぶたにの地形を調査していた。治水事業の経過観察を任され何度となくこの地を訪れていたが、ある日ダム周辺で見たこともない洞窟を見つけた。

 

ジュンジは、洞窟の中でひらめ光を浴びて、光におおわれた全裸の女を目撃した。強い刺激に意識を失ったジュンジが気づいたときはこの家にいてチパパに出会う。チパパは、ここが古代のアイヌ集落だということを説明した。

 

「どうしたジュンジ? 何を考えとるんじゃ?」

 

 チパパが不思議そうに声をかける。ジュンジは我に返って含み笑いを見せた。

 

「いや、流人るにんを見る度に昔の俺を思い出すんだ……。もう何年もたってるのに――」

 

ジュンジも最初は戸惑った。自分がタイムスリップを経験した事実を受け入れられなかったが、二風谷にぶたに沙流さるがわの光景を見て暮らすうちに、自分に降りかかった不思議な現実を理解した。同時に、どうすれば元の時代に戻れるのかを考え周囲を隈なく探索したがこれといった手掛かりはつかめていない。

 

「ジュンジ、今回の旅もイルファのことを調べるために行くのか?」

 

「あ、いや……。今回は違う。調べようとしているのも遠い松前まつまえの伝説だからね」

 

「イルファ」とはこの地域にまことしやかに語り継がれている伝説の亡霊のことだ。

遠い昔に生贄いけにえになった女の霊が洞窟に現れ、次々と若い男を惑わせるという。チパパはジュンジが洞窟で見た全裸の女が「イルファ」だと言っていた。

 

洞窟に流れ着いた何人もの流人るにんも、口々に「美しい女を見た」と話していた。

 

翌朝早くジュンジは集落を後にした。

 

沙流川さるがわの河口には大きな船が停泊している。相原あいはらひろたかが一人で船から降りてジュンジを待っていた。

 

「無理な願いを聞いてくれて申し訳ない」とジュンジは笑顔を見せる。

 

「どうせ藩まで帰る途中だ、何のことはない」とジュンジを促して船に乗り込んだ。

 

昨日話し込んで意気投合した相原は、松前藩の若侍だが複雑な家庭の事情を抱えているようだった。

 

船が川を下って海に出たころ、相原が訊いてきた。

 

「どうして、そんなに人身御供ひとみごくうの伝説にこだわるんだ?」

 

「いや、集落にも似たような伝説があってな、生贄いけにえになった女の亡霊が若い男を惑わすっていうんだ。実は俺も昔見たことがある」

 

相原は目を丸くした。

 

「亡霊を見た? その女が矢越の人身御供と何か関係があるというのか?」

 

 ジュンジは海を見ながら「いや、それは違うだろう」と答えた。

 

相原の話では、沈められた場所が松前のごしみさき沖だという。

 

矢越岬やごしみさきの海は荒れていた。天気は良いのに波だけは白波が立つほど高い。

 

「いつもこんなに荒れるのか?」ジュンジが強い風に揺られながら問いかける。

 

「だいたいこんなものだ、ところで人身御供の話だが、あれは、実は相原家に密接な関係がある。もともと人身御供に女を沈めたのは私の親父殿だからな──」

 

 荒れた波を身体に感じながらジュンジは悲しそうな相原の顔を眺めた。

 

「──そうだったのか……」

 

「ああ、今となっては相原家の恥だ。祈祷師きとうしごときの話に乗ってアイヌをだまして殺すなんて、とんでもない話だ」

 

「アイヌ! 殺された女はアイヌ人だったのか?」

「そうだ。アイヌの女たちだ――」

 

 残念そうな顔で右手の拳を固める相原には、明らかに悔恨かいこんの表情が現れていた。

「最後まで抵抗した一人の女がいたそうだ。どうも、生まれたばかりの子を抱えていたらしい」

 

「それでも強引に……」

 

ジュンジは続く言葉を失くした。その時代の歴史にはうといが話は残酷極まりない。

「そうだ」と相原は唇をんだ。

 

 悔しそうな顔でしばらく考えていたが、やがてジュンジの顔を見た。

 

「確か、その女の名前は、イルシカと言ったな……」

「イルシカ?」

 

「ああ、自分の名を名乗って赤子あかご命乞いのちごいをしたそうだ」

 

二人は静かに矢越岬の突端に向かって静かに手を合わせた。

 

二人の乗った船は、近くの洞窟の前に来た。

 

矢越岬周辺は荒波に削られた奇岩が至るところにある。その洞窟も長い年月をかけて波によって浸食されたもので、船であれば海から直接中に入ることができる。二人の乗った船はその大きさから中に入れず、入口で奥をのぞくことしかできない。

 

太陽の光が、海の波に反射して洞窟の中を照らしている。

 

ジュンジは、イルファの洞窟を思い浮かべた。

 

「どうだ? 何か気になるものはあるか?」

 

 相原の問いにジュンジは残念そうにかぶりを振った。

 

その日の夜ジュンジは、松前藩の港に停泊する船の中にいた。乗船していた漁師や商人は、それぞれ自分の屋敷に戻っている。夕方になり寒さが増してきた。

 

相原が袋を抱えて船に戻って来た。

 

「ここで夜を明かすのか?」

 

相原は船に乗り込み、持ってきた袋をそばの板の上に置く。

 

「ああ、ここの方がいい。夜風は少し冷たいが船の底に入れば寒さはしのげる」

 

「変わった男だ。せっかく屋敷でもてなそうと思ったのに」

 

 ジュンジは、チパパに言われたとおり、和人わじんと深く付き合わないようにしていた。特に松前藩まつまえはんは、江戸時代にアイヌの反乱が起こったとき首長しゅちょうを和議と偽って屋敷に招き、その場で毒殺する卑劣な作戦で勝利を収めている。

 

「晩飯だ」と言って相原は竹の皮でおおわれた握り飯を広げた。

 

 じっと黙り込むジュンジに、相原は「大丈夫だ、毒なんか入っていない」と笑って握り飯を一つ頬張った。

 

「ありがたい」と言ってジュンジも握り飯を取る。

 

 相原は和紙に綴られた長い手紙のようなものを取り出してジュンジに渡した。

 

「これは、私の親父殿が残したふみだ」

ふみ?」

 

「そうだ、お前が探っている人身御供の話が書いてある」

 

 幾重にも折り重ねられた長い手紙を広げる。相原は悲しい顔をして話を始めた。

 

「当時は、矢越岬沖で何度も海難事故が起こっていた。異人の船が何隻も沈んだのを、奴らは松前藩の攻撃で沈んだと殿を責め立てた──」

 

 当時の松前藩は他民族との交易で多くの財を成した。

 

江戸末期には、商人に交易を任せそのやり方もすべて彼らの思うようにやらせた。もちろん、鎖国の時代なので幕府の知るところではない。

 

藩は、幕府に黙って商人たちから交易の上前をはねて富を得ていた。

 

「殿は、海難事故に悩んで祈祷師を呼んでお祓いをしたのだが、そのときに海の神が怒っていると聴き鵜呑うのみにしたのだ」

 

 ──神の怒りか……。

 

ジュンジは黙って相原の話を聴いていた。相原は悔しそうな顔をしている。

 

「親父殿はそれを小耳に挟んで、殿のご機嫌を取ろうと手を回したのだ」

 

 相原の父は「二十人の女を、生きたまま矢越岬の沖に沈めれば神の怒りが治まる」という祈祷師の言葉を信じ、人身御供を実行に移した。アイヌの娘たちに「米を与えるので船に乗ってついてこい」と言ってだまし、途中の矢越岬沖で生きたまま強引に海に蹴落としたのだ。

 

 相原は一息ついて、残りの握り飯を一気に頬張った。

 

「そのときに。最後まで命乞いのちごいをした女がいた」

「それが、イルシカだな?」

 

「ああ、そのふみに名前が書いてある。その女は何度も自分の名前を言って、生まれて間もない赤子あかごを助けてくれと喚いたそうだ」

 イルシカは泣いてすがったが、相原の父は容赦なかった。

 

かたなを抜いて赤子あかごもろとも切り捨てようとしたらしい……」

 イルシカは自分の身を呈して子どもを守ろうとして斬り殺された。

 

「親父殿は、気が狂っていたとしか思えない」相原は悔しそうな顔をした。

 

「なんてことを……で子どもは? 助かったのか?」

 

「いや、二人とも海に沈んだから多分生きてはいないだろう……。そのふみには、赤子あかごにもやいばを当てた手ごたえがあった、と書いてある。ただ、致命傷を加えることはできなかったらしい」

 

 相原の少し上向きの顔が月明かりに照らされる。

 

「それから女の呪いが相原家を襲ったのだ」

 

「呪い?」ジュンジは相原の悔しそうな顔を見た。

 

「相原家には三人の女の子が生まれたが、みんな、赤子あかごのうちに病に侵されて死んだ。原因不明の病だ。お家断絶の危機といわれたころに四人目が生まれた」

 

「四人目は男子か? まさかそれが……」

 

「そうだ、その四人目が私だ……それから、不思議な話がある。海に沈められたイルシカの赤子あかご亡骸なきがらが見つかっていない──」

 

「見つかっていない?」

 

「そうだ、だからさっき『多分生きていない』と言った」

 

 ジュンジは袋の中に四角の木片もくへんが入っているのに気がついた。

 

「これはなんだ?」と取り出すと目の位置で確認した。

 

 小さな木片もくへんに左右対称のアイヌ独特の模様が彫り込んである。

 

「アイヌ文様もんようのようだな、何かのお守りか……でもなぜお前が?」

 

 和人わじんの相原がアイヌ文様もんようのものを持っていることを不思議に思った。相原は表情を変えない。

 

「それは、親父殿が持っていたものだ。お守りのたぐいかもしれないが正しいことはわからない。ふみによると、子どもを切り捨てようとした瞬間に女が投げつけたらしい。親父殿の手元が狂って致命傷を負わせることができなかったようだ」

 

 そう言うと相原は立ち上がって着物のほこりを払った。屋敷に戻るそぶりを見せる。

 

「本当に、この船で寝るのか?」

「ああ」

 

「おかしな男だ」

 

 相原はそう言うと、もう一つの袋を差し出した。

 

「これは?」ジュンジが袋を手に持って相原に聞く。

 

「砂金だ。どのみち商人に渡すものだが、お前が持って帰れ。交易に役立てればよい」

 

「でも、せっかく見つけたものを、お前の立場が悪くなるんじゃないか?」

 

 相原は笑って「かまわぬ」と手を振った。

 

「もともと、砂金のありかはお前が見つけたものだ。それに沙流さるがわの流域は昔からアイヌの土地だろう」

「ありがとう」と言って砂金の袋を受け取る。

 

 相原は軽く手を上げた。

 

「さらばだ。明日、この船は再び沙流川に向けて立つ。道中気をつけてな」

 

 去っていく相原の姿が見えなくなると仰向けになって夜空を見上げた。無数の星がきらめいている。

 

「イルシカとその娘か……」預かったふみとアイヌ文様もんよう木片もくへんを目の前に掲げた。

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